『旧市町村日誌』29福岡を進む 文・写真 仁科勝介(かつお)
11/25(土)曇りのち晴れ
2泊3日の船旅で、東京から北九州へ。朝4時45分ぐらいに起きて、入港まで余裕を持って過ごせるぞと思ったら、4時50分には「起きてください〜」のアナウンスが鳴って、たいして変わらなかった。
北九州市の区を意識して巡るのははじめてだったし、本来意識する必要もないわけだけれど、区ごとに訪れる場所を決めて、訪れる場所の総数が増えたことで、新しい北九州の景色に出会うことができた。
夜に鞍手町にある大学の先輩のご実家で滞在させてもらう。温かな気配で満たされたおうちで、美味しい水炊きをご馳走になった。一緒にいられることがうれしくなる、素敵なご家族だ。
11/26(日)晴れ
うねうねといくつか峠を越えて、小倉南区へ入る。平尾台のカルスト大地は絶景だった。京築地域に入ると、感じる気配が変わった。山、田んぼ、家、海、何が違うのだろう。山が見える方角、家と田んぼの間隔、屋根、少しずつ違っていて、その些少さが地域の雰囲気になっていく気がする。
夕方に訪れた浜の宮海岸が、とてもよかった。凪いだ浅瀬と静かに揺れる波が溶け合い、淡いピンク色の水平線が海をほんのり照らした。ちょうどその姿を見納めて、太陽が山に隠れていった。
11/27(月)おおむね晴れ
上毛町の牛頭天王公園からは、大分県中津市の景色を見渡せる。目の前には大分があるというのに、そっちへ行かないのか……。惜しい気持ちだが、それが今回の旅というものなので、戻って筑豊地域へ進んでいった。
再び、鞍手町のご家族にお世話になることに。ご厚意で泊まって良いよと。ありがたい。清々しい心に触れるばかり。
11/28(火)曇りと晴れ
天気予報で強風と波に注意と有り。確かに冷たい強風が顔に当たる。それでも、船が運航しているようだったので、宗像市の北にある大島へ向かった。沖に出ると、ブランコを水平まで漕いだぐらいに波で揺れて、ふわっと船体が何度も浮かぶのだった。ざわつく船内。でも、そのざわつきは観光客によるもので、地元の人たちは慣れっこなのだろう。酔いかけたが、無事に島に着き、沖津宮と中津宮を参拝することができた。
宗像市も福津市も大きなまちだ。福岡県はたくさんの暮らしがあるなあと、もちろん東京や大阪よりも規模は小さいかもしれないけれど、今まで巡ってきた感覚では、福岡県はとても暮らしの数が多いと感じられる。
11/29(水)曇り
今日は特に、竹原古墳と穂波のボタ山が印象的だった。旧若宮町(宮若市)の竹原古墳は、撮影禁止ではあるけれど、本物の古墳の壁画を古墳内で見ることができて、1500年の歴史が止まったままだった。淡いながらもオレンジ色のはっきりとした彩色が、ドキッと目に焼き付く。
そして、今や姿を変え、木々に覆われたボタ山。時間の流れの中で、ただぼくたちは生きている。
11/30(木)曇りと雨
飯塚市と嘉麻市を巡る。筑豊の炭鉱王こと伊藤伝右衛門の邸宅は休館していたが、「筑豊御三家」とも話がつながってきた。
今まででいちばん寒く感じられた。手がかじかんで霜焼けになりそうだなあなんて思考が生まれたのも今シーズン初めてだったもの。
12/1(金)それなりに雨
朝から寒くて、しかも結果的に1日を通して雨に降られたけれど、無事に終えることができて何よりだ。秋月城跡とそのまちなみの雰囲気は、なぜこれほど良いのだろう。莫大な富を産んだ産業も、地の利も、秋月にはなかったのかもしれない。
しかし、初代藩主の黒田長興の、家臣や農民を大切に思う心が、秋月を築き上げている。初代の心が、目に見えずとも土地の残り香として、受け継がれている。それは、あらゆることに通じているようにも思える。
旧小石原村(東峰村)で直接見た小石原焼も素晴らしかった。小石原焼の歴史に、柳宗悦と棟方志功の名が登場したことにも驚いた。民藝として守られたものが、今に引き継がれていること。小石原焼を見て、心打たれるがままだった。
仁科勝介(かつお)
1996年生まれ、岡山県倉敷市出身。広島大学経済学部卒。
2018年3月に市町村一周の旅を始め、
2020年1月に全1741の市町村巡りを達成。
2023年4月から旧市町村一周の旅に出る。
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