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『旧市町村日誌』18青森から北海道へ 文・写真 仁科勝介(かつお)


8/20(日)全国で活発な積乱雲

 小倉から青森へ、新幹線で戻ってきた。福岡空港や北九州空港から羽田空港へ飛んで、青森空港まで飛んだほうが時間は早いだろうけれど(直行便はない)、小倉から東京駅乗り換えの新青森駅着だと、歩行距離がすごく短くて助かった。今日は1kmも歩いていないはず。

 8月にかけて、長岡花火や別の仕事でも東北新幹線に乗る機会があって、特にはやぶさにお世話になったのだが、全席指定席が満席ばかりで、座れない自由席の立席券を買ってどちらも乗車していた。廊下で立ちっぱなしはツラかった。

 だから今回は、小倉から東京の間も、東京から青森の間も、事前にしっかり新幹線の指定席を確保していた。過去の失敗が活かされたし、おかげで移動時間の割に疲れはない。明日には出発したいところだが、溜まっている別の仕事をこなさなければ。真剣に、ゆっくり急げ。

 

8/21(月)晴れ

 喫茶店に向かおうとしていたら、カラッと晴れた青空で、作業日に充てるよりも、旅した方がいいんじゃないかと揺らいだ。でも、今日書きたい原稿は最低でも片手以上あったし、やはり作業を優先させることにした。

 もちろん、作業の内訳は、内容によって重さ軽さがぜんぜん違う。心理的な安心感を保つために、体力があるときにやっておく。全部の原稿は終わらなかったけれど、旅移動の夜に同じ作業量をこなすことはやっぱりできないから。

 

8/22(火)晴れ

 むつ市で思い浮かぶものは、恐山と、今年青森県知事になられた宮下宗一郎さんがむつ市出身であること。そのイメージが今日、一新された。

 むつ市街地から旧川内町、旧脇野沢村にかけての陸奥湾沿いの道は素晴らしかった。海が若干霞むことで、空との境界線が曖昧になった姿は、幻想のようだった。

 特に旧脇野沢村は、地面、建物、電柱、空、すべてが昔の時代のまま残っていた。少なくとも、令和5年からタイムスリップできた。それは決して悪い意味ではない。観光地ではないかもしれないけれど、村制100年以上の歴史を誇る土地の歴史は消え失せていなかった。今日までしっかり息づいていた。旧大畑町も、津軽海峡に面する穏やかで落ち着いたまちなみが残っていた。

 恐山もだが、総じてむつ市にはこうした素晴らしいまちなみが残っているんだ。それを知れたことの方が圧倒的に嬉しいと思えた。心から素晴らしいと感じた景色だった。

 これで無事に青森県の旅が終わった。とてもホッとしている。奥入瀬渓流に青池、津軽半島と下北半島、そして夏祭り。この時間を経る前と経た後では、体の中にあるものが、ぜんぜん違う。つくづくありがたい経験をさせてもらった。

 

8/23(水)晴れ

 今日は8月24日なので、翌日に書いている。翌日ならまだ覚えられていられるけれど、毎日旅が続くと、数日前のことがどんどん曖昧になる。

 津軽海峡フェリーは思いのほか大きくて、朝7時の出発でも乗り場が大変混み合っていた。航路に需要があるのだなあと思う。

 南茅部や椴法華といった函館の東側は、未知の景色だった。恵山だけではなく、ごく普通の暮らしもあるのだ。

やはり日本は広い。

 五稜郭もようやく行くことができたし、残すは夜景のみ。ただ、今回は行かない。体力的にもだし、ひとりで行ってもね。

 暑さで小中学校の夏休みが1日延びたとニュースで話題になっていて、温泉でもその会話を聞いた。函館も今年はほんとうに暑いわけだ。

 

8/24(木)晴れ

 当然ながら移動距離が長くなってきたけれど、それを目的とせず、自分のペースを守って進んでいくことだ。

 デジタルとフィルムのバランスが、自分の中にできつつある。まだ現像できていないけれど、仕上がりによってはスタイルがだいぶ変わるし、新しい自分に出会える。「何のために写真を撮っているか」をぶれさせないこと。

 

8/25(金)晴れ

 枝幸町のホテルにチェックインできたおかげで、荷物も楽に旅を進めることができた。江差町から旧瀬棚町まで、地図で見ると大した距離がなさそうに見えるけれど、目の錯覚だった。やっぱり、北海道の広さを体に取り込んで進めていかなければ。全体のルートをうまく仕上げて、少しでもしっかり進んでいきたい。その日その日のベストを積み重ねていくことだ。




仁科勝介(かつお)
1996年生まれ、岡山県倉敷市出身。広島大学経済学部卒。
2018年3月に市町村一周の旅を始め、
2020年1月に全1741の市町村巡りを達成。
2023年4月から旧市町村一周の旅に出る。


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