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だけど願いはかなわない 第四話「シロさん」


勤務を終えるのは、大体朝の九時少し前。二十四時間勤務自体にはもう慣れっ子だが、出動があって仮眠が取れなかった日のこの時間帯はさすがにドッと疲れが出る。

「おい、あおい。聞いたか?」

重い身体を引きずりながら更衣室のドアを開けると、同じく勤務明けの先輩が神妙な顔で話しかけてきた。署内に同姓が二人居るのと、悪人顔なのに女みたいな名前というギャップが強いインパクトを放っているらしく、俺は普段下の名前で呼ばれる事が多い。

「〇〇区で起きた中学校のボヤ騒ぎ、生徒の放火って話らしいぞ。」

消防士になって八年、数多くの現場を経験した。その中にはもちろん放火によるものも少なくは無かったが、未成年が絡むケースというのはさすがに胸がざわつく。

先輩と一緒に私服に着替えながら、その生徒の背景についてアレコレお互いの思考を巡らせた。

非行少年のような生徒なのだろうか?それとも、逆に虐められていたか、もしくは教師に恨みを抱いていたのかもしれない。

学校という所は、実にえげつない所だと俺は思う。大人と子どもの中間で戸惑っている心身が本人の意思とは無関係に箱詰めにされ、そして絶え間なく生まれ出るフラストレーションは、まるで恨みを抱いた悪霊のようにいつも漂っていた。

当時既に自分が同性愛者だという自覚があった俺は、この事は絶対に周囲に悟らせまいと必死だったものだ。もし知られてしまえば、あっという間に悪霊の餌食にされてしまうのだから。

放火は決して許される事では無いが、あの陰湿な空間に堪えかねた結果の犯行なのかもしれないと、少しだけ犯人の生徒に同情した。

先輩はひとしきりその中学生の放火犯の話を終えると、ガラッと表情を変え、今度は少しおどけた物腰で俺に迫った。

「ところで… さ。あおい、お前、美人の彼女居るだろ?彼女に頼んでさ、友達集めて合コンセッティングしてくれよ。」

幼なじみで同居人のジュンはもちろん彼女では無いが、ジュン本人の了承を得た上で、職場や一部の友人の前では彼女という事で通している。

消防士は職業柄割とモテるが、それと同時に性欲の強めな女好きが多く、バツイチも珍しくない。この先輩も、風俗狂いがたたって半年程前にバツイチになった。独り身が寂しくなってきた頃合いなのだろう。

「すみません。俺の彼女、仕事がメチャクチャ忙しいんで。では、お先に失礼します。お疲れ様でした!」

やっかいな事になる前に先輩を振り切り、俺はそそくさと職場を後にした。
帰路に着いている途中、ぼんやりと学生時代の事が浮かんできた。

中学や高校と言った究極に不安定な閉鎖空間においても、自分を貫き通す強さを持った生徒というのはたまに居る。

ジュンは、正にそういう生徒だった。

相手が教師だろうと先輩だろうと、間違っている事は間違っていると言うし、嫌な事は嫌だと拒否をする。なので度々敵を作るが、味方の人間の方がずっと多かった。美人なので特に男子に好かれたし、ジュンの堂々とした態度に一目置く生徒は女子にも少なくなかった。一言で言うと、皆の憧れの存在だったのだ。

ジュンがあんなに真っ直ぐに自分らしく居られたのは、もちろん元々の性格もあるだろうが、一番の理由は、『ジュンの世界』が学校の中に無かったからだと俺は思う。

ジュンは、例えその身体がどこに居ようと、心はいつもシロさんと一緒だった。シロさんというのは、俺の三つ上の兄、シロウの事だ。

俺とジュンは同じ産院で九時間違いで産まれ、お互いの自宅が三軒隣の上、母親同士のウマも合い、幼稚園に入園する前からずっと一緒だった。

それから俺には、ニューヨークに住む伯父夫婦の養子になった兄が居た。
ジュンは、幼い頃からずっとその兄に恋をしていた。ジュンにとって、唯一の異性が兄であると言っても過言では無いレベルで。

兄は、一度耳にした言葉や数字、目にした風景や記号を全て覚えてしまえる程の超人的な記憶能力があり、思考能力や計算能力も人並み外れて高い子どもだったが、しかし、それと同時、ディスレクシア(失読症)でもあった。

つまり、超人的に頭が良いのに文字の読み書きが出来無いのだ。

そういった子どもは日本では持て余されてしまうだろうからと、ニューヨークで医師として働く伯父夫婦の方から兄を養子にしたいと申し出があったそうだ。両親はもちろん悩んだのだろうが、伯父夫婦が信頼に足る人物であった事、そして何より、幼いながらも日本での生活に困難を覚えていた兄本人の苦悩を見て、養子の話を受け入れた。

養子関連の話を他人にすると勘違いされる事が多いが、『一般養子縁組』は、実の家族との縁が切れるワケでは無い。伯父夫婦はアメリカのグリーンカード(永住権)は持っていたが国籍は日本にあり、以前目にした兄の戸籍謄本には実の両親の名前も記載されていた。

書類上の話だけではなく、事実、兄は四人の親から愛されて育ったと思う。伯父夫婦は、兄と実の家族との交流に積極的だった。兄は普段はニューヨークに住みながらも、長期の休みの際は日本で過ごす事も多かったし、俺自身も兄弟としての実感をちゃんと持って育った。

それと同時、ジュンと俺も、兄妹は言い過ぎだとしても、『仲の良いいとこ』のようにして育った。お互いの母親が親しいというだけでなく、それぞれ頼れる親戚が近くに居なかった事もあり、俺の両親の帰りが遅い日にはジュンの家でご飯を食べ、ジュンの両親がぎっくり腰でダウンした時はジュンがこちらの家に泊まり、当り前の様に二つの家を行き来しながら成長した。

そんな環境の中、ジュンは兄に恋をし、兄もジュンを妹の様に可愛がった。やがて成長した二人は親も公認の恋人同士となり、兄が日本で過ごす際にはジュンが寄り添って本を読む姿が当り前の光景になっていた。

兄の失読症は驚異的な知能でカバーされ、印字された英語ならばほぼ普通の人と同じように理解出来るようになっていた。“ほぼ”というのは、英語の文章が読めるというワケでは無く、アルファベットとそれを組み合わせた単語の形を写真のように記憶するという方法なので、例えば同じ『Apple (りんご)』でも、印字の書体が違うだけで兄にとっては全くの別物になってしまう。なので、アメリカで主に使われている数種類の書体なら理解出来るが、それ以外の手書き文字や初めて目にするイレギュラーな書体であれば『新しい情報』になってしまい理解ができない。

それは日本語も同じで、平仮名やカタカナだけでなく、膨大な量の漢字全てを書体毎に記憶する必要があったので、兄にとって日本語を読むという行為は英語を読む事よりも更に困難なものだった。

そのくせ本好きの兄のため、ジュンはいつも兄の隣で朗読をした。兄が読みたがる日本語の本を、片っ端から全部。兄にとってその時間は何よりも特別なものらしく、普段あまり表情の無い兄が、びっくりするくらい穏やかな顔を見せるのだ。

そして兄は、兄でも読めるようなフリガナ付きの本も、英訳本が出回っている日本人作家の本も、わざとジュンに読んでもらうのだった。

俺が記憶の中で兄とジュンの二人を思い浮かべる時、二人は決まって本の前で寄り添い、兄は心地良さげにジュンの声に耳を傾けている。

・・・・・


ハルキ君はいつも最初に、時間をかけて何度もじっくりキスをする。

そしてキスをしながら、まるで宝物に触れるかのようにそっと優しく私の腰に手を回し、もう片方の手は愛おしむように髪や首をゆっくり撫で、やがて服の上から胸に触れる。

私の頑なな心が少しずつほぐされ、身体が火照り始めてきた頃、その優しい手が男性的な力強さを持ち始め、服の中に進入し、唇は全身を責め出す。
決してむやみやたらと舐め回すわけではなくて、ちゃんと私の反応を見ながら、キスと舌を上手に使い分け、彼の指と一緒に私に沢山の声をあげさせる。

そして彼の童顔に似合わない下半身と、見た目からは想像のつかないタフさは、彼とベッドを共にする度に必ず私の頭を真っ白にさせてくれるのだ。

相手の男性に特別な床上手を求めて居たわけではなかったので、これは大変に贅沢なおまけだった。

シロさんが居なくなってからの約九年間、私に好意を抱いてくれた何人かの人とデートをした事はあった。けれどその人達と肌を重ねる気にはなれず、一緒に居ても得られるのは罪悪感と虚しさだけだった。一度、不意にキスをされた時は、自分でも呆れる事に過呼吸を起こした。

でも、ハルキ君は違った。ハルキ君に触れられると、身体だけでなく心も満たされる感じがする。もしかしたらそれは、ハルキ君が優しいからとか上手だからというだけでは無くて、彼に抱かれているのが『ジュン』ではなく『スミ』だからという事に深く関係しているのかもしれない。

私は、『私』に愛情を持って接してきてくれた今までの彼らに対し、貴方の側に居ても私の心は貴方に無いと、いつも後ろめたい気持ちを持っていたからだ。

理由は何にしろ、最近の私にとってハルキ君と会う事は、例えば心待ちにしていた映画の公開初日に、同居人で仲良しのあおいちゃんと夜更かしレイトショーに出かけるのと同じくらいには楽しみなイベントになっていた。

『ゴメン、人身事故で電車が遅れています。外は寒いので先にお店に入っていて下さい。』

ハルキ君からのメッセージに簡単に返事をし、待ち合わせ場所のレストランに入店した。

窓際の席に案内され、とりあえずコーヒーを注文し、予定外に空いた時間を活用しようとバッグから鬼塚さんの新刊を取り出す。

週刊男性誌で連載中のコラムをまとめたこの単行本は、ネット販売や一般の本屋に出回るのは明日以降の予定で、少しだけ優越感のようなものに浸りながら表紙をめくった。

二十分程経った頃だろうか。窓ガラスを叩く音に顔を上げると、ガラスの向こう側にはひたすらに申し訳なさそうな表情を浮かべたハルキ君が居た。

「スミちゃん、本当にごめんね!結構待たせたよね?」

入店後、コートも脱がずに真っ先に謝罪をするハルキ君に、人身事故のせいなのだから気にしなくていいのにと思いつつ、この一所懸命な子犬みたいなところが可愛いくて、思わず笑ってしまいそうになる。

「大丈夫だよ、本読みながら待ってたし。それより、ちょうどお腹空いてきたから注文しよう?」

私がそう言ってメニューを広げると、ハルキ君は安心した様子でやっと笑顔を浮かべてくれた。

運ばれてきた食事を半分ほど口にした頃、広いテーブルの隅に出しっぱなしだった鬼塚さんの新刊を見てハルキ君が言った。

「その本、面白い?」

「うん、面白いよ。これはもらった本だから私の趣味ってわけじゃ無いけど。三、四十代の男の人向けの内容だから、ハルキ君にはちょうどいいと思う。」

「スミちゃん、本好きだよね。待ち合わせの時、大体読書してるし。」

そういえば、と、ハルキ君が続けた言葉に、私の食事の手が止まる。

「スミちゃんって、本を読む時、ちょっとだけ口が動くの、自分で気付いてた?あの癖、可愛くて僕好きだな。」

瞬間、頭の中で強烈なストロボが焚かれた。

真っ白になる視界。

大きめの砂利を詰め込まれたように、胸がうずく。

息が、息が上手くできない。

指先が痺れる。

床にフォークが落ちる音がした。

喉の奥が苦しい。苦しい。苦しい。

いつの間にか私の頬は涙で濡れていて、目の前のハルキ君は真っ青な顔で立ち上がり、店員さんに「救急車を!」と叫んだ。





つづく

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