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だけど願いはかなわない 第五話「三者面談」(前編)


入稿後の惰眠という至福の時間を、あろうことか携帯の着信音に遮られた。

俺はその着信相手を確認しないまま、電話機能のみの極小ガラパゴス携帯を手にするやいなや隣の部屋に投げ捨て、ピシャリと襖を閉じると再び我が身を畳に預けた。

しかし襖越し、留守電に切り替わる際の通知音と、それから聞き覚えの無い男の声が聞こえ出し、その話の内容に思わず目を見開く。

『………履歴から連絡を……救急搬送され………折り返し…』

てっきり、若手編集者の及川が車に轢かれでもしたのかと思い、渋々隣室まで身体を這わせて再び携帯を手に取った。そう思い至った理由は、つい数時間前まで俺を監視していた及川のヤツに対し、心底そう願っていたからだ。

着信履歴を確認し、俺がジュンに貸し与えている仕事用の携帯電話からだと気付き、思わず上体を起こして息を飲んだ。最悪の事態が頭を過ぎり、慌てて発信ボタンを押した。

少し長めにコールが鳴り、電話口に出たのは先程の男の声だった。

『あ…もしもし。突然すみません、僕は、あの…彼女の友人の春日と言います。彼女の職場の方でいらっしゃいますか?』

てっきり救急隊員だと思っていたので少し拍子抜けしたが、そのジュンの友人を名乗る男の周囲は激しいサイレン音に包まれており、救急車に同乗して移動している最中なのだと瞬時に理解する。

「そうですが、ジュン…さんがどうしました?彼女は無事ですか?」

いつもの癖で呼び捨てしてしまいそうになり、まさしく取って付けたように敬称を継ぎ足した。いや、そもそも名字で呼ぶべきだったのだろう。いい年をした中年のくせに、こういう時に社会性の無さが出てしまう。しかし、今はそんな事を考えている場合では無い。

電話口の男も平常心では無いらしく、たどたどしい説明を返す。

『 ──── あ、はい…彼女…は、無事です。意識も、ついさっきまでは ──── いえ、すみません、紛らわしい言い方で。あの、救急隊員の方が言うには、おそらく気を失っているだけだそうです。』

深刻な状況かと肝を冷やしたが、どうやら想像よりずっと軽症らしい。

「そうですか、ご連絡ありがとうございます。怪我の様子は?」

『あ、その、交通事故とかでは無いんです。一緒に食事をしていた最中に急に倒れて、過呼吸か貧血か…まだ分りませんが、僕が見たところだと、そんな感じだったと思います。』

貧血という言葉に安堵していると、男は「それでですね」と言葉をつなげ、俺に電話をかけた理由を語り出した。

『彼女が職場に…おそらく自分のデスクの上という話ですが、カードケースを忘れていて、保険証もその中にあるのではないかと心配していました。あの、僕でよければ取りに伺いますが…。』

正直、寝ていたい。昨夜はこの四十歳ピチピチの老体にムチ打って徹夜をし、再び夜を迎えたのだ。睡眠は、まだ仮眠程度にしか取れていない。「それはご親切にどうも」と、笑顔でこの厚意に甘えてしまいたい。

しかし、物書きとしての野次馬根性と、この非常事態に雇い主としての優しさを見せておくかという打算、それから一応はジュンを心配に思う気持ちが戦った結果、俺は立ち上がって上着を手にしながら答えた。

「いや、それには及びません。俺が向かいますよ。搬送先の病院を教えて下さい。」


・・・・・


ーーーーーたたない。

何がって、つまり、アレが。

一般的にゲイと聞いて思い浮かべるイメージと言えば、好みの同性を見てはしゃいでいるような、いわゆるお盛んなタイプなのだろう。しかしここ数年、特に半年程、俺はすっかり性欲が衰えていた。

子どもを成す予定はもちろん無いので、何が困ると言う話でもないが…いや、それを言ってしまえば、同性愛者の性行為自体が意味が無いものになってしまうばかりか、世界で一番数多く行われているであろう『避妊した上で行う異性間の性行為』ですら、全て無意味という事になってしまう。

とにかく、このまま枯れてしまうなんて、まだ三十代に突入したばかりの俺には受け入れがたい話だった。

焦った俺は、それまであまり利用した事が無かったゲイサウナやゲイ専用のマッチングアプリを用いて自分を奮い立たせようとしたが、どうにもこうにも気分が乗らない。全くと言うワケでは無いが、以前のような興奮や快感とはほど遠かった。

相手に事欠いているワケでは無い。俺はモテる。趣味と実益を兼ねて鍛え上げられたこの身体は、モテ線の王道中の王道だ。出会いのために行動を起こせば、結果はキチンと付いて来る。

なのに、俺は今日もゲイサウナの更衣室で一人ため息をついた。

ウォーターサーバーの水で一息つき、不発に終わったこの数時間を嘆きながらコインロッカーを開ける。職業柄、真っ先にスマホを確認した。消防士は、休日でも呼び出しがかかる事は珍しくない。

ロック画面の表示が、留守電が二件入っている事を告げていた。まさかこんなタイミングで災害発生かとドキリとしつつ確認すると、その二件ともが同居人のジュンからだった。

電話なんて珍しいなと思いながら、留守電を再生した。

『あおいちゃんごめん、出先で倒れて〇〇病院に運ばれました。今はピンピンしてるから心配しないでね。倒れた時に右手を打ったみたいで、文字を打つのが辛くて電話をしてます。念のため今日はこのまま入院で、明日検査だそうです。』

『スマホの充電が切れそうなので、何かあれば仕事用の携帯の方に連絡して下さい。あっちは通話機能のみなので電話でお願いします。』


・・・・・


救急隊員からスミちゃんとの関係性を尋ねられ、一瞬何と答えるか迷った後で友人ですと返した。

僕も一緒に救急車に乗っていいのか分らず逡巡していると、忘れ物が無いように気を付けて下さいと言われ、慌てて彼女の荷物と上着をかき集めた。自分の上着を置き去りにしそうになり、「僕が慌ててどうする!」と、心の中で喝を入れた。

ストレッチャーに乗せられたスミちゃんの顔は真っ白で、「意識はありますか?」「私の声が聞こえていますか?」という問いかけに弱々しい声で応じていた。

「お名前を教えていただけますか?」

救急隊員が投げかけたその質問にスミちゃんが返事をするまで、少しの間が空いた。横で聞いていた僕は、昔親戚が交通事故に遭った後しばらく頭が混乱していた事を思い出しヒヤリとしたが、次の瞬間彼女が返事を迷った理由が僕にある事を知った。

「………イズミ、ジュン…です。」

「イズミジュンさん。生年月日は言えますか?」

「××××年、五月十六日です。」

その後、持病の有無や吐き気が無いかといった一通りの質問が続いたが、それらはもう僕の耳には届かなかった。

こんな状況で、僕は一体何を身勝手に傷付いているのだろう。自分も彼女に嘘をついているくせに、彼女は僕に心を許してくれていなかったのだろうか、それとも本名を隠していたのは旦那さんや恋人が居るからだろうかと、そんな事ばかり考えてしまう。

しばらくすると救急車が発車し、サイレンの音にかき消されそうな小さな声でスミちゃんが僕の名前を呼んだ。その声に我に返ると、彼女は半分だけ開かれた虚ろな瞳で「ゴメンね」と呟いた。

それが何に対してのゴメンなのかは聞かなくても分ったが、僕はあえて気付かないフリをした。

「気にしないで。明日は代休を取ってて休みだから、時間も大丈夫だよ。それより、僕に出来る事は無い?必要な物があれば病院に着いてから買ってくるし…そうだ、誰かに連絡とかしなくてもいいの?」

スミちゃんは僕の言葉を反芻するように「連絡…」と繰り返し、少し考えた後、バッグの中にスマートフォンと普通の携帯電話の両方が入っているのでその携帯電話の方を取って欲しいと言った。

僕は念のため救急隊員に車内での通話や通信が問題無い事を確認し、それからスミちゃんの荷物を手に取った。

「じゃあごめん、バッグ開けるね。」

そう言って彼女の荷物を探るが、女性用バッグ特有の複雑な構造に激しく手惑う。

「私、職場にカードケース忘れてるの…多分、デスクの上。確か、保険証もカードも全部その中で…。」

そこまで言うとスミちゃんの声は、それまでより一段と小さくなった。僕は、想像よりもずっと小型だった携帯電話をやっと見付けだし、焦りながらスミちゃんに差し出した。

けれどスミちゃんの身体はテキパキと電話をかけられるような状態では無いらしく、発信履歴をリダイヤルしてから自分の耳元にあてて欲しいと言う。
スミちゃんの耳元に添えた携帯からコール音が聞こえてきた。なかなか相手が出ないなと思っていると、スミちゃんのか細い声がうわごとのようになり、半分開かれていた瞳をまぶたが覆った。

「……ごめん…この人、私の上司で、職場と同じ建物に住んでるの……ハルキ君………ごめん…伝えて…お願い……ごめん…。」

「スミちゃん!?」

動揺する僕を尻目に、二名の救急隊員が手慣れた様子でスミちゃんの容態を確認する。思わず泣き出しそうな僕に、「おそらく気を失っているだけです」と言い、落ち着くように促した。

僕の手の中で、携帯電話が留守電に切り替わる事を知らせている。何と説明すれば良いのか頭が働かず、必死にメッセージを録音した。電話を切り、スミちゃんの容態について二、三質問していると、すぐに折り返しのコールが鳴った。

電話の相手は落ち着いた中年男性の声で、スミちゃんの事をやはりジュンと呼んだ。

分っていた事だ。けれど、それでも少しショックで、そしてそれと同時にその上司が彼女を下の名前で呼んだ事に違和感を覚えた。まともな会社ならば、今時あり得ないだろう。

本当にただの仕事の関係者なのだろうかという疑問が頭をもたげ、不安と猜疑心に襲われながら言葉を交わしていると、相手は最後に今からコチラに向かうと主張して電話を切った。

正直良い気分はしなかった。けれど、目の前のスミちゃんへの心配と、これからこの車両が向かう病院の事を考えるとそれどころでは無かった。

(まさか、よりによって…いや、確かにこの辺ではあそこに搬送される可能性は高い。落ち着いて、大丈夫だ。夜に居るはずがない。落ち着いて…。)

救急隊員が告げた搬送先は、僕の戸籍上の妻が医療事務員として働く総合病院だった。





つづく

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