僕の(失われた)気分の取り返し方について

さっきまでは悲しんで、今は爆笑しているもの、なーんだ。

僕だ。
さっきまでは少しヘラった文章を書いていた僕も2時間も経てばEDMを聴いて本を読みながら笑っている。やはり読書とEDMと暴力は全てを解決する。

曲が作りたくなってきた。素材がたくさん入った闇鍋のような曲を。鈴木みのるは引き算のプロレスをするが、それは足し算で満タンになってからはじまるもので、僕としてはまず足すところから始めたい。

僕は今、『プルーストを読む生活』を読んでいる。これも最高だ。愛している。

"哲学の本で《主体》という言葉がでてきたら、健康的でクールな、しばしばブルジョワジーの白人男性のことをイメージしてだいたい間違いない。《主体》は、 つわりで苦しんだりしないし、肌の色の差でいわれのない差別を受けたりしないし、一二時間連続労働で肉体を酷使したりしない。
人間存在を論じる高尚な学問のなかに、ある偏見がすべりこんでいることがままある。 《主体》が大人を前提にしていることも同様。大人と違って子供は頭が悪くて、非合理な感情に支配されて泣いたり、怒ったり、だだをこねたりする。動物のように野蛮だ。そんなものを真面目に考えることなんてできない・・・・・・が、人生とはそこから出発したのだ、と清水は考える。 プラグマティズムは不完全な人間像を肯定するところから出発する。みんなどこかしら偏っ ていて歪んでいて欠けている。神さまみたいになれない。特に子供は失敗の宝庫だ。約束は守れないし、我慢という言葉を知らないし、そのくせドタバタと動き回る。あぶないったらありゃしない。あと、おねしょもするし、トイレしたあとのケツの拭き方も知らない。ガッデム!
しかし、あとで振り返ったら死にたくなるような、そんなクソみたいな時間を、白人だって 黒人だって、男性だって女性だって、通過しながら大人になる。プラグマティズムの普遍性は、 こういった、人間が馬鹿として生まれ落ちるという誕生の条件性に基礎をもっている。"
引用元: 『プルーストを読む生活』柿内正午

ああ、最高だ。こう言う文章を読みたかったのだ。楽しすぎる。
ついでにプラグマティズムの本もメルカリでポチる。

ところで、引用の幅というものはどこまでがセーフなのだろうか。大学でネットリテラシーの講義を受講した経験があるので、僕はすぐにそういうことを考えてしまう。国立図書館では全体の半分までコピーをとることが許されているので、今回の引用は全体の半分に達していないから大丈夫なのだろうか。少し不安になるがどうしようもない。ggrksと言われればそこまでなので、ググることにする。ググったら、書く必要があるらしい、なるほど。

いや、こんなにどうでも良い頭の中を書き出すnoteだっけなと思ったが、今思うと最初からこうだった。問題ない。

それにしても僕のこの感情の起伏はおかしい。躁鬱みたいになってしまっている。やはり外に出るべきだな、多少気が乗らなくても。

対面のゼミがあったこともあり、研究室が知らない人でごった返している。3年間もいるにも関わらず、人見知りしそうだ。ギター弾いてる奴もいて最高すぎる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?