1.初めてのnote|表現者について

初めまして、キョーコと申します。

正直自己紹介というものは私にとって気持ちの良くないことなのですが、初めて投稿するからにはある程度必要だと思うので軽く紹介します。


プロフィール

キョーコです。名前は「キョーコちゃんって呼ばれたいかも」くらいの気持ちで付けました。意味はありません。

現在は大学生で、工学を勉強しています。
性別は女、好きなことは想像と観察、文学も好きです。嫌いなものは傷口と、眠れなかった日の朝食です。

自己紹介が嫌いな理由は、相手から求められる「自分」は他者と断絶した1人の人間であるという事実から逃れられないからです。自分の嫌いなところから逃れられない、社会の一員として責任を伴う。繰り返しますが、自己紹介とは初めに私が自己をハッキリさせる行為だと思います。孤独です。

それから身バレ防止などを考えると、残念ながらこれ以上紹介できることもないんですよ。あとここで好きなアーティストなど言っても何にもならないでしょう、、(モノやコトではなく、他者で自分を着飾ることは適切だろうか?と時々思います。)

noteを始めた理由

恥じらいで何も始められないことに悔しさを感じたからです。

孤独を感じつつ孤独を好んで生きている私の夢は、表現者になることです。それをいつか、形だけでも叶えたいなと願っています。

表現者の自我の必要性を疑って

私は洋服が好きなのでモデルさんのランウェイをよくyoutubeで見ます。
モデルさんは、みんなマネキンのように余計な感情を排除して、こちら側に歩いてきます。それでも芸術を作り上げる、そのような強烈なオーラを纏う人達はとても神秘的です。単に美しい形の顔や体だから起こる現象なのではなくて、プロだからなのだと、何も知らない私でもそう思いました。

私は文学が好きなので、よく本屋さんに行きます。
始めは小説を取るのですが、どうしても小説は苦手です。時には会話文の多さに目を回してしまうのです。本は五感すべてに関してとても静かであり美しい芸術ですが、芸術に口があって喋っているのではなくて生身の人間に口が付いていると感じる本によく出会います。
これは当然、作品を読めない私の力不足だけれど、どうも性に合わないとは感じるのです。私が好きな作品は、写生的なものやシュルレアリスムと呼ばれる形態です。どちらも表現の程度は違えど、現実的というところでとても似通っています。

本屋では次に詩集を取ります。詩はとても好きです。素直さには残酷さが滲むこともあるけれど、感情だけで言葉を並べる詩はあまりありません。詩において、感情はあくまで表現されるものだからでしょうか。難解なものは読めませんが、現代詩の形が完成する直前の作品が好きです。理由はないけれど、強いて言うなら何かが欠落することで美しく輝く現代詩よりも写実的だからだと思います。

随分話が長くなってしまったけれど、言いたいことは表現者の自我の必要性です。今まで、日常的にSNSを見る私にとって自分という存在が重要であると思っていたし、芸術を鑑賞する際には才能がある人を羨んでいました。自身の素敵な能力を主張することで人の価値が決まるような気がしていたけれど、表現する際に自我が透けることは一番醜いのではないかと思うようになりました。プロは勿論自分を魅せるけれど、自我を芸術の道具として表現している、そんな感覚がしたのです。

それを踏まえて、私は何がしたいんだろうと考えたんです。取り合えずやってみる他無いだろうと、そんな軽い気持ちで今キーボードを打っています。

これから投稿する内容

余裕があるときに詩や日記を投稿していこうと思います。続くかは正直微妙なところですが、暫くは自分が満足するようにやっていければと思います。

よろしくお願いします。


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