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不食すると別人になるの?

こんにちは!
お気楽不食者CHIKOTOです♪

昨日は久しぶりに友人夫婦とお茶をしました。
出会って10年以上。

そのご夫婦に
「初めて会った時の私たちと今の私たちでは【別人】のようだ」と言われました。
もちろん見た目も私たちは夫婦で合わせて30kg以上痩せたので激変したのですがwオーラが全く違うそうです。(知らんけど~)(*^▽^*)

たしか初めてお会いしたのは東京で【マイルのセミナー】でした。
それからは年に1度くらいのペースでお会いする仲。

だから私たちの徐々に、徐々に変化していく過程も全てご存じのご夫婦なのです。

10年前の私たち夫婦は
お金(物質)至上主義にどっぷりハマっていました。

お金(物質)が幸せに必要不可欠だと追いかけていた頃


それから会社を辞め、徐々に物質からの囚われから解放されていきました。
そして今から2年4ヶ月前、不食となりました。

昨日は不食となってから初めてその友人夫婦にお会いしたので
私たちの変わりように「まるで別人のようだ!」という感想を持たれたのではないかと思います。

自分を自分ではみることは出来ない

人は自分を知るために外に現実を映し出します。
自分で自分をみることは出来ないから分離を創り自分自身を外に投影するのです。

自分で自分の変化を知ることは出来ないから
他人(現象)を創り出し、自分という存在を気付かせてくれるのですね。

普段私たちは夫と二人だけw
ポツンと一軒家みたいな生活を送っています。
※実際に山の中の生活ではありませんがほとんど人と関わることがない生活なので(^◇^;)。
たまに会いに来てくれる貴重な友人のお陰で気付かされること(学び)がいっぱいありました。(感謝です)

以前の私ならたまに合う友人に
これからの世界(お金)について
「アレはどうなるだろう?これはどうしたら良いだろう?」と
まだ起きてもいないことを心配し人に意見を求めていました。

自分とは関係のない人(事)について
「あの人はどうなった?あの事はどうなった?」と
詮索したり噂をしたりしていました。
人と比較して自分を安心させようとしていたのです。

人の不幸で自分を優位に感じたり
人より自分はまだマシだと安心したり….

不食を始めてから
心配や不安、恐怖が自然と消えていた。

人はなぜ不安になるのでしょう?
それは執着の度合いに比例すると思います。

執着があると不安や心配、恐怖、悩みがつきません。
いわゆる(人間社会で言う)不幸の始まりです。
※どんな経験も素晴らしいです。良い悪いはありません。

もちろん私も全ての執着が消えた訳ではありません。
徐々に執着を手放し始めて
やがて自然と食への執着が収まり始めた頃
気がつくと気楽な不食者(食べてもいい、食べなくてもいい)となっていました。
すると(気がつくと自然に)
モノやお金、家族への執着も薄れていました。
どちらが先かは分かりません。

気がつくと….
お金の心配を一切しなくなっていた。
息子への心配も頭にも上らなくなっていた。
自分の健康(体重)も気にならなくなっていた。

そうです。
気がつくと….
知らんけど….
そんな感じなのです。

忘れよう!忘れよう!と思えば思うほど忘れられない。
健康になろう!
お金を稼ぎたい!
食べてはいけない!
想えば想うほど実際はそこにフォーカス(執着)しているのです。


久々に会った友人夫婦によって
私たち夫婦は以前に比べ
自然と執着を手放ていたことに気づけたというお話でした笑

もう一つ
今回の事で驚くべき変化に気づきました。
それは次回お話します。


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食からの解放
不食とは囚われない自由な生き方

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