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身体は神様が住む神殿(お供え編)

こんにちは!
お気楽不食者CHIKOTOです♪

今日も私の神様が教えてくれたことを書きます。

私ってなぁに?

私の本体は魂(非物質)
魂は神様と一体

だから私は神様(の一部)

身体(肉体)は神様の入れ物(乗り物)

じゃあ今まで私と思っていた私(肉体)はなぁに?
肉体は魂(神)の入れ物(乗り物)

そう肉体は神様が住まわれる神殿

だから大事な神様が居心地よく過ごしてもらえるように
神殿(身体)はいつも綺麗に心地よい環境にしたいと私は考えています。

今の地球では肉体を作る素になるものは食べ物(物質)。

だから神殿の素となる食べ物は純粋で、余らせない(腐らせない)事をモットーにしています。

どんなに素晴らしい食べ物だって食べ過ぎれば消化しきれずそれは毒となって肉体を腐らせてしまいます。

断食の神様「甲田光雄先生」が仰るように
少食こそ愛と慈悲の行動。
ほとんどの病気は食べ過ぎ、そして宿便が原因なのです。

神様の食事

自分が神様なのだと自覚できれば
わざわざ神様を汚す、苦しめる食事はしないし
反対に食事は神様に捧げるお供えとなります。

誰だって神棚や神殿はいつも綺麗にお掃除して最高のものをお供えしたいと思いますよね♪


沖縄のヒヌカン(火の神様)毎月旧暦1日と15日にお供えと拝みをしています。お供えは塩と水と玄米。

神様と一体となり繋がっていれば
何をどのくらい食べれば良いかは自然に分かるようになります。

多すぎたり合わないものであれば身体は重くなったり、下痢や便秘になったり様々な不調で知らせてくれます。

以前の私は頭(エゴ)で生きていました。

魂(神様)と繋がっていなかったから
常に「食べたい!食べたい」という我欲で本当の魂の望みを聞こうとしていなかった。

だからストレスがあれば発散で食べる
暇で食べる
卑しさから食べる事を繰り返していました。

食べては太ることを気にして
ダイエットと挫折を常に繰り返し
食べるという行為に罪悪感や後悔の念を抱き自分を罰し自分を嫌っていました。

自分を愛することとは

タイやインドのお寺に行ったときお寺の隅々までお掃除をしている人がそこらじゅうにいました。
そして彼らはとても穏やかでとても幸せそうでした。

昔の私はお金(物質欲)にまみれていました。
お掃除はお金を出して誰かにやって貰った方が効率的だと
家のお掃除まで誰かにお願いしていました。

そんな生産性の無い事をする時間が有るのならビジネス書を読んだり仕事をする方が素晴らしい事だと本気で思い込んでいたのです。(^◇^;)

今、考えればお金を稼ぐ為に働いていた【お金の奴隷】でした。
幸せになる為には絶対にお金が不可欠で
お金さえあれば幸せになれると信じ込んでいたのです。

お寺や神殿をお掃除している人はお金が沢山あるわけでは無いのにとても幸せな穏やかなお顔をしています。

それは神様と一緒にいる(満たされている)と知っているから。

お掃除する事は神様(自分)を大切に愛している行動なのです。

そしてそれは誰かが代わってやってくれることは出来ません。

自分を大切にし自分を満たす事が出来るのは自分だけです。

お掃除代行サービスではダメなんです(*≧∀≦*)

そして外に幸せを求めている限りいつまでも満たされる事はないのです。

自分を愛する。
それは自分の神殿(肉体)を大切にお掃除して気遣って整えて愛すること。

少しの新鮮なお野菜や玄米、お塩やお水で身体(神殿)を綺麗にピカピカにしてあげたら….

私は生まれ変わりました。(※私の場合はお味噌汁)

病気がちで、不安でいつも幸せを外(物質)に追い求め、悩んでばかりいた私から
「今がとてもハッピー」と満たされている私になりました。

もちろん時々
神様のことを忘れてドカ食いしたり
なんか怪しいものも食べちゃうけど(*^▽^*)

それもエゴを手放すチャンス。

そんな「まだまだエゴが顔を出す私も大好きだよ!」と今は言えるのです。


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