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前十字靭帯と半月板

今、僕は山口県宇部市の宇部興産中央病院3階でこの文章を書いています。約20年ぶりの大怪我と長期入院の記録とします。

今回の入院に直接つながる怪我は10月29日に福岡市で行われた柔術の大会の1回戦で相手のタックルを受けた際に、右膝へ2人分の体重が勢いよく乗ったことです。

この日は体調も良く「今日、僕は優勝するだろうなぁ」と言う気持ちでいました。決して気を抜いたと言うのではなく、総合的に判断して優勝できる、優勝する、という気持ちになっていたのです。
しかし、結果的には前十字靭帯断裂・半月板損傷と言う大怪我を負い、1ヵ月に及ぶ入院、そして半年以上にわたるリハビリ生活を送ることとなります。
療養中のベッドで思い返してみれば、怪我の予兆はありました。5月のグラップリングの練習中に右膝を捻挫、7月の柔術の練習中に二重絡みから逃れようとした際に、膝が大きく鳴ったことです。いずれも翌日には、整形外科を受診しました。どちらも「大した事は無い、気をつけて練習してください」と言う診断だったのですが、その時に前十字靭帯や半月板を傷めていたのではないかと考えています。

さて、10月29日に話を戻しましょう。その日は試合後はそのまま福岡のホテルに宿泊し、翌日の朝食バイキングをたいらげ、福岡を観光して帰る予定でした。しかしながら、あまりにも右膝が痛いので、チームメイトのセコンドもお断りし、ホテルをキャンセルして自宅まで帰ります。

怪我直前の試合の様子

たまたま、翌日の月曜日は文化祭の代休だったので、整形外科を受診。診断結果は、内側側副靭帯断裂・半月板損傷でした。主治医から「2ヶ月はおとなしくしておくように」と言われたので、その後は練習もトレーニングもお休みし、全力で安静に過ごしました。

その成果もあり、年末年始の台湾旅行では一日2万歩以上歩くなど、とても楽しく過ごすことができました。

彩虹村(台中市)

順調に正月休みが終わり、本格的に仕事が始まった1月11日に小さなアクシデントが起こります。医療的ケアのお子さんをベッドから車椅子へ移乗をするべく、お子さんの寝ているベッドに着いた僕の右膝が鳴り、そのままロックしてしまいます。その直後からは、まともに歩くことすらできません。
翌日になっても痛みは引かず、1月13日に整形外科を受診します。触診を終えたドクターはこれまでとは明らかに表情が違います。「(伏谷)先生、これはもう違う病院で大きなMRI で診てもらいましょう」と紹介状を渡されました。

翌週の1月18日に自動車で70分ほどの距離にある比較的大きな病院に行き、MRIを撮ります。診断は前十字靭帯断裂・半月板損傷で、復建手術をしましょうとの事でした。
後から知るのですが、この整形外科医は県内屈指の膝の名医で、有名なスポーツドクターだそうです。僕の仕事のこともよく理解しておられ、すぐに入院と手術のスケジュールを決めてくださいました。翌日、出勤し、管理職と相談、医師から提案のあった日程で手術入院となりました。

MRI

さて、前十字靱帯と言えば、およそ20年前に左脚のそれを断裂し、復建手術を経験しています。当時の僕は工業高校柔道部の監督をしており、選手との練習中の怪我でした。もちろん公務災害(労災)に認定され、約2ヶ月の入院と1年程度のリハビリを乗り越えた思い出があります。この入院と手術は20年前のそれとは全く違いました。

20年前

20年前とは違うだろうと、事前に聞いたり調べたりした手術やリハビリ、入院生活の内容、かなりの覚悟を持って臨みました。しかし、その辛さはその覚悟を超えており、何年振りかの「鬱」の再現を危惧するほどです。
この怪我がトリガーにならないように過ごしたいです。また、その事が僕にとっての本当の意味での修行なのかとも考えています。
1月26日(金)から2月24日(土)に渡る30日間の入院で強く感じたいくつかのことがあります。

病院食

何より健康が大切
まずは、夏までに簡単な運動ができるようにしっかりじっくりゆっくりリハビリします。2024年の冬にはLEOSを中心に英語と格闘技の活動再開しようと思います。

やりたい事はやる
これまで、自分で勝手にやりたい事をセーブしていましたが、やめます。言いたいことをいう、欲しい物は買う、会いたい人に会う、行きたい場所へ行く、着たい服を着る、など人を傷付けない事は全部やります。
昨年、挫折した台湾語(中国語)もしっかりやりたいです。遅くとも夏には海外旅行をして、英語や台湾語でコミュニケーションを取り、真面目に世界平和への貢献をします。

嫌な事から離れる
これは逆で、下らないしきたり、習慣、物や人を近付ける事はしません。もう自分の感覚で良いと思います。「ヤダなあ」って感じたら、離れます。

認知症予防
これは痛感しました。大きく2つの出来事がありました。1つ目は女性の入院患者さんです。彼女は認知症もある様子で、何度も何度もナースコールを繰り返しました。そした、夜中に大きな声で叫びます。「帰して下さい。分かってます。ごめんなさい。」僕はひたすら黙っていることしかできませんでした。
2つ目は救急搬送された高齢の男性患者さんです。80歳はゆうに超えたであろう彼は一人暮らしです。子どもたちとは10年以上も音信不通。奥様はアルツハイマーで4年以上入院されています。「お見舞いに行ってもわしが誰かもわからんのよ」「奥さんを大事にしてあげてくださいね」など話してくれました。自分自身もそうですが、家族や近い人の認知症予防には積極的に努力しようと思いました。

入院前半の装具

長かった入院生活も終わり、自宅療養を経て、3月11日から職場復帰しました。自分自身の病院にいたくないという気持ちや業務のタイミングに妥協して退院しましたが、もう1週間以上は入院しておけばよかったです。自宅はもちろん世の中はバリアフリーではなく、今の僕の回復具合では、単純に生活が困難です。ひたすら疲れてしまい、PTさんに習ったリハビリのエクササイズなどする余裕は全くありません。過食がやめられません。

リハビリ室

熱帯魚やロードスターについては、もう十分に日程が遅れているので、その遅れを取り戻すことは諦め、ゆっくり確実に丁寧に進めようと思っているだけです。とにかく、生のエネルギーが枯渇しています。手術するとこんなにも弱ってしまうんですね。今の気持ちはこうやって記録しておかないと忘れてしまうので、敢えてネガティブも書き残します。

ロードスター

辛いことは重なるもので、家族に大きな病気が見つかりました。家族は週に数回の検査をこなし、月末には手術入院です。残念ながら僕のできることは少なく、仕事へ行き、自分の怪我の回復を優先し迷惑をかけずに、焦らずゆっくりと生きていくことで家族の治療に貢献するのみです。

いよいよ文章に纏まりがなくなってきたので、手術から入院編はこの辺りで終わりたいと思います。
しばらくは、心にも身体にも余裕がない状況が続きます。この状況を乗り越えることは、老後に向けての試金石だと肝に銘じて過ごします。

必ずよくなる。
必ず自分も周囲も世界も幸せになる。

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