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子育ての話

3児のパパ

 3月になりました。個人的に子育てがもうすぐ一区切りということで、今回はボクの子育てを振り返ってみたいと思います。独身時代には「子ども要らない」と言っていたボクが現在は2人の女の子と1人の男の子のパパです。どんな振り返りになるのか想像も付きませんが、思うがままにキーを叩いていきます。

長女の就職

 彼女の誕生は荒(すさ)んでいたボクに多くの感動を与えてくれました。彼女はとてもカラダが弱く、生まれた病院では心臓の機能についての対応ができず、生まれて数日で救急車で転院しました。その後の首のすわりや独り歩きも遅く、就学時には医師から障害者手帳の提案もありました。義務教育での運動会やマラソン大会は地獄で、いくら必死に走っても毎回ビリ争いです。そんな彼女が自転車に乗れた時は感動というより驚きで溢れていました。
 真面目で正義感が強く負けず嫌いな彼女は、ボクから見ても充実した高校生活を過ごし、近県の大学へ進学します。寮やアパートでの4年間は愉しく過ごせたようで大学やお友だちには心から感謝しています。
 あっという間に大学生活も後半戦になり就職活動。民間にもチャレンジしたいという彼女でしたが、カラダが気がかりです。最後は本人に任せましたが、ボクの気持ちを察してか公務員への道を選択し、挑戦を始めます。
 大学4年時は、色々な自治体を受験しました。真面目な彼女らしく1次、2次と合格するのですが、面接になるとうまくいかず。コロナ禍とも重なり多くの苦労があったようです。
 大学を卒業し、公務員専門学校に自宅からの電車通学を始めます。昨年以上に努力し、多くの自治体から筆記試験の合格を頂きます。しかし、面接の壁が超えられずに、ついに冬を迎えてしまいます。彼女の中で就職浪人という言葉が引っ掛かり、気持ちが揺れました。彼女の短い人生の中でとても辛く暗い期間だったと思います。
 2度目の就職浪人。今年は面接重視で行きたいという気持ちを尊重し、自動車で1時間以上かかる専門学校へ変えての挑戦です。しかしながら、克服は難しく、これまでと同様に面接で振り落とされてしまいます。今年もダメかと諦めかけた晩秋。ある部局から採用の知らせが届きました。ほぼ第一志望の業務形態です。2月には勤務先も決まり、今は社会勉強として愚痴をこぼしながらもアルバイトに励んでいます。

優しい長男

 第2子は男の子でした。自宅から大学に通う彼は中身も外身もボクによく似ていて、小さな頃から生き苦しさを抱えています。ボクと違い本当に優しく気遣いのできる人です。しかし、極めて不器用で癇癪持ち。スポーツ少年団でのバドミントン大会で上手くいかなくなるとラケットを叩きつけ没収試合になることも、高校の柔道部で練習が上手くいかないと頭を壁や畳に打ち付けることも多々ありました。スポ少や部活動の先生、先輩や後輩のお陰で大きく成長できたと思います。
 そんな彼ですが、アニメやゲーム好きな20歳となった今も生き辛さは継続中です。バイトや大学では当たり障りのない会話でとどめている辺りは社会性が高いのかも知れませんが、自分を出すことができずにいて、そういう意味では低いとも言えそうです。ボクとの深い話(唯一だと思う)では時にパニックを起こし、泣き叫んでしまいます。
 彼は大雑把な表現をする大人の女性が苦手で、この種の教員やバイト先のおばさんに苦労させれています。もうすぐ大学3年生になり、就職活動が本格化します。ある程度の業種は絞っているようですが、長女以上に苦労しそうです。彼はこれからどんな大人になっていくのでしょう。生き方について、2人の女の子以上に長い期間の支援が必要な気がしています。

次女の卒業式

 今日、次女が高校を卒業しました。本当におめでとう。そして、学校や下宿先(後半はアパート)や家族の皆さん、お世話になりました。お疲れさまでした。ボクも少しだけ肩の荷が下りました。
 小さな頃から気難しく自己中心的で何かとトラブルメーカーな彼女。中学校の早い段階で、自宅から徒歩圏内にある長女や長男が卒業した高校には行かないと言い出します。結果的に親元を離れ、創立150周年を超えた田舎の県立高校(両親の母校)へ進学します。
 遠隔地から進学してくる女子生徒は極めて稀でした。校長や市教育委員会、地元の有力者など、方々に手を尽くし、やっと見つけた食事付きの下宿先からの通学です。予想通りに単位の修得もぎりぎり、部屋はゴミ屋敷、下宿先でもトラブルを起こし、2年生の後半に下宿を出てアパートで一人暮らしを始め、漸(ようや)く3年生になりました。
 大学進学の目的で遠くの高校に進学したにも関わらず、夏休み前になって「大学へ行かなきゃならないの?」「就職できんのん?」などと発言します。進学への不安や自信の無さを上手に表現できず、極論を言ってしまうのは、父親譲りでしょうか。そんな彼女も担任中心のサポートやボクたちの応援や大学の先生のアドバイスもあり、無事に大学合格と高校卒業単位取得まで辿り着きました。
 正直、かなりの瞬発力やエネルギーを発揮し、知恵と行動と課金で3年間を乗り切った感はあります。ボクの心痛が彼女に伝わらなくとも、何度も何度も往復90分の山道を運転し、1度は車をひっくり返しながらも、嫌な顔をせず、サポートし続けた母親にだけは感謝して欲しいものです。

鎹(かすがい)

 普段は感じて居ませんでしたが、こうして文章にしてみるとボクなりに子どもを想い、生きて来たのだなあと思います。アウトプットは大切ですね。

 身勝手で自己中心的なボクは、もがき生きる中で、何度も子どもたちの存在やその責任を負担に感じることがありました。子どもたちに「父親らしく」接すること、社会的に「父親の役割」を果たすことに不自由さを感じていました。このことはボクの独りよがりで、バイアスで、囚われです。少し前に流行った「自己責任論」で一蹴されてしまう内容です。

 彼らがまだ小さい頃に、大きな怪我や生死をかけた病気をし、苦しむ醜い姿を見せてきました。その事は、少なからず彼らの健やかなる成長に影響を与えたと反省しています。
 これからは、怪我から復活し運動をする姿、病気を克服し充実する姿を、最も身近な存在である子どもたちに見せて生(行)きます。彼らはボクの生への鎹(かすがい)なんです。

 そして、こうしてnoteを読んだりして、ボクと関わってくれる多くの人々もボクが生きていく上での鎹なんだと思っています。
 面倒くさくてもYouTubeやnoteを更新します。しんどくても練習や試合会場へ顔を出します。仕事もそれなりにこなします。そのことがボクがボクであり、みんなと豊かに生きていくことに繋がっているんだと思います。

今回も最後までありがとうございました。
また、書きます。

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