「好き」の語りたがり(最果タヒ『好きの因数分解』)

最果タヒさんの『好きの因数分解』を読み終わった。
大切にしまっておいたチョコレートをひとかけらずつ食べるように読んだのでだいぶ時間がかかった。

連載はちょこちょこと読んでいたのだけど、単行本はいつものことながら装丁が美しく、組みも凝っていて(横組みが縦組みになっていてこっちの方が好き)印象がだいぶ違って楽しめた。

「もぐもぐの本」と近いものを感じつつ、「好き」にもいろいろな「好き」があるし、ただ単に「好き」じゃなくていいんだな、と感受性の密度が濃くなる感じを味わう。

好きなものについて語るイベントをやった前後で読み進めたので、好き、についてより深く考えることができた気がする。

最果タヒさんは「昔から、好きなものを語ることが自分を語ることだという風潮に違和感があった」という意味のことを繰り返し書いている。(本当はもっと美しい文章表現です)
私が個人的に、先日の推し語りイベントで刺さったのが、「なぜ私がこれを好きなのか」まで考えを巡らせたり語ったりする姿だった。それは「好きの因数分解」に近いのかもしれない。
「好きなもの」は他人が作ったもので、それはどんなに好きになっても詳しくなっても入れ込んでも、最終的には自分にはならない。
でも、「好きなもの」について語ること、「なぜ好きなのか」について考えることは、自分になる。

逆に、嫌いなものを語る方が、その人が生々しく見えてくるのかな?と思ったりした。
『好きの因数分解』でも、意識してか、しなくてか、「嫌いなもの」「苦手なもの」についても割と語られていた気がする。

でも、語れなくても、なんとなく好き、みたいなぼんやりした状態もあるなと思い起こした。というかほとんどの人がそのタイプで、“語りたがり”が大量にいる私の周りが異常なのかもしれなかった。
”語りたがり”の皆様、今後も語っていきましょうね〜

#最果タヒ #読書


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