見出し画像

仕事を侵食する

いろいろと書いたりする仕事をしている。
数年前までは、趣味とまっっっったく違うことを扱っていたので、そこで扱えないことや書けないことを伏見ふしぎで書いたり、仲間と話したりしていた。

ところがなぜか最近になって、仕事で扱うことが揺らぎ始め、伏見ふしぎとの境界がかなりあいまいになってきてしまった。

というか、自分でそうした感が強い。

結局一個人なので、興味の方向性は決まってくるし、というか、仕事人格の方でちゃんとそっち方面の勉強や興味を広げてないからいけないという面もある。

最近の同業者を見ていると、顔出しSNSバリバリで絡みまくり発信しまくり存在感を高める、的な人が多い。そういう人が就きがちな職業、というか、そうしなきゃいけないんだろう。
しかし私はマジでそういうノリが苦手なので、(仕事になると特にしんどい)静かに情報を少しずつ集めて興味と直感からスタートするのが性格に合っている。

でも、細々とだけど、伏見ふしぎをやってきてよかった。
たぶん、伏見ふしぎをやってこなかったら、仕事に復帰した後自分の働き方の軸を見つけるのも困難だったし、世界も広がらなかったし、自分も深まらなかった。
たくさんの面白い人や素敵な人にネット上で、そしてちょっとしたパーティでは対面で出会うこともなかった。
友達との付き合い方も違ったと思う。

そして、大したことないことでも、細々と書いてきてよかった。
書くことは、自分を整理するし、深めることにもなる。また、人の目に触れるものを書くことは同時に、自分の風通しをよくする。いろいろな人といろいろな話をすることも、同じ効用があると思う。(風通しの悪い人間は、内面が腐る気がする)

「早稲女同盟」を始めた時は、「シスターフッド」という言葉を知らなかったけれど(不勉強)、あの活動はシスターフッドだったなあと思う。ワセジョ、そうじゃない人、書く人、書かない人、男女も関係なく、あの活動で広がった輪はシスターフッド的だったと思う。
そして今確実に、私はその輪にエンパワーメントされている。

またいつかみんなで書いたり、集まったり、ちょっとしたパーティで楽しんだりする日が来ることを願う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?