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春夏秋冬バテ

・夏バテにはカレーがいいらしい。多分これは幻想だ。じゃあ春は?秋は?冬は?バテるのは夏だけじゃない。毎日カレーなら永久にバテないのだろうか。まあなんか頑張れる気はする。でもその前に飽きる。

・週末はなんだか日記を書く気が起きなかった。サンライズ勇者シリーズ(幼き日の憧れ)に心を震わされたり、流れで地元の友人と電話したりなどしていて、完全にインプットの日だったというか。書き溜めをしておけば毎日投稿も実現するんだろうな。その辺はまだあまり使いこなせていない。お洒落なカフェでむやみやたらにMacを開いて書き溜めたりしていきたい。空き時間に日記やらツイートしたいことを下書きに入れておく、というのは結構みんなやってるらしい。すごい。僕は新鮮太郎。リアルタイム日記野郎のままなので、この夏ステップアップしようと思う。予約投稿次郎に。

・しかしまあ、自分のいる環境と大きく違う場所にいる人との会話というのは、中々に有意義だった。先述の地元の友人との電話のこと。彼は医療・教育の現場にいる人で、30歳を機に大きな挑戦をした。「コロナ大丈夫?」のLINEから、2年ぶりに直接会話をした。自分の思っていることを素直に伝えたらば、まあ見えてない部分の意見が出るわ出るわ。無意識に避けていたこと、そして気付いていない可能性の部分を的確に指摘してくれた。ハッキリとした言葉で伝えてくれた友人に感謝しているし、これを機に自分もまた、動いていこうと思えた。ただ感銘を受けて終わりにしてはいけない。これからも生活は続いていくのだから。学生時代には考えられないくらい、頼もしい男になっていて笑った。

・ミニマリストの人って洗濯のサイクルめっちゃ短くて大変そうだな、と思った。「1着しか持ってません」みたいな超ミニマリストの方は毎日洗濯をするのだろうし、絶対的に「全裸でいなくてはいけないタイミング」が生まれると思うのだけれど、どうなんだろう。うまいことやるんだろうか。この場合の「うまいこと」ってなんだ?洗濯物が速攻で乾く気候になってきたので、Tシャツを畳みながらそんなことを考えていた。

・「余分なもの」は、決して不要物というわけではない。「持ちすぎてるな」と思い、「不要」と判断した人にとってはそれは不要物かもしれないが、受け入れるだけの余裕がある人にとっては、「余分かもだけどまああって困るもんでもないか」となる。ゆとりとか、余裕とか、そういうものの範疇で収まるかどうかは、各人の価値観に依る。

・「音楽」というのは、完全にこれに当てはまる。必要無い人にはとことん必要無い。というか、そもそも「必要」なものではない。嗜好品の類だ。それでもテレビを点ければ必ず音楽は流れているし、生活の中でも当たり前のように何かしら耳にする。祭や大きな式典の際には、音楽は奉納するかの如く演奏される。プログラムの中に組み込まれるものではあるが、これを「聴く」ことは、各人に委ねられる。

・音は目に見えない。それでも確実に存在するし、僕らは知覚している。香りと声の記憶が中々消えない所以は、「そもそも目に見えないから」という部分が大きいと思っている。だからこそ、これを許容出来る世界であって欲しいというか、ピリピリしがちな風潮の中でも、音楽を含む「余分なもの」が、これからも存在していられたらいいな、と。変に躍起にならずとも。自然に。目に見えるものだけに惑わされないでいたい。

・「ポテトスナック」って駄菓子、生産終了したと思ったら復活していて、久しく食べたらどハマりしました。箱買いしようかなと思ってます。オススメです。ポテトチップスには無い味わいがあります。

fusetatsuaki

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