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手紙、という趣味

手紙を書くのが好きだ。

お世話になった人へのお礼の手紙。
誕生日を迎える人へのお祝いの手紙。
なんてことのない日に「最近どう?」という感じでふらっと送る手紙。

手紙というのは、それなりの集中力がないと書けない。
だから家族が外出しているときか、深夜か明け方、皆が寝静まっているときに、あれかこれかと便箋を選び、ペンを走らせる。書いているとどんどん目が冴えてくる。楽しい。

ところで、手紙という伝達手段はどのように始まったのだろうか。

手紙は、メソポタミア文明や古代エジプトから存在したという。
メソポタミアでは粘土板に、楔形文字で手紙が書かれていた。古代エジプトでは、パピルスに葦の茎や鳥の羽で作ったペンで文字が書かれていたようだ。
発掘された手紙の中には、公的なやりとりの内容に加え、私信も大量にあるという。

とある粘土板が発掘された。
それは商品を買ったお客から、貿易商に宛てた手紙。
解読すると、商品の品質が悪いのでお金を返して欲しい、という怒りに満ちた内容だったそうだ。

粘土板で手紙を書くためには、どれほどの時間がかかったことだろう。
そしてその手紙を相手に届けるためにも、現代と比べられないほどの時間と労力がかかったはずだ。

それにもかかわらず、伝えたいという、熱意というか、やむにやまれぬ思いが手紙という形を通して残っている。

日本の手紙は、木簡という、細長い木の板に文字を記すことから始まったという。
平安時代になると、紙漉きが普及し、和紙に文字を書いた手紙が始まった。
貴族の男女は、この和紙の手紙を用いて、頻繁にラブレターをやりとりしていたようだ。

時も場所も、使っているものも違えど、書いていることは今も昔も変わらない。

私の手紙との出会いは、小学生の頃。

当時読んでいた子ども向けの新聞に、子どもたちの投書コーナーがあった。
投書の内容はほとんど忘れてしまったが、今頑張っていることとか、ハマっていること、といった他愛ないことだったように思う。

しかし、その投書コーナーには必ず誰か1人は「私と文通しませんか」とメッセージを添えている人がいた。もしも、その人と文通をしたいと思ったら、新聞社宛にその子への手紙を送ると、新聞社が届けてくれる。うまくいけば、文通成立だ。

私の投書が紙面に掲載されたのか、それとも掲載された投書に向けて手紙を出したのかは覚えていないけれど、とにかくその新聞をきっかけにして、私には何人か文通相手がいた。
いずれも同じ年頃の女の子。
1、2往復で返信が途絶えた相手もいれば、数年続いた相手もいる。


一番長く文通が続いた女の子は、「なおこちゃん」といい、愛媛県に住んでいた。

なおこちゃんの手紙は、水道の蛇口からポンジュースは出てこないよ、というご当地ネタから始まり、学校のことや友達のこと、好きな漫画の話など、日常の他愛ないことが、くっきりとした右上がりの文字で綴られていた。

郵便受けに自分の名前の書かれた手紙が入っているのが嬉しくて、どんな内容が書かれていたとしても喜んで読んだ。

その文通は、どのような形で終わったのだろう。
小学生のときに始まった文通は、中学校の頃に次第に手紙の間隔があくようになり、いつしか途絶えてしまった。
思春期や、受験の時期に差し掛かったとき、ハッピーだけれどいささか底が浅い手紙のやりとりをしていた相手とは、本当に話したいと思う内容が書けなかったのかもしれない。

大量にたまっていたなおこちゃんの手紙は、引っ越しと共に処分してしまったのだけれど、今でもあの特徴的な筆跡と、毎回便箋の中に添えられていた自作の絵のことを覚えている。
彼女は今、どうしているだろうか。


あの頃のように、熱心にひとりの人に向けて手紙を書くことはもうないけれど、手紙を書くことは続けている。

スマホのような素早さはないけれど、手紙には手紙の良さがある。

普段は会わない相手に、気持ちをちゃんと伝えたいとき。
内容が少し重たくなりそうなときに、誤解ないように伝えたいとき。
電話でするような何気ない出来事を書き連ねたいとき。

こんなときには、手紙を選ぶ。

私が思う手紙の良さは、時間をかけて言葉を選べるということと、相手に返信を期待しなくていいこと、だろうか。

スマホを使ってメッセージを送るのは、手軽であるからこそ言葉選びもいささか雑になる。
相手のメッセージを既読していることを思うと、早く返信しなければと思って焦るとなおのこと。
返信しないということが、こちらが意図せぬメッセージを相手に伝えているのではないかと不安になることもある。

その点、返信のラリーのようなスマホと違い、一方通行の手紙は楽だ。
会話のように相手とキャッチボールをしないからこそ、丁寧に自分の思いを綴ることができる。
時間をかけて言葉を選び、便箋がうまると共に、内容も締めくくる。

返信はご放念くださいと一言添えれば、返信が来るか来ないかと、やきもきすることもない。

何よりも、手紙を書いている時間そのものが好きだ。
相手のことを考えながら、思いを言葉に乗せていくとき、時間がゆったりと流れていく。

自己満足で送っているような手紙だけれど、時折「嬉しかった」と返事をもらうこともある。
今の時代、滅多に手紙をもらうことがないからこそ嬉しい、と。

それを聞いて調子に乗り、またせっせと手紙を書いている。
最近は手紙に小さく絵を添えるようになった。
決して上手くはないけれど、小さな絵が、少しでも人の心に残れば良いなと思っている。

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