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こだわりを捨てたら、家族と過ごすのが楽しくなった

 良かれと思ってやっていることが、実は家族には負担になっているんじゃないか。

 そう気付いたきっかけは、娘への「ちょっと待ってね」という言葉。
「遊ぼうよ」とまとわりつく娘に対して、台所で野菜を刻みながら「ちょっと待ってね」。娘と積み木で遊んでいるときでも、洗濯の終了を知らせる音が聞こえると「ちょっと待ってね」。
 今は子どもと遊ぶ時間!と決意しても、頭の中は次にやるべきことがぐるぐる回っていて、そろそろ限界だと思うと乱暴に遊びを切り上げてしまう。

 そんなことが続くと、どんどん娘の落ち着きがなくなってきて、私も余裕がなくなり、悪循環が止まらない。

 そんなときに、はたと気付いたのは、「自分なりのこだわりが家族との生活とぶつかっていた」という事実。

 たとえば家事。掃除機は、一日一回以上かけないと気が済まない。夏の蒸し暑い時期には、布団だって毎日干したい。家族で食べる料理は、できあいのものじゃなくて手作りしたい。丁寧にやることが良いことだと心の隅で言い訳しながら、その間家族に待ちぼうけを食らわせている。

 たとえば休日の過ごし方。家族全員がそろって休みの日があれば、せっかくだからと無性に外に出かけたくなる。つい、あれもこれもと欲張りすぎた計画を立ててしまう。でも小さな子どもがいると何事も計画通りにはいかないもの。計画倒れになって不機嫌になる私を、何度夫がたしなめただろう。

 とは言え、自分では良かれと思っているからこそ、そのこだわりを捨てるのは簡単なことではない。「子どもと全然向き合えてないよ…」と嘆きながらも、自分のやりたいこと(家事)を真っ先に済まそうとしているのだった。

 そんな私を見かねた夫が、ある日「僕が家事をしようか」と言ってくれた。
なんて優しい夫なんだと感動し、今までゴミ出しや水回りの掃除を担当してくれていた夫に、「じゃあ料理や洗濯をしてくれる?」と前のめりでお願いした。

 早速、夫が休みの日に、昼食と夕食を作ってくれた。
夫が料理をしている間は私が娘担当。ひたすら娘の相手をする。その時間が、とても良かった。ただ目の前の子どもと向き合っていると、あれこれと遊びのアイデアも湧いてくる。今まで気付かなかった子どもの興味とか、「あれ?いつの間にこんなことができるようになったの」という成長にも気づく。
 今まで娘と一緒にいながら、どれほど娘のことを考えていなかったのだろう。

 自分なりのこだわりが、時間をうばうだけではなく、意識まで家族から遠ざけていたのかもしれない。

 「有生くんが家事をしてくれてとても良かったよ!」そう言って自分の気付きを報告すると、夫自身も家事をして良かったとのこと。なぜかと聞くと、夫が家事をした方が早く終わるので、結果として彼の一人時間も増えたらしい。
 「僕はね、総子ちゃんが家事するのが好きだと思っていたから自分ではあまりやらなかったんだよね」
 そうだったのか。確かに、毎日新しいレシピを調べては料理を作り、まめに掃除をする私は、家事が好きな人間に映っても仕方がない。ただ、嫌いではないけれど好きかと言われると返答に困る。

 どこからこだわりが生まれてきたのか。そう考えていて、ふと思い出した。
 料理も掃除もろくにできなかった結婚当初。レシピを調べては不器用ながらも料理を作った。そんな私の手料理を、夫はいつも「美味しい美味しい」と言って食べてくれた。
その言葉が嬉しくて、今度はどんな料理を食べてもらおうかと次第に料理に夢中になるようになったのだ。

 初めは家族のことを想ってやっていたことが、時が経つにつれて少しずつ自分のためのこだわりに変わっていった。
 床が散らかっていたっていいじゃないか。洗い物が翌日に残っていたっていいじゃないか。お惣菜で済ませたっていいじゃないか。大切なのは、家族が笑顔で過ごせること。
もう一度、そこに立ち返りたい。

 今でも大抵は私が料理や掃除をするけれど、時々夫がやってくれる。ただ、自分で家事をするときも肩の力が抜けたのか、良い意味で手抜きになった。空いた時間で家族とのんびり過ごすことが嬉しい。

ベランダでポップコーンを作る


キャラメルが焦げた

 ライフスタイルの変化や家族の成長と共に、時間の使い方も変われば優先順位も変わる。
共に暮らす家族が、ご機嫌でいられるように。

 11月には、我が家に新しい家族がやってくる。

 

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