だから私は、オーブンレンジを買った

オーブンレンジがあれば何が出来るだろう。
グラタン、ピザにローストチキン。お菓子やもちろんピザだって焼ける。
そんな夢のような調理器具を購入するのに、どれくらいの時間がかかっただろう。あればいいなと思い始めてから、早数年。いつか買おうと思いながら3000円で買った電子レンジをずっと使い続けていた。

オーブンレンジは夢のような器具でありながら、なければないで何ともない。
温めや解凍ならレンジで十分。グラタン類もトースターで申し分のないものができる。

ただ、去年のクリスマスの際に、生協で注文した丸鶏には困った。
注文ページには、こんがりと焼けた美味しそうな鶏肉が写っていたから、うっかり調理済みの鶏肉が届くのだと勘違いをしてしまった。間違いに気づいたのは配達日間近。人気商品のため抽選になったらしいが、運が良いのか悪いのか当選してしまった。届いたのは、予想以上に大きい未調理の丸鶏。オーブンがあればさぞ美味しいローストチキンが出来るだろう。悲嘆にくれて夫に相談すると、彼は肉包丁で果敢に鶏を捌いてくれた。折角の丸鶏は、結局スーパーで売っているような部位別の肉になってしまったのである。
それも一年前のことである。

その後も、オーブンレンジがあればローストチキンが出来たのにと思いながら、時折、丸鶏のことを笑い話に思い出すものの、なかなか購入の決意が出来なかった。
高い買い物だし、何より本当は、オーブンレンジの必要性をあまり感じていなかったということもある。

反対に、オーブンレンジと同じくらい値段がする生ゴミ乾燥機は、ほんの数日で購入を決断してしまった。真夏の季節。我が家に一つだけ設置されている大きなゴミ箱の中には、生ゴミはもちろん、子どもの使用済みのおむつなどが、のべつ幕なく放り込まれていることもあって、ゴミ箱の周囲からは異様な匂いが漂っている。ゴミ箱の内側に消臭剤を貼り付けるも、効果は数日で、しばらくすると消臭剤の匂いと生ゴミの匂いが相まってまたしても形容し難い匂いを発することになる。調理スペースの側でいつも匂いに悩まされるのは嫌だと悩んでいた私は、SNSに流れてきた生ゴミ乾燥機の紹介を見て、これだと思った。自治体によっては購入に助成金が出る。2、3日後には我が家に生ゴミ乾燥機が導入されることになった。

生ゴミ乾燥機と比べると、オーブンレンジの購入にはどうして踏み切れないのであろう。私がオーブンレンジがある生活を具体的にイメージできないことも原因の一つだろう。そして、他の人はわからないが、私自身は「より豊かになること」よりも「目の前の問題を解決すること」にお金を使ってしまうのかもしれない。

そんな煮え切らない態度に終止符が打たれたのは、私が実家に帰省しているときだった。
特別な何かがあったわけでもない。実家でオーブンレンジを使ったわけでもない(実家には一応オーブンレンジが置いてあるが、なぜかオーブンレンジの上に大きなスピーカーが置いてある。母曰くオーブンを使う時にはスピーカーどかさないといけないらしく、使用するハードルが非常に高い)
それなのに、オーブンレンジを買おうと決めた理由は、言うなれば、今を味わって生きたいと思ったからなのかもしれない。

自分の生活のために高い買い物をするのは気が引けたし、どうせお金を使うなら自己投資になることに使いたいと思っていた。いつか引っ越すかもしれないアパートに、あまり物を増やすのも考えものだと思っていた。
でも、帰省中、そんな節約と効率を優先する考えが少しずつ変わってきた。時間がゆっくりと流れる、いかにも田舎町の地元で、不思議な魔法にかかってしまった。
時間がゆっくりと流れているということは、なにせ先を急ぐ必要がないものだから、ただその瞬間を味わっているということだ。

そんなゆったりとした生活のなかで、普段なら見過ごしてしまうような何気ない瞬間に、はっとさせられることが何度かあった。
たとえば口に運んだお味噌汁の出汁の味が美味しかった時とか、暖かい日差しのもとでお絵描きをしている娘を見つめている時とか、湯上がりのほかほかの体をタオルで包む時とか。
その瞬間は、子育ての悩みとか、将来への不安とかは全て忘れて、ただその瞬間だけで心が満たされるような時が何度かあった。こういうのを幸せと呼ぶのかもしれないと、その度に思った。

「いつか」のために心を配り、時間やお金を節約することを考えていたけれど、「今」をもっと大切にしたい、もっと深く味わって生きたい。そう思うようになった。
幸せ、と感じる瞬間を、積み重ねて生きていきたいと思った。

だから、オーブンレンジを買った。
初めて作る料理は、ケーキがいい。上手く作れるかどうかわからないけれど、夫と友人に食べてもらおう。美味しいと言ってもらえることを楽しみにしながら。