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「父上」と呼ばせたい夫と、「お母さん」と呼んで欲しいわたし

ママとパパ、どちらを先に呼ぶようになるかと問われたら、一般的にはママの方が多いだろう。
うちでは、パパだった。残念ながら。
とは言え、我が家では「ママ」「パパ」という呼び方ではない。

子どもに何と呼ばれたいかという話をしていたら、夫は早くから「父上」がいいと言っていた。冗談のような呼び方だが彼は本気だった。娘が意味を持たない喃語を喋り始めたころから、夫はしきりに自分を指差して「ちちうえ!」と教え込んでいた。

一方わたしは「お母さん」と呼ばれたかった。「ママ」という柄じゃないし、「母ちゃん」呼びには心惹かれるものの、わたしは母ちゃんと呼ばれるにはどうも少しひ弱過ぎる感じがした。
結局、無難なところで「お母さん」に決まったものの、生まれてこのかた自分のことを「お母さん」と呼んだことがない、当然のことだが。急に「お母さんはね」なんて話し始めるのには勇気が必要だった。
そんなわけで、一貫して「父上」と連呼している夫をよそに、私はと言えば「お母さん」という言葉を教えることもなく、相変わらず一人称は「私」のまま過ごしていた。

そんなある日、娘の口から「ちち」という言葉が出た。もちろん夫は大喜びしている。更に「うえは?」と促すものの、長い言葉は難しいらしく「ちち」までしか言えない。
舌足らずな娘が「ちち、ちち」という様子が可愛くて仕方がない。それならわたしもと、大分ぎこちないものの娘の前で「お母さんだよ」などと言い始めるようになった。

しばらくして、娘は「おかあしゃん(お母さん))と呼べるようになった。結局、お母さんと呼べるように助けてくれたのは夫だ。事あるごとに、私に向かって「お母さん」と呼んでくれたことが娘の耳に残ったようだ。特に娘と二人でお風呂に入っていて、入浴後にタオルをとって欲しいときには、大声をあげて「おかあしゃんまーん」と叫ぶ。さながらいたいけな子どもが助けを求めて正義のヒーローを呼んでいるような必死さだ。夫の大音量の裏声には、どんなにやりかけの家事が残っていても、早く向かわなければと思ってしまう何かがある。

娘が初めて「おかあしゃん」と呼んでくれたときのことは忘れられない。わたしはもちろん嬉しかったのだが、同じように娘の顔も嬉しそうだった。やっと、いつも一緒にいる大好きな人のことを呼べたよ、とでも思っているような笑顔だった。

「ちち」と「おかあしゃん」
どうもバランスが取れていない呼び方だけど、これはこれでいい。
そう思っていた矢先に、娘は更に高度な呼び方をするようになった。

「ちちまん」と「おかあしゃんまん」だ。
「まん」というのはどこから来たのか。もちろん夫がわたしのことを呼んでいた「おかあしゃんまん」からだ。そして、最近娘がハマっている「アンパンマン」から来ている。
子どもが一度は通過する「アンパンマン」に娘も心を奪われてしまい、図書館で借りてきたアンパンマンの絵本を繰り返し読むようにせがんだり、町を歩いてアンパンマンのぬいぐるみでも飾ってあると、たちまち「アンパンマン、アンパンマン」と連呼するのだ。
大好きなキャラクターの名前のように、両親のことも呼びたい!そう思ったとしても不思議ではない。
しかしがっかりしてしまったのは夫だ。せっかく「父上」と呼ばせたくてあと一歩というところまで来ていたのに、肉まんのような名前で呼ばれるようになってしまった。
娘に向かって、「うえはどうしたの?」「うえは?」と修正しようとするも、娘はぷいと顔を背けている。わたしはそんなふたりの様子を見ながら可笑しくて仕方がない。なかなか思ったようにはいかないものだねぇ、なんて皮肉な言葉を夫にかけながら大笑いしている。

今ではすっかり、「ちちまん」と「おかあしゃんまん」が定着してしまった。
何故だか急に自分のことを「あーちゃん」と呼ぶようになった娘は、「あーちゃんと、ちちまんと、おかあしゃんまんと、みんないっしょにさんぽする!」なんてことも言えるようになった。夫も「父上」は諦めたのか、忘れてしまったのか、自分のことを「ちちまん」と呼ぶようになってしまった。そしてわたしも彼のことを時々「ちちまん」と呼んでいる。

子どもが両親のことを何と呼ぶのか。そんな些細なことにでも、きっとそれぞれの家庭にストーリーがあるはずだ。我が家では、しばらくは「ちちまん」と「おかあしゃんまん」でいこうと思う。どんなときでも、笑いと驚きを提供してくれる夫と、かわいい娘のおかげで今日も楽しく過ごしている。

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