転んだ娘に、かけたい言葉
小さな娘の観察日記(生後11ヶ月)
【好きな遊び】
・物を落とすこと
・積み木を倒すこと
・追いかけられること(ただし、誰も追いかけていないときでも、追いかけられていると勘違いしている時あり)
【最近できるようになったこと】
・ハイハイ(今までやっていたのは「ずり這い」。いわゆる「ほふく前進」。勢いよく肘を前方に突き出して進むその方法は、やたらとコスパが悪そうだったけれど、ようやくハイハイになって、ずいぶんと楽そうに見える)
【訓練中のこと】
・つかまり歩き
つかまり立ちはお手の物。でも、つかまり歩きはまだ苦手みたい。私の膝につかまって立った時も、こっちがちょっと歩こうものなら、そろりそろりと一、二歩進んですぐにしゃがみ込んでしまう。
✳︎
今日、ちょっとした冒険心を出したらしい。おもちゃが並べられているラックに手をかけて立ち上げると、足を自分から動かしてみたのだ。そろりと一歩。成功。大丈夫、ちゃんと立ってる。「あら、すごいじゃない」そう思った矢先に、たちまち足を滑らせて派手にひっくり返ってしまった。
驚いたのは私の方。縦になっていたものが、突然、横になってしまって、まるで生まれてすぐの頃みたいに大の字で仰向けになっている。
慌てて、娘に駆け寄り抱き起こそうとして、気付く。
全然、泣いていないのだ。
仰向けになった娘は、どこか不思議そうな顔をしてじっと天井を見つめている。むしろ、驚いた私を見て、驚いたようだ。
そうか。「歩くのに失敗して、転んだ」と思ったのは私だけなんだ。娘にとっては、「一歩踏み出したら、何か新しいことが起こった」んだ。
「失敗しちゃったねぇ」その言葉が喉まで出ていたけれど、口にしなくて良かった、と思った。
失敗をすることは恥ずかしいことだ。そういう風にいつからか思っていて、その考えが体に染み込んでいた。人に恥ずかしい姿を見せたくない。だから、挑戦することをやめてしまう。多かれ少なかれ、私にはそんな傾向がある。
失敗したこと、思うように出来なかったことを「恥ずかしい」と思うのは、誰かがそのような言葉を(あるいは思いを)言って、自分でもそう思うようになったからなのかもしれない。その、同じ言葉を娘に掛けようとしていた。
仰向けになった娘の表情には恥ずかしさなんてこれっぽっちもなかった。あったのは、新しい景色が見えたことへの驚き。
こういう時に、なんて声をかけたら良かったのだろうか。
「すごいね」?、それとも「良かったね」?
「どんな景色が見えた?」
新しい一歩を踏み出して、思いもよらないことが起こったとき、どんな言葉があればまた一歩を踏み出そうと思うのだろう。
実は、自分自身のために考えているのだ。
子育てをしながら、私は自分を育てている。
(小さな娘の観察日記)