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ハングリー精神の哲学

皆さんこんにちは!
皆さんハングリー精神って聞いた事ありますか?
スポーツ現場だとたまに言われたりするんですが、簡単に言うと勝ちたくて勝ちたくて仕方ない心って感じですかね。今回はこのハングリー精神いついてちょっと考えたいと思います!

まずはそもそも何で今回ハングリー精神を扱うに至ったか。

先日、練習その他スケジュールの関係で、久々にお腹が痛くなるほどの空腹を半日近く感じていました。私は空腹状態にもレベルをつけていて、体力回復のためにもお腹が痛くなるほどの空腹状態は絶対に作らないようにここ数年調整していたので本当に久々の感覚でした。そこであることを思い出したんです。

「高校生の頃、ハングリー精神を知るために常に空腹の状態を作るようにしていたなぁ。」と。

今考えればバカな話で、体が資本のスポーツ選手にとってみれば減量でも無い限りほぼ禁忌。健康上もあまりいいものでは無いのですが、当時私は「ハングリー精神をわかってない」という意見に対する反骨精神だけでこれをやっていました。ホントバカだったなぁ。

結局「腹が減っては戦はできぬ」という教訓を身をもって知っただけに終わってしまったのですが、今振り返るとあの経験もあながち無駄ではなかったのでは無いかと思えるようになりました。

動物や魚でもいいですし、図鑑で生き物の説明なんかを見ると大抵は食べ物についてと寝床についてと種の繁栄方法についての3つが書かれている気がします。というかこれ以外の事が書かれている方が稀です。何が言いたいかというと食事というのは生き物が共通に持っている本能ということです。

飢えという状態はその本能を脅かしている状態。この状態ではとにかく食べ物を得ることだけに神経が集中されます。現に私がそうでした。何か食べられるものはないか…。お腹が減るとそんなことしか考えられなくなります。そしてその状態に於いては多分「食べ物を得る」という行為がとても洗練されて鋭くなるんだと思います。例えばライオンが狩りをする時だとか、他の動物でもいいですけど。何というかつまり、人間は元々あった本能外の行為が発達してしまったため感じにくいのかもしれませんが、基本的に生き物は私たち人間も含めて、その本能を満たす行動が1番能力を行使できるようにできているのではないかと思うのです。

で、ハングリー精神って言葉なのですが。ハングリーには飢え以外にも渇望って意味があるみたいです。渇望は字の如く渇き切ったほどに水を欲する的な?そんなイメージですね。メチャクチャ求める感じです。ここにあげたのは英語と日本語だけですが、大体「足りない」って意味と「欲する」って意味はまとめて存在していたり、似たような言葉で表現されたりする気がします。つまり「足りないから求める」っていうのは当然の行動として言葉にも表れてる感じですね。

しかし、ここまではあくまで本能に関しての話。生命維持に関わるレベルでの話です。ハングリー精神は、スポーツとか研究分野とか何かを見つけ出すとか…。正直命に直接関係ない「文化(文明?)」と呼ばれる人間独自の枠組みの世界で多用される気がします。

それはなぜか。それはつまり普通にこれらに関わっていたら到底生まれる精神ではないからこそ、その精神を持った人に対する分類として「本能レベルで狂ったように何かを求める人達の事=ハングリー精神」なる言葉が生まれたと私は思っています。

では次になぜそんなハングリー精神の持ち主なんていうイレギュラーが存在するのか。スポーツも研究もお金稼ぎも突き詰めてしまえば、生き物として生きていくための本能にはかすりもしません。なのに何故あそこまで渇望できるのか。

きっとそれは多分、その人たちの中で「望みが叶わない状態」が「空腹を感じている状態」と繋がっているからなのだと考えます。「精神的な飢え」という感覚を持っていてそれが「物理的な飢え」とマッチした状態という事ですね。

先にも書いた通り人間の本能としては「飢えは満たさなければならない。さもなければ死んでしまうから。」というものがインプットされています。ここに空腹の飢え以外のものが繋がった人がその分野においてハングリー精神というものを得られるのでしょう。

ですが飢えは苦しいです。しかも精神的なうえは満たされる事は殆ど無いと思います。空腹であれば満腹という物理的な限界があります。しかし「人間の欲には限りがない」というように物理的な限度がない富や名声、力(勝利)なんかはホント際限なく求められてしまします。スポーツで手に入るのは、おおむねこの3つですね。明確な満腹のポイントがありません。要するに生物としてのイレギュラーである「精神的な飢え」という概念を得てしまうと、本来満腹と言う形で限度がつけられている飢えという状態に対するストッパーがなくなってしまうという事です。

昔誰かに「上昇志向も大切だけど、どこかで満足しないと疲れちゃうし続かないよ。」言われたことがあります。まさにこれがハングリー精神の弊害かもしれません。決して満たされる事の無い飢え。皮肉なもので妥協を許したくないからこそ手に入れたはずのこの精神は、どこかで妥協することでしか満たすことができないのです。

私はまだまだハングリー精神の持ち主とは言い難いほどの甘ちゃんですが、身を持っての実験によってその入り口を遠くから眺めるくらいの位置には行くことができたと思っています。この精神は何かを突き詰めたり、極める上ではもはや必要不可欠なものかもしれません。しかし、付き合い方を考えないと苦労しそうですね。まあ、ハングリー精神を持てるような人は多分そんなこと考えずに行ける所まで行き来る人たちのことなのでしょうが。

そしてそういう人たちを見て周りの人達が後から「あいつはハングリー精神のある奴だった。」って言われていくんでしょうね。…じゃあそうなるとハングリー精神って本当にあるの?実はただの後付けなんじゃないの?って私なんかはなってきちゃうのですが、ここから先は言葉で纏められる自信が無いのでカット。(量子力学における非実在性ってやつに近いですかね。多分…)

まあでも、こういう心の事って掴み所がなくて不定形な代わりに無限の可能性を秘めてそうでなんか良いですよね。こういう風に言葉とか、文字とかに関して普段から割とグチャグチャ考えたりして生きています。

こういう内容は文字に起こすと疲れる!というわけで今日はここまで!

それでは!

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