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スポーツ選手の出来ること

皆さんこんにちは!
ユンボ・ヴィスマの公式SNSに上がるトニー・マルティン選手の写真の数々を観て、「あぁ、本当に引退しちゃったんだなあ」と寂しさを噛み締めている古山大です😢

さて、何で私がこんなに彼の引退でショックを受けてるかというと、生まれてはじめて心の底から「憧れた」選手だったからだと思います。
今まで、尊敬している選手は沢山います。
ですが、「あの選手みたいになりたい!」っていう憧れを本気で持ったのは、トニー・マルティン選手が初めてでした。
そして彼の引退を受けて私の中で「スポーツ選手が出来ること」ってもしかしたら「次の世代に「何か」を伝えていくことなのかな」と思いました。

私は、それまで尊敬はすれど「あの選手はあの選手、尊敬はすごいしてるけどああいう風になりたいかって言うと、なんか違う気がする」といつも思っていたひねくれ者でした。
故に「スポーツ選手がファンの方々に届けられるもの」について、しっかりと明確な何かが見えずにいました。
「スポーツファン」としての僕は、受け取り手として当事者になれていなかったので。
例えがあってるかわかりませんが、一流の料理人を目指す人が、一流の料理を何度も食べて、何も感じ取れていなかった感じです。

ただただ、選手として「こういう事を達成したい」というものしかなかったように感じます。
そのうえで、ファンの皆様に「何か」を伝えたいと思っていたので、上手く言えませんが、その辺りでしばらくモヤモヤとしたものが残っていました。

そして今回のトニー・マルティン選手の引退につながってくるのですが。
私は、別に彼の思いを綴った文章を読んだわけでも、対談を観たことがあるわけでもありません。(そもそもドイツ語わからないし)
2014年ツール・ド・フランス第9ステージでの逃げ切り勝利。
あれを観て「何このかっこいい勝ち方?!」と思っただけです。
その後、彼のレーススタイルや、アシスト、TTスペシャリストとしての仕事を追っていくうちに、ただの一時のミーハーな思いは「こういう選手になりたい。」という憧れになりました。
ここで私は生まれてはじめて「選手から何かを受け取ったスポーツファン」になれました。
そして今回引退する彼を観て、なんかこう、感化されたと言うか、明日を生きる活力を得られたと言うか、なんか感じたわけです。(大事なところがふわっとしてますね…)

でも、スポーツ選手ができることって、そういうことなのかなって。
今まであちこちで聞いてきた「感動を与える」みたいなものの言葉の意味って、今回私が感じたアレの事なんじゃないかなって。
もしかしたら、彼には競技を通して明確に伝えたいメッセージがあったのかもしれません。しかし、私はそれを知りません。でも、彼から「感動」を受け取りました。私なりの心の動きを彼の競技を通して受け取ることができました。

なんというかスポーツ選手に出来ることってそういう「活力」とか「興奮」とか「感動」とか…もっと他にも受け取る人によって違う色んな「何か」を次の世代に伝えていくことなのかな。と思ったわけです。

その「何か」が例えば、なにかすごい発見をする科学者を生んだり、素晴らしいビジネスマンを生んだり、立派な父親・母親を生んだり、なんかこう、人間社会が成り立っていく上での動力源になっていくんじゃないかなぁって。

文章だと上手く表現できなくてスゴくもどかしいですが、私もスポーツ選手として、誰かに何かを感じてもらえる、そんな選手になりたいなぁとおもった。という話でした。

はい。以上。
それでは!

トライアスロンーーー!!!🏊‍♂️🚴‍♂️🏃‍♂️🥇