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#04 #LLVR [a Like Love within a Virtual Realm]

「おつかれさまです」
 外界に降っている雨の音が遮断された空間で聞こえてきた、その自分よりも少し高めの落ち着いた声が、嫌いだ。
 おつかれ、とディーとカトルが返事を返す。ノルはそれに手を振って応えてこちらの輪の中へ入ってきた。
「お疲れさま、ノル」
 アインの言葉を聞いてぎり、と歯を食いしばる。ちゃん付けから呼び捨てへ昇格した彼女が、心底恨めしい。アインはあたしのことも呼び捨てで呼んでくれる。だからこそ、そのポジションに上がってきてほしくなかった。
「……おつかれさまです」
 ぶっきらぼうに挨拶を返す。ここで返さないと、同じ土俵には立てない気がして。
「スリーさん、おつかれさまです」
 にこ、と彼女が笑う。あたしはその笑顔が見たくなくて咳をするフリをして顔を背けた。
 あたし以外のみんなが談笑している。輪の中にあたしはいるけど、あたしの反応のなさを誰も指摘しない。指摘されたところでなんにもならない。少なくともディーとカトルは、どうせまたあたしが愚痴をこぼすだろうと予想してわざと放っておいているのだろう。でも、それが最適解なのではないかと、最近思うようになった。
 アインの隣に自然とおさまっている彼女。そのポジションをどれだけあたしが羨ましがっているか、きっと彼女は知らないだろう。別にいけばいいじゃん、とディーたちは言う。前はあんだけべたべたしてたくせに、と。なんとなく、気のせいかもしれないが、前の彼女と別れてからアインのパーソナルスペースを形成している壁が厚くなった気がするのだ。近いのは構わない、でも一定以上の距離は保つ。ディーとカトルにはない壁。ノルには見えていないかもしれない壁。あたしにだけ張られている壁。歯がゆい。そうなる原因を作ったのはあたしなのだから自業自得なのだが、それでも。
 ノルは別にアインにべったりというわけでもない。ディーやカトルとも軽く撫で合うスキンシップはしているし、アインの隣をキープし続けているわけでもない。むしろアインの方がノルの隣を――いや、考えたくない話だ。仮にそうだとしてそれならば睨むべきはアインだ。でもアインを睨むことはできない。だって、……好き、だから。
 ははは、と笑いながらアインがノルの頭を撫でた。軽く一撫でしただけ。それだけでも嫉妬の炎を燃え上がらせる燃料としては十分だ。気持ち悪くなる。こんなに嫉妬深いあたしをアインは受け入れてくれるのだろうか。いや、違う。もし、普段淡々としているアインが、こんなどろどろとした感情を受け入れてくれたら、それはとんでもなく理想的な未来で、これ以上ないハッピーエンドで、そしておそらく手に入らないであろうことだからこそ、恋焦がれてしまっている。あたしのこの粘性の高いぐちゃぐちゃの感情、それをアインに浴びさせることができたら、この負の感情で煮え切った熱の高いあたしをその冷静さで抱き締めて冷ましてくれたら、もう、死んでもいい。
 胸が締め付けられて苦しくなる。動悸がしてきて呼吸が浅くなって、余計に苦しくなってあたしはマイクを切って思いきり深呼吸をした。三度ほど繰り返したものの胸の苦しさは緩まない。
 なんであたしだけ、こんな。
 あたしの味方になってくれる人って、いないのかな。


 鏡に映るのはかわいいアバターのはずなのに、酷く醜い顔をしている気がする。
 あのとき「かわいいね」と言ってくれた言葉を、社交辞令だったのかもしれないという可能性を必死に否定してずっとその〝かわいい〟を保ってきた。でも彼が付き合ったのは、あたしのような地雷系じみた可愛いタイプのアバターを使っている人ではなかった。
「お前さぁ、その〝かわいい〟は〝俺の好みだ〟って意味じゃないんだっていい加減認識変えなよ」
 酔っぱらったカトルはまるでディーのようなことを言ってくる。
「わかってるよ。わかってるけど……」
「だったらアバターから批判するの止めな」
 ぐび、と彼の喉が鳴る。酒が流し込まれて、カトルの言葉はどんどん本音になっていく。
「スリー、お前、恋するの向いてないよ」
「ディーみたいなこと言わないでよ」
「事実でしょ」
 早くお酒が飲めるようになりたい。早く煙草が吸えるようになりたい。早く大人に、彼に、近づきたい。
「なんで告白してないわけ? とっくにしてたと思ってたんだけど」
「……タイミングが、なくて」
「んなもんテンプレ通りすればいいでしょ。呼び出して二人きりになって好きです付き合ってくださいって言って相手の返事聞いてオワリ」
「だって」
 だって、振られたら。断られてしまったら。あたしの居場所がなくなってしまう。そんなことになったらいよいよ彼にもう合わせる顔がない。彼の友人たちにも、会うたび彼のことを思い出してしまうからもう会えない。会いたくない。
「だってもクソもないでしょ」
 カシュ、と新しく缶を開ける音がした。
「何がしたいの。あたしやディーに愚痴ってバッサリ言われて、ノルちゃんの前では黙りこくって、かといってアインにくっつくわけでもない。何がしたいの?」
「だっ誰も話聞いてくれないんだもん」
「そりゃそうでしょ。アドバイスしても実行しない代案を考えてもでもだってで返す人間の話なんて誰が聞くの」
 だって怖いんだもん。嫌われるのが。ディーやカトルはあたしにそんなに興味がない。だからこぼせる。
「こないだ、二人で撮った写真上げててさ」
「うん」
「アイン、男アバター着てた」
「そうね」
「別れてから使ってなかったのに」
「へー」
「あたしと一緒に写真撮るときなってくれたことないのに」
「ふーん」
 相槌がどんどん適当になっていく。でもそれでいい。それくらいで聞いてくれた方がいい。
「なんでかな。なんであたしじゃダメなのかな」
「だからまだハッキリ言われたわけじゃないんでしょ」
 ぼりぼりぼりと何かおつまみを食べている音がする。
「あのね、そんなん聞かせてくる相手の応援なんてしたくなるわけないでしょ。とりあえずアバター変えるとこからはじめたら」
「……やだよ。アインの好みに改変できる自信ないもん……」
「はいはいそうだねー」
 ぐびぐびと口の中のおつまみを酒で流し込んで、ぷはーとカトルは息を吐いた。
「おっさんみたい」
「お前の話ほんと酒の肴にならないな」
「ならないのになんで聞いてくれるの」
「ガス抜きさせとかないとヤバそうだから」
「……そんなにヤバく見える? あたし」
「うん。見える」
「……」
 だから、アインには告白できない。できるわけない。ガキだって自分でわかってるから。
「はー飲んだ飲んだ」
 カトルはフルトラでごろりと寝転がった。
「悩める乙女は大変だねぇ。乙女っていうほど乙女チックな思考してないけど」
「なんでこうなっちゃうんだろ……」
 うう、と頭を抱える。結局あたし、また何もできないまま、勝手に嫉妬してぐちゃぐちゃになって、どろどろの感情に飲まれて暴走するのかな。
「……」
「…………」
 沈黙を破ったのは、ポーンという入室音だった。
「こんばんは」
「あ、こんばんは……」
 細身の長身で紺色の長髪が目立つアバターの人が立っていた。初めて見る人だ。
「カトルの知り合い……ですか?」
「はい」
「ん、んんー?」
 カトルは寝かけていたらしい。もぞもぞとだるそうに体を起こして彼の方を見ると、カトルは珍しく跳び起きた。
「リュウくん!」
「こんはんば」
 リュウくん、と呼ばれた彼はためらいがちにカトルに手を振った。
「お店の外じゃあまり話せないかと思ってから来てくれて嬉しいよ」
 へへへ、とカトルはVRヘッドセットをつけ直し、コントローラーを持ち直した。
「カトルの、イベントの人?」
「そう。こないだ入ったばかりの新人君」
 彼は少し躊躇ってから、首を傾げた。
「お邪魔していいか、迷ったんですけど……あの、お二人は」
「ああ、パートナーとかじゃないから全然気にしないで」
 気にしないで、って、あたしの恋愛相談中だったのではなかったのか。まあもう終わりと言わんばかりにカトルは寝ていたし、そうでなくてもあたしの恋愛相談なんてぶった切って彼と話しに行っただろう。
「そうですか」
 静かな声質で、読めない人だ。低い声は落ち着くけど、底知れない不気味さがある気がした。カトルはまったくそんなこと感じていないようで、リュウさんの近くへ寄っていって尻尾をもふもふしだした。
「……あの、カトルさん」
「なーに?」
「酔ってるんですか」
「酔ってまーす」
 それなら、と彼は尻尾をもふられることを許容したようだ。カトルは尻尾を撫でたり引っ張ったりしている。
 こんな関係性ですらアインと自分に変換して羨ましくなってしまう。仲が良い二人がいたら、それが異性同士か同性同士かなんて関係ない。それくらい、仲良くなれたら。忌憚なく躊躇いなく人前で撫でて撫でられて、アバターを褒め合って、感覚のない指で触れあって。蕩けそうなほど甘美な世界だ。一度知ったらきっと戻れなくなってしまうくらい。

「あの」
「……」
「スリーさん、で、よろしいですか」
「あっはい。そうです」
 つい妄想の世界へ逃げようとしてしまっていたのをリュウさんの声が引き留めた。
「カトルさんって、酔うといつもこんな感じなんですか」
「わりと、そうですね」
「へぇ……」
 自分の尻尾をもふるカトルを、リュウさんはじっと見つめている。一体何を考えているのだろう。この人も読めない人だ。考えが読めない人は苦手だ。どう対応したらいいのかわからないから。
「……カトルさん」
「んー」
「眠そうですね」
「眠いぃ」
「カトルさんは、VR睡眠されるんですか」
「しないよぉ首が痛くなるもん」
「それなら、落ちて寝られた方が」
「ええーせっかくリュウくん来てくれたのにー」
 カトルのボイチェンした声は本当に女の子のように聴こえるせいで、駄々をこねる彼女と彼氏、のように見えて仕方がない。ここでもまたなんで自分はアインとこんな会話ができないんだろうと考え始めてしまうからもう病気だ。恋の病がこれほど毒性が強いものだなんて聞いてない。
「さきに、おちるね」
 このままここにいてはだめだ。だめになる一方だ。今日は特に調子が悪い。もう寝よう。寝て忘れよう。忘れられなかったことだけ考えよう。カトルとリュウさんのおつかれさま、という台詞が言い終わる前に、バリスからログアウトした。

No.4

あたしがあなたの名前を呼ぶ
あなたがあたしの名前を呼ぶ
それだけで幸せと思えていたら
どれだけ幸せだったことだろう
あたしの名前だけ呼んでいて
あたしだけに話しかけていて
あたしの匂いだけ覚えていて
あたしの表情だけ覚えていて
あたしの輪郭だけ覚えていて
あたしの感触だけ覚えていて
お願い
お願い
お願い
お願い
あたしはこれ以上醜くなりたくない
あの子と話さないで
あの子の名前を呼ばないで
あの子のことを見てないで
あなたがあの子と話すたび
あたしはあたしと話すのだ
嫉妬という名前のあたし
あなたが欲しくてたまらないあたし
そこにぽつりと雫が落ちたら
それはあたしの涙だと思って
すくってほしい あなたに

挿絵:深水渉(https://x.com/wataru_fukamizu

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