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#05 #LLVR [a Like Love within a Virtual Realm]

 バリスのアバターが、現実に比べると表情が乏しくて良かったと思う。彼女の辛そうな顔を、見ないですんでいたから。
「最後まで私のこと見てくれなかったね」
 彼女の悲痛な叫びを押し殺して淡々と言葉を紡いだような声が、今でも耳に残っている。

「アイン、今までありがとう」
 VRでの最初の彼女の最後の言葉は感謝の言葉だった。
「アインのおかげでここでの生活がとても楽しかった」
 彼女の手が開き、それに連動して彼女の顔が笑顔になる。見慣れた笑顔だ。でもそれはなんだか歪んでいる気がした。
「多分もう会うことはないと思うけど、また会ったら〝仲良く〟しましょ」
 彼女は手を差し出した。その手が最後の握手のためのものだと理解するのに、数秒かかった。
「結婚式に呼べないのが残念だなぁ。あなたも幸せになってね、アイン」
 幸せになってね、という言葉は確か昔、リアルの恋人にも言われた気がする。
「ありがとう」
 こちらが感謝の言葉を返すと、じゃあね、と彼女はこの世界からログアウトしてしまった。


 彼女にリアルで恋人がいるのは最初から知っていた。惚気話をよくしていたし、ちゃんとイベント事の日にはVRを休んでリアルの恋人と過ごしている様子をSNSに上げていた。それを知りながらVRでの関係を結んだのは何故だったんだろう。確か恋人がちゃんといる相手からなら学べることがあるのではないか、とか考えていた気がする。オンラインだけの恋人にならない? と誘ってきたのは彼女だった。恋人がいるんだろ、と言うと、オンラインは別だよ、と彼女は笑った。彼女の恋人も別のオンラインゲーム上で恋人がいるという。
「だから私も、オンラインで恋人作ってみようと思って」
「なんで俺?」
「だってアイン、他人に興味ないでしょ」
「……」
「肉体関係のないセフレみたいなものだよ。ね、いいでしょ?」
 他人に興味ないでしょ。肉体関係のないセフレみたいなものだよ。そんな言葉で何故付き合おうと思ったのだろう。若干の好奇心があったことは否めない。いいよ、と頷いた自分はやはり、本気で他人と向き合う気がなかったんだろう。
 だから彼女が、昨年のジューンブライドの真っ只中、結婚するからバリスやめるね、だから別れないといけなくなっちゃった、なんて言っても特にショックなど受けず、そっか、おめでとう、と素直に彼女の幸せを祈る言葉を吐くことができた。
「アイン、幸せになってね」
「それはこっちの台詞だと思うけど」
「私はもちろん幸せになるよ。でもアインはさ、」
「うん」
「最後まで私に興味なかったでしょ」
 そんなことはない、つもりだった。彼女のことは自分の尺度でだが好きだと思っていた――と思う。だから彼女が幸せになるために結婚することを、ちゃんと喜ばしいと思っている。
「だからもし次またここで恋人を作るなら、ちゃんと〝恋人らしく〟してあげてね」
 その言葉の意味がわかるのは、残念ながら次の恋人と別れた後になる。

「好きです」
 少し震えた声がかわいらしい、と思ったのは本当のことだ。結婚シーズンが過ぎ夏も終わりに差し掛かった頃、つまり前の彼女と別れておおよそ三ヶ月経った頃、彼女からの告白を受けて付き合うことを決めた。その関係をここだけのものにするか、それともリアル含めたものにするかはしばらく付き合ってから決めよう、というのは彼女とちゃんと話し合って決めたことだった。結局その話し合いの続きをする前に別れてしまったが。
 自分なりに大切にしたつもりだ。なるべく傍にいて、二人きりの時間も作って、スキンシップは多めにして。それでも〝何か〟が欠けていたらしい。彼女はいつも不満そうだった。
「アイン、本当に私のこと好きなの?」
「好きだけど」
「ふうん……」
 幾度となく繰り返された質問と応答。自分の何が足りないのか結局わからないまま、自分から別れを告げた。スリーの嫌がらせから彼女を守れなかった。そしてスリーを含めた皆よりも彼女を優先することはできなかった。
 最初の彼女の言う〝恋人らしく〟が恋人を最優先にすることであるなら、確かにそれは今も昔もできていなかった。だから彼女は自分の気持ちを確かめさせるような質問を幾度となくしてきたし、その問いに好きだよと返すだけの俺にきっと不満を募らせていたことだろう。そして俺は彼女の好意に甘えてこちらからのわかりやすい好意の形を渡すことはしなかった。でもそれは結局、自分が彼女に本気になるほど惚れていなかっただけなのかもしれない。彼女のためを思って別れを告げたつもりだが、今考えると自分のために別れを告げただけだったんじゃないかと思う。だから彼女は言ったのだ。
「最後まで私のこと見てくれなかったね」
 自分が見ていたのは彼女じゃなかった。知らなかった。自分が見ているのがこんなにも自分だけだったとは。

 彼女と別れたときディーたちは変わらなかった。スリーが一番動揺していた。でもそれには何も言わず、スリーが勝手に自分の感情を消化して落ち着くまで放っておいた。ああ、こういうことか、と合点がやっといった。興味ないでしょ。見てくれなかったね。確かに興味もなく見てもいない。他人の深いところには近づかず上辺のぬるま湯でぷかぷか浮いている。良いところしか享受する気のない面倒臭がり屋。それが自分だった。興味のあるフリはできているらしい。だからお前は告白されるんだよ、とはリアルで長い付き合いのある恋人がいるディーの談だ。見抜けないやつがアホなだけでしょ、とはキャバクライベントでキャストをやっているカトルの談だ。でもどちらにせよ俺に非があることには変わりない。興味がないなら興味がないという態度でいればいいものを、取り繕って会話を円滑にできるよう適当なことを語る。あ、俺この話題興味ないんだ、という気づきを得始めたのは本当に最近で、けれどそれがわかったからといってどうすればいいのかがわからず、俺は相変わらず会話の潤滑油になり続けている。
「アインさん?」
「――ああごめん。なに?」
 男アバターである今の自分より背の低いノルへと目線を移す。アバターといえど上目遣いはかわいいと思えるものだ。それは知っている。でもそれが庇護欲だとかそういったものに結び付くかと言えば自分はいいえだった。
「いえ、難しい顔してたので」
「そう?」
 気づけば左手を握りしめていた。そのせいで表情が変わっていたらしい。まさかアバターでもそんな顔になるなんて。
「大丈夫ですか?」
「うん。大丈夫」
 そう答えるとノルは手をピースにして笑顔を作った。その様子をディーやスリーたちが見ている。VRの世界でも視線を感じるなんて、不思議なものだ。お前ノルちゃんのこと好きなんじゃないの、というディーの問い。好きか嫌いかで言えばもちろん好きだ。だがそれが恋愛感情なのかというと、よくわからない。今まで恋人というものに対して抱いていた感情が一般的にいう恋愛感情には満たないものだとわかった今では、懐疑的にならざるを得ない。だから俺は、何も言えない。
「心配してくれてありがと」
 ノルの頭を撫でるとスリーが顔を背けた。こういった行為は本来恋愛感情を抱いた者同士がやるものだろうが、リアルよりも距離感が近くなりやすいこの世界ではあるところにはある光景だ。この界隈だってリアルよりも距離感は近めだし、自分がノルにそうしたくなるのは自然なことだと思っている。だからこの行為を理由として恋愛感情があると決めつけられるのはなんだか違う気がしている。だってディーとスリーだって触れ合うスキンシップしているときがあるし。そちらの二人とこちらの二人の違いがわかりかねる自分には、多分恋愛などというものは早いのだ。
 だから、あまり深く聞かないでくれ。
 考えるのが、面倒だ。
 それが、正直なところだった。
「やほ~おひさ~」
「ペンタ」
 ちょうどいいタイミングでやってきたしばらく聞かなかった声の主の名前を呼ぶ。彼――といっても中性的な声かつ自身が名言しないので性別不明なため実は彼女かもしれない――はディーと似た体勢で、いかにもリアルでソファーに寝転がっています、という体勢でやってきた。普段なら黄色く光っている目は閉じられていて、すぐ寝ます、という主張をしている。
「久しぶり」
「いや~リアルが忙しいのやんなっちゃうねぇ~。あ、新しい人だ~こんちわ~」
「こんにちは。はじめまして」
 ノルがペンタに対してぺこりと頭を下げた。ペンタはノルに向かってひらひらと手を振る。彼の特徴である悪魔っ子の黒い羽根と尻尾が体の動きにつられて揺れた。
「礼儀正しいいい子だねぇ~」
「ど、どうも……」
 ノルはペンタのキャラクター性の掴みづらさにもう気づいたのか、少し戸惑った声を出した。
「はじめまして~ペンタです~特技は占いだよ~ん」
「占い?」
「そうだよ~」
 よっこいしょ、とペンタはソファーに座り直した。ペンタの目が開き黄色い光がこちらを捉える。椅子に腰かけている格好になって、そして俺の眼前に勢いよく人差し指を突き出した。俺はその勢いに驚いて少しのけぞる。
「占いを欲している顔をしている」
「どんな顔だよ」
 ブフ、とそれを見ていたディーが吹き出した。
「当たってるわペンタ。そいつ占ってやってよ。なるべく辛辣に」
 辛辣に占うってなんだ。そうツッコむ前に、ペンタはうむ、と大仰に頷いた。
「次会ったとき覚えているがいい」
「悪役かよ」
「隣のノル氏も必要そうだねぇ~」
「は、はぁ」
「今度特別にタダで占ってあげよう」
 うんうんと腕を組んでペンタは頷いている。特別に、というが、今までお金を取られたことはない。占いというツールを通して悩み相談を聞いているようなスタンスで、実際そこまでスピリチュアル性はない感覚だ。こちらから頼んだことはないが、何かあったなとペンタが思ったときに話しかけてくれる。実際そのタイミングは間違っていなくて、前回別れた後にアドバイスをもらった。そのアドバイスは残念ながら活かせていないが。
「いいんですか、タダで」
「大丈夫だよノル。ペンタは基本的にお金取らないから」
「ありがとう、ございます?」
 ノルは戸惑ったままお礼を言った。どういたしまして、とペンタはいたずらっ子のような笑みを浮かべ、再びごろんと寝転がる。
「といっても今日は疲れたからまた今度ね~ん」
「寝に来たのか」
「そうだよん。おやすみぃ~」
 ペンタはディーの隣に寝転がってすぐに寝息を立て始めた。
「相変わらず寝付くの早いな……」
「不思議な方ですね……」
 占い、か。占いという形でなくとも、確かにそろそろアドバイスは貰った方がいいかもしれない。この宙ぶらりんな状態が果たしていいのか悪いのか。そんなときに現れるのだから、ペンタは本当に何かを持っている人間ではないかと思ってしまう。次会ったとき何を話すか、自分の中でまとめておこうと思ったところで、今日はそろそろ落ちるよ、と言い、ヘッドセットの電源を切った。

No.5

磨りガラスの向こうに誰かいる
手を振ると振り返してくれるし
声を掛けると返事をしてくれる
僕はそれで 十分だと思っていた
ドアノブに手をかけようとはしなかった
ドアノブを回して開こうとは思わなかった
ドアを開けてそっちに行こうとは思わなかった
だって君から来なかったから
だって君が呼ばなかったから
だから行かなかった
すると君は去ってしまった

僕はまた別のドアの前に立っていた
僕は前より近づいて耳を澄ませた
君の声がよく聞こえるように
僕は前より近づいてじっと見つめた
君の動きがよくわかるように
でも磨りガラス越しじゃ表情なんてわからない
だからか君はまた去ってしまった

僕はまた別のドアの前に立っていた
僕はそっとドアノブを握る
回そうとするとひっかかる感触があった
なんだ やっぱり鍵がかかってるじゃないか
僕はその事実に安心した
やっぱりこのドアは 開けないほうがいいんだ

でもそれは
もしかしたら
僕の方から鍵をかけていたのかもしれなかった
僕は開け方もわからないまま
今日もそのドアの前に立つ

挿絵:深水渉(https://x.com/wataru_fukamizu

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