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「よそ者、若者、バカ者。『よそ者』て何?」を考える論文を読む。

 観光まちづくりに関する新めの論文を読んでいたら、まちづくりへの参加に関して面白い考察をしてました。その元ネタが今回の論文。
「よそ者、若者、バカ者ってよく言うけど、よそ者ってそもそも誰?」
 「そう言われりゃ、確かにそうだわ!」(名古屋弁)というテーマ。
 かく言う私は移住者なので俄然興味が湧き、読んでみました。今回も北陸先端科学技術大学院大学の敷田麻美教授の論文です。


超要約すると…、

 地域にとって、時に新たな担い手として期待され、時に嫌悪の対象となる「よそ者」。しかし、明確な定義付けがないため、よそ者が地域に関与していくプロセスを北海道の長期滞在者を事例に考える。
 不動産などの資源を持つことは地域に大きな意味を持ち、また、サービスの創出は地域資源から価値を生み出し地域を豊かにし、消費は賑わいをもたらすため、よそ者と内部者の判断基準を「地域内に資源を持つか」と「地域のサービスを創出・消費してるか」の2つの視点から分類した。(下図)
 分析の結果、よそ者は長期滞在や地域行事への参加で自然に内部者になるのではなく、資源所有とサービス創出を通じて内部者へと変わると考えられる。この考え方は、移住、二地域居住や関係人口など地方創生の施策に活用可能ではないか。

よそ者の地域定住者への変容に関する考察(改訂版)から抜粋

基準からよそ者を考えてみる

 交流人口、関係人口、移住と言っても、こっちの面からは交流だけど、そっちの面から見ると関係人口、となって、まちづくり現場はそりゃもう大騒ぎになる訳です。ならないかもしれません。そこで本論文は資産保有とサービス創出・消費の2つの基準により線引した訳です。

 例えば、
別荘を持つだけならばよそ者感がある。でも、地域の消費に参加すれば関係が濃くなる。サービス創出に参加すれば内部者っぽい。
長期滞在者は、地域の賑わい創出に貢献しても資産の所有がないとやはりよそ者感がある。
下宿してる大学生。引きこもってるとよそ者でしかない(昔の自分だ)。でも、ゼミとかで地域活動に参加すれば、気持ち内部者になるが資産保有もなく卒業後離れるつもりなら内部者とは言えない。
・論文では触れてませんがサラリーマン。家土地買って住んでいても◯マゾンやシーイ◯、会社近くのスーパーで買い物して、地域活動にも参加してないとよそ者感がある。

 この線引き、すごくわかりやすいわ!確かに、自分は移住して、資産保有して、サービス創出に関与してるので何となく内部者感がある。現場レベルで共感できる基準じゃないかと思います。
 ありがとう敷田教授!知らんけど。

最後に

 この2つの視点での説明は、論文でも触れているように、特に近年流行りの地方創生を考える上でとても重要だと思います。
 全て移住するわけでない、観光客も重要、関係人口もありがたい、と、施策を行っているうちに、一体何のために何をやってたんだっけ?と、なりがち。一つの施策であれこれ効果が期待できてしまうがゆえですが。そうした際に、施策が分析図のどの象限と相性が良いのかを考えると整理しやすくなる。この2つの視点があると、現場を悩ませ続ける成果指標を考える上で、特に助かるのではないかと思います。
 まちづくりはさまざまな背景や考え方を持った多くの人を巻き込む必要があるため、わかりやすい視点を提供しないと議論になりません。うまく活用できると良いなと思わせる内容でした。
 興味のある方は以下からお読みいただけます。

https://dspace.jaist.ac.jp/dspace/bitstream/10119/18029/1/3453.pdf

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