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ひとりで生きている

寺地はるなさんの「みちづれはいても、ひとり」を読んだ。

弓子と楓は同じアパートの隣人同士。いわゆる、アラフォー。ふとしたきっかけで二人で旅に出ることに。

誰かと一緒にいても、その誰かというのは自分とは違う人間で、結局のところ人間はみんな一人で生きているんだなぁと。一足す一は二にならない。永遠に一足す一のままなのだ。

友人でも恋人でも、一足す一のままで居心地の良い相手と出会えたら幸せだろう。逆に、むりやりイコールで結んで二にしようとする人は、自他の線引きがあいまいな危うい人だから、距離の取りかたに気をつけたほうがいい。

宏基と結婚した時、もちろん、嬉しかった。それは、宏基が好きだったからというのももちろんあるけれども、もう新規の恋をしなくていい、という安堵も大きかったように思う。

先日読んだ、「どうしてわたしはあの子じゃないの」にも同じような言葉があった。恋愛市場から離脱できる安心感。これはすごく分かる。

独身でいると、自分の意志とはほぼ無関係に、世間の目によって恋愛市場に放り込まれているような感覚がある。人づきあいが苦手な私は恋愛にも面倒さを感じていて、だから結婚には向いていないとずっと思っていた。

でも、いざ結婚してみて、違うのだと気づいた。おそらく、恋愛が苦手なほうが結婚には向いている。いつでも恋愛していたいというタイプの人は、結婚生活に退屈してしまうのではないだろうか。

とりわけ女性は既婚者というレッテルによって、良くも悪くも個性がなくなる。恋愛対象としてだけでなく、学歴や職歴などの属性についても、他人から関心を持たれなくなる。

「主婦」の仮面は分厚くて、すべてを覆い隠してくれる。姓も変わるので、人生をリセットするにはもってこいだ。私は結婚によってだいぶ生きやすくなった。もちろん、私にとってメリットであるこれらの要素は、別の人にとってみればマイナスにしかならないだろう。


楓の仕事観にはものすごく共感できる。

あたしにとっての仕事は、自己実現のためでも社会貢献のためでもなくて、ただひたすら食い扶持を稼ぐということであるから、けっこう必死なのだ。めそめそ泣いてなどいられない。

生活費を稼ぐためだけの労働。たぶん、この働き方が一番しんどい。だから大人は子どもに「夢を持て」「やりたいことを見つけろ」と言うのだと最近気づいた。

普通に働く=お金のためだけに働くことは、しんどい。しんどいからみんな必死で歯を食いしばっている。頑張っていないように見える人に対して、八つ当たりすることもある。相手はホームレスだったり、引きこもりだったり、あるいは同じ職場の若い女の子だったり。


弓子の人間関係におけるスタンスがかっこいい。

私は朝の連続テレビ小説の主人公ではないからみんなに好かれる必要はないし、私の人生は最長でもあと半分ぐらいしか残っていないのに「他人から、わがままで我慢がたりない人間だと思われたくない」とかっこうをつけている場合ではない。
興味のない話に興味深げに相槌を打つ技術を、今日に至るまでついに会得することなく私は中年になった。特に後悔はしていない。

私もこれくらいの境地を目指したい。向かっている方向はあっていると思う。なにかおかしいと思うことや不満があって、親しい身内以外の人に、たとえば職場の人に意見するときは緊張する。

(自分勝手だろうか?)(わがままだろうか?)自問自答しながら、それでも言う。言った日は夜寝る前に思い返して溜息をついたりするけれど、後悔はしない。

思いは言葉にしなければ伝わらない。言わなくとも察してくれというのは甘えだし、その甘えが通用するのはきっと若い女の子のうちだけだ。思いをスマートに伝えられるおばさんを目指したい。


夫婦だって、友だちだって、一緒にいるだけで「ふたり」という新たななにかになるわけではなくて、ただのひとりひとりなのだ。


ひとりひとりの中で、ちゃんと生きていけるように、毎日を頑張ろうと思う。

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