「ナラティブ」最近気になる言葉である。
社会構成主義の考え方が好きで、それを理論背景としているナラティブは今の時代に必要なものだと直感的に感じている。ただ、「ナラティブ」という言葉自体を捉えることがなかなか難しい。そこで、以下の書籍の文言に出会った。今のところ、一番しっくり来ている。
なんとなく、「ストーリー」と「ナラティブ」の境界が世間では曖昧な気がしていた。また、現代の使われ方として「主観的なアプローチ」として、引用されている場面が多いようにも感じる。
昨今、主観的なことは思い込みや偏見が入り混じり、客観的なことが科学的なことであり望ましいことであるといった風潮も感じている。ただ、科学的であるとは、再現性があることではないか。そして、再現性とは、誰がいつどのような状況で実施しても同じ結果が出ることである。以下ポッドキャストからの引用。大変共感している。
では、キャリアはどうか。人生にある出来事にどれだけ私たちは再現性を求められるのだろうか。
予測不可能なこと、起きた出来事に適応しなくてはいけないことの方が多いのではないか。そういった意味で、改めてナラティブについて検討する余地が十分にあると思う。