パラサイトブログ#40

私は他人様のブログをベースに、自分の見解やコメントを記していくと述べました。その40回目になります。

【有事に人は何ができるか ~寄付は「偽善」なのか~】
 https://www.fra-sco.co.jp/post-3233/

 「北海道地震への支援」をクラフウドファンディングで
 立ち上げたことに関する思いあれこれ。

抜粋はこちら。
「クラファンで募る寄付なんて、サラリーマンのときに見たら
 あんなの偽善だと一刀のもとに切り捨てていたと思う」。

今の私は、寄付することにバリアが無いためなんとも思いませんが、
昔からそんな気質であったわけではありません。

中学高校とカトリック系の私立に通っていたこともあり、
年がら年中、寄付やボランティアという言葉が飛び込んできて、
その頃には随分と「偽善」的な行為であると認識しておりました。

現役の中学生二年生でしたから「中二病」とは言わないのでしょうが、
安田代表と似たようなことを思っていました。
「寄付や募金活動に時間を割かせるくらいなら、
 強制労働=バイトさせてその対価を搾取すればよい」
「それもしないで、学校の案内誌面に活動内容を高らかに載せるのは
 明らかに偽善でしかない」

しかし、そんな私も、19歳のときに、神戸の地面が大きく揺れてからは、
次のような考えに至りました、
「できるやつができることをやればよい」
「それを咎める権利は誰にも無い」

自宅で直接的な被災はしておりませんが、神戸の友人やその家が映される映像を見て、自分なりの考えと判断を要求されたように思います。
言葉は慎重に選ぶ必要があるのですが、‘貴重’な経験ではありました。

人生を左右すると信じていた大イベント(センター試験翌日、二次試験の直前)の最中に、それを捨てて助けに行くのか?、それを選んで被災地を切り捨てるのか?、その中間を自分なりに模索して動いてみるのか?、などなど。
どれを選んでもよくて、その結果どうなって、後からどう思うかなんて、
その人にしか判断はつかないことなのだから、外野は黙っていろと思ったのです。(小器用な私は、多くの命のあるなしを目の当たりにしつつも、心の中で線引きしながら、受験と被災地活動について、‘自分なり’の戦いをしました。)

大学進学時は貧乏でしたから、寄付なんて考えには到底及ばないわけですが、会社員になり所得を得てからは、一定額は神戸の被災地に寄付してきました。就職氷河期ゆえに「ボーナスがいつも出ると思わないでほしい」と会社説明会で言われてもいましたから、「出るのは幸運、なくてもよし」の気持ちで寄付にたどり着いたのです。
「毎晩飲み歩いてるから、ボーナスはカードの支払いで吹っ飛んだわ」
適当なことを言っておりましたが、年2回滞りなく支給されていたものを、まるまる送っていました。

当時の私ができたことなんて微々たるもので、その手が届く相手というのも
ごく僅かでしたが、今はこれならできる、そしてそれをやる、という気持ちですかね。「神戸の街は完全に復興した」という報道特集を見て、これはこれで勢いづける支援の意味もあったのでしょうが、まだまだ終わっていないという現地の声も聴いていたので、必要とされるお金を支援し続けました。

「すごいね」とか言われるものでもありません。
俗物まみれですから、累積金額をたまに考えなくもありません。しかし、そもそも貯金を積み上げて楽しむタイプではなく、持っているお金を‘使う’ことに楽しみを見出す性分ですから、精神的充足という意味でもコストパフォーマンス(?)は高いのです。きっぱりと言えます、自己満足です。
さすがに結婚してからは、マネーシミュレーションも変わってきており、
子供のことも考えて寄付は控えめになりましたが、それでも勝手にやらせてもらっています。家のお金は私が管理していますし、「賞与の半分以内」で言質はとれていますので、家庭内でも何も問題はありません。

要するに、自己満足でも良いので、
やりたいと思うこと、できることをすれば良いのかなと思います。

安田代表は、プラットフォームの運営者としてどう判断したら良いかと頭をひねられたようですが、これも基本は同じだと思います。
確かに、将来に繋がるポイント利用を後押しする実験として告知したことも問題はありませんし、ご本人の出身地だったからといって、気に掛けることもないのです。
人が何かに挑戦するときに、応援こそすれ、邪魔することには意味は無いのですから。

それでは皆様、今回も最後まで目を通して頂きありがとうございました。
引き続き宜しくお願い申し上げます。

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