詩はどのようにできるのか
先日、何人かの方に詩について話をさせていただく機会がありました。
詩がどのようにできるのか、という創作の過程を興味深く聴いてくださったので、あらためてここに書くことにします。
詩はひとつひとつ、できあがる過程はそれぞれまったく異なりますので、あくまでもここに紹介したものは一例にすぎませんが、読んでいただいて、詩に興味を持っていただければ幸いです。
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かかとのかたちは美しい。
ふくらはぎの筋肉からアキレス腱へ伸び、そしてかかとに到達する一連の流れ。そのかたちはまるで水滴が地に落ちるかのようで、とても美しい。
わたしは人体のもっとも美しい部位のひとつが、かかとだと思っています。なぜかというと、かかとこそが、人を直立させ、頭部を天に持ち上げることを可能にした、地に接する要だからです。四つ足の動物のほとんどはつま先立ちが常態ですが、人はそうした俊敏性を犠牲にしており、その象徴こそがかかとです。植物は根をもつことで天へ直立する力を得ましたが、同じように直立する力を人はかかとによって手に入れることができました。
かかとを深く観察すると、移動する動物の力と、直立する植物の力を併せ持っているように思えます。そうして、立つ、歩く、という人の動きの根幹にあるのが、かかとです。
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ギリシア神話『変身物語』をイメージの源泉にした詩画集をつくりました。
その過程で神話を読んでいる時にふと、神々の劇的なシーンはたくさん描写があるが、普通に歩いている姿はどんなだろうと想像しました。特定の神ではなく、自然のエネルギーを具現化したような神。わたしの勝手気ままな夢想です。ただ歩くだけの神。
そこで頭に浮かんだのが、先ほどのかかとの美しさでした。水滴のようなかたちと、地を踏む力がリズミカルに連動し、天へと上昇する生命力を顕現させる。下方へのエネルギーが上方へ転化され、かかとのかたちをした瑞々しいしずくたちが天へと滴ってゆく…。
こうしたイメージの重なりでできた詩。
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実際のところ、こうした詩の過程をはっきりと意識して創作しているわけではありません。無意識にできあがってから、自分でもなぜこう書いたのか分からない、ということがほとんどですが、今回とりあげた詩はイメージの元が分かりやすいので例として選んでみました。
いつか水滴のようなかかとのオブジェを、粘土でつくりたいと夢想しています。
ちなみに最近知ったのですが、古代ギリシアではくるぶしに肉体的な魅力を感じていたらしいです。くるぶしも水滴みたいで美しいですね。
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-展示のお知らせ-
6月まで、上記の詩も展示しています。
(展示自体は8月中旬まで)
よろしければ。