心耕

川の近くに土地を借り、竹藪を払い、小さな耕運機を入れて耕し、農業の真似事をし、野菜を栽培したことがある。
草をとり、石灰をふり、肥料を入れて、畝を作り、種をまき、上からビニールをかぶせるとか、けっこう細かい作業が必要であった。収穫の時は喜びである。でもいつもいつも収穫というわけではない、がっかりすることがしばしばであった。
でも、地べたに座り込んでいると大地の温もりが身近に感じられたり、収穫うんぬんとは異なる気持ちを感じたこともたびたびであった。いつの間にか自分の心を耕していたのかもと思った。文化のことを culture というが、ラテン語のcolere に由来し、耕す、ということらしい。英語ではcultivateである。人生の後半になってやっと文化に目覚めたようである。それまでの文化はおそらく人から教えられたもので自分で耕してはいなかった、と思う。
 人が心を耕すための畑は日常であろう。人との交わり、仕事への取組み、その過程での難しいことなどがそうである。今回、全世界の人々がすべて自分を耕すことを促されている。
でも中にはそんな余裕のない人もおおい、そんな時は近くにいる人々と会話し分かち合うという場がある。
そんな私の畑は水害でだめになってしまった。今また畑を作る気力体力はなし、あの頃がなつかいい。


草を抜く 土は豊穣 夜は明けん 朝露踏んで 心耕す 
どっかりと 地べたに座り 空を見る じっと眺めて また雑草に
土を掘り 小さき苗を 地に置いて 土を被せる わが手がシャベル
耕すは 文化に通ず それぞれの 土地に根ざした 気候と風土
土見れば 異文化異人種 なんのその 育むものは 地球の上に


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