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『ステーション・スシバー』

 俺はその日たまたま、飯の時間が遅かった。それで、朝に飯を買っている時間もなかった。だから同じ状態の同僚を誘って仕事の移動中に寿司BARで立ち食いを、と思ったのだ。
BARとは言うが酒は出てこない。SCOP食材の寿司を頼んだそばから出してくれる安い店のことだ。

かつかつかつかつ、ぱくぱくぱくぱく、むしゃむしゃむしゃむしゃ。

その男はカウンターの前ですごい勢いで寿司を口に入れていた。
そんなに腹が減っているのかと思わず男を見てしまう。顎から頬を経由して頭の上まで伸びている白いサイバーウェア。上品な黒コートの下は見たことがあるようなないようなスーツ。俺たちのようにせせこましく仕事をしている平社員ではない。どう考えたってもっと上の階級だ。

かつかつかつかつ、ぱくぱくぱくぱく、むしゃむしゃむしゃむしゃ。

俺が観察を続けている間も彼は物凄い勢いで寿司を喉に流し込んでいる。美味そうに食うな……と思いながら横にいる同僚をつつく。
「なあ、アリス」
「なんですかぁ?」
「…ご馳走様」
同僚に振り返っている間に男は湯呑みを呷り、さっさと出口へ向かってしまう。会計はオンラインで済ませたのだろう。
「あ、行っちゃった……。さっきの、どう見たってコーポゾナー級なのにすごい勢いで寿司食ってたから気になって。顔とか知ってるかな、と」
「そう言うのはその人が立ち去る前に言ってくださいよ。見てません」
「まあ、そうだよな」
その後に続く同僚の言葉を頭の上に漂わせながら、俺は白いツノの黒コートのことを考えていた。
仕事が忙しくて安い飯にしたんだろうか、とか。もしかしたら彼にとっては一週間で最も冴えない日で、やけ食いでもしたかったのだろうか、とか。



 翌日。俺はわざと食事の時間をずらして、昨日と同じ時間に昨日と同じ店に寄った。もしかしたら彼に会えるかもと思ったんだ。
予想は当たった。白いツノの黒コートは昨日と同じ位置に立って寿司を喉に流し込んでいた。

かつかつかつかつ、ぱくぱくぱくぱく、むしゃむしゃむしゃむしゃ。

「何にしやしょ」
「マグロと、カニカマを」
「へい」

かつかつかつかつ、ぱくぱくぱくぱく、むしゃむしゃむしゃむしゃ。

彼は出てきた寿司を蕎麦でも食うように流し込んでいる。俺は粉を溶いただけの抹茶で口を湿らせる。別に忙しいと言う訳ではないのだろう。元々食べるのが早いんだ。

ふと男の箸が止まった。視線を上げると男とばっちり目が合う。

「…何だ」
「いえ、美味しそうに食べるなぁと思って」
「…………」

かつかつ、ぱくぱく。

男は食事を再開した。俺の目の前にはSCOPのマグロの握りが出される。箸の先を醤油に浸して、寿司を掴んで口に運ぶ。上司には「変な醤油の付け方だ」とケチをつけられたが俺はこのあるかないかの醤油の量が好きなんだ。
「…こちらヴァルター」
白ツノが喋ったので視線をそちらに向ける。耳の近くのツノを触りながら彼は相槌を打っている。仕事の電話だろうな。
「いえ、もう戻ります。はい……はい、わかりました」
喋り終えると早々に彼は抹茶で喉を綺麗にして俺の後ろを通り過ぎようとする。
「明日は何食べるんですか?」
気付いたらそんなことを口走っていた。普段の俺は同僚と違って目上の奴らに興味を持ったりしないのに。
白ツノは足を止めて俺に振り向く。今更ながら綺麗な顔立ちだ。金があって地位があって見目もいい。天が二物三物を与えたような男だ。
彼は懐に手を突っ込みながら俺に近付く。機嫌を損ねただろうか? と一瞬思ったが彼は電子名刺を差し出した。それを見て慌てて俺も名刺を取り出し、お互いに交換する。

アラサカケミカルホールディングス『荒坂製薬』傘下企業『GOOD Medicine』…取締役!?

やべ、本当にコーポゾナーだ。ていうか企業経営側じゃん。つよ。
俺はちょっと興奮しながら名刺を読んだ。彼も俺の名刺に目を通す。
「……なんだ、あんたアラサカ本陣じゃないか」
「いや、でもヒラなんで……」
「うちなんか子会社だぞ」
「そうは言うけど経営側じゃないっすか」
「まあな」
彼は名刺をスーツに仕舞う。
「取締役なんていうお偉いさんがなんでこんな寿司BARで食事を? 座って食べる寿司も余裕で食べられるでしょう?」
普段なら絶対しないのに、俺はずけずけと質問をする。不思議と彼には壁を感じなかった。
「この店は提供速度が早いし味も悪くない。それに普段から高い店じゃ息が詰まる」
「へえ」
「週二回はホットスナックかジャンクフードだ。息抜きにな」
「変わった息抜きですね」
ジャンクフードが息抜きか……。普段いい物ばっかり食べるから飽きるんだろうか。贅沢な息抜きだ。嫌味じゃなく。
「明日は接待でまた高い店だ。嫌になる」
「そうですか…お疲れ様です」
彼はまた白ツノに指を当てる。
「はい、ヴァルターです」
次の仕事の電話だろう。彼は片手を上げて俺に挨拶をし、俺は会釈を返してそのまま別れた。
彼の背を見送って俺はやっとカニ風カニカマの寿司を口に入れた。

 それが昨日の出来事。俺は社のデスクでぼんやりもらった名刺を眺めている。この後また彼と会う機会があるのだろうか?
「なんです〜? 名刺なんか眺めちゃって」
「ああ、アリス」
「誰の名刺ですか?」
「昨日も寿司BARで会った人の……。うちの傘下企業の人だった」
「へー、お偉いさんですか?」
「GOOD Medicineの取締役だって」
「“社名とエプロンはダサイが薬は一流”さん!」
「イケメンだったぞ」
「かーっ! 顔も地位も恵まれたボンボンめ!」
「まあ、ボンボンなんだろうな」
「それより、名刺に見惚れてる時間あったら仕事手伝ってください」
「あー…うん。わかった」
デスクから腰を上げる。
「やけに素直ですね。その取締役とデートの約束でもしたんですか?」
「いや、その手の約束は全く。名刺交換しただけ」
「じゃあ一目惚れですか」
「惚れてはいないが気にはなったな」
喋りながら書類の束を一山、己のデスクに追加する。二時間したら昼になる。彼は接待だと言っていた。
「どこの店で食うんだろう」
俺は彼の食事を想像しながら、朝買ったプレパックにちらりと目をやった。

『ステーション・スシバー』・完

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