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『黒骨の騎士と運命の子Ⅰ カリバーンの乙女』−3

世界観


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2.黒骨の騎士と泉の乙女


3.黒骨の騎士と幽霊騒ぎ

 外はダラダラと雨が降り続いている。黒骨の騎士フォンザーはどんよりとした空を見上げ溜め息をついた。振り向けばはちみつ色の髪の小さな姫が、同じ大きな布張りのテントの中、支柱の近くで高く積まれたクッションや枕で囲まれたベッドの上に赤い顔をして眠っていた。

 竜人たちの町ソン・サザリームから出発して二日後、ハルサラーナ姫が高い熱を出したためフォンザーを始めとする姫の従者たちは旅すがら商売をしてまわる商隊(キャラバン)に助けを求めた。追手を撒きながら移動しなければならない時、フォンザーたちはこうやってキャラバンを頼り、キャラバンも腕の確かな元兵士に護衛をしてもらえるならと何度かお互い助け合っていた。そして運のいいことに、今回出会したキャラバンは以前も世話になった商隊『グランズラー』だったのである。

 フォンザーは姫に近寄りそっと首元に触れ熱を測る。二日経っても熱は一向に下がらず高いまま。仲間の白魔法使いクレリアの診断では風邪などではなくただ熱が出ただけとのことだったが、姫君の症状が改善されないまま旅を続けるのは無理があると従者たちは考えていた。
 フォンザーが姫のとなりで椅子に腰掛けると小人族(テラムン)のディミトラがテントをめくって中へと入ってきた。
「姫さまの様子はどうだい」
「……変わっていない」
「そう。困ったねえ」
ディミトラもベッドの近くへ行き椅子に腰掛ける。
二人が同時に溜め息をついたその時、テントがめくられ活気のある声が響いた。
「サラちゃんは!?」
「寝ている。静かにしろ」
フォンザーとディミトラの元へ顔を出したのは商隊『グランズラー』の女主人、サ・カラーナ。彼女はフォンザーの小麦色の肌よりも濃い茶の肌を持つトーラーの女性で、巻毛の黒い髪は鮮やかな模様入りの薄緑色のターバンでまとめ、厚い情熱的な唇には薄紫色の口紅を塗っている。サ・カラーナは三年前ハルサラーナ姫たちが追手から逃れるためにひと月ほど生活を共にした仲で、ハルサラーナこと「サラちゃん」の大ファンだった。
「サラちゃんが熱を出すなんてどんな酷い旅をしてるんだいアンタは!」
「おい、静かにしろと言ったはずだぞ」
サ・カラーナの拳をドシンと肩に受けたフォンザーは溜め息をつく。サ・カラーナは筋金入りのドラゴニーズ嫌いで──何でもその昔ドラゴニーズのせいで酷い目にあったそうだ──フォンザーは三年前出会い頭に喧嘩をふっかけられたくらいだった。
「役立たずのアンタの代わりに熱冷ましを持ってきたんだよアタシは」
「気が利くな」
小瓶に入った熱冷ましのポーション(水薬)を受け取ろうとしたフォンザーの手はサ・カラーナによりぺシンと叩き落とされる。
「タダじゃやらないよ」
「姫への捧げ物ではないのか」
「商品を安く提供してやるって話だよ。金は要らないが代わりにアンタを三日借りる」
「ほう、俺を? ドラゴニーズ嫌いがどう言う風の吹き回しだ?」
サ・カラーナはガラスの小瓶を掲げ腰に手を当てる。
「受けるのかい、受けないのかい?」
「姫のためならおおよそのことは承る」
「そうこなくちゃ」
サ・カラーナは小瓶を開けるとガラスのスポイトをハルサラーナ姫の唇にチョンチョンと当て、少女が朧げに花のつぼみのような唇を開くと透明な薬を二、三滴その口へ落とした。
「甘いお薬だから大丈夫だろう? サラちゃん」
ハルサラーナはぼんやりとしてはいるものの笑顔を見せ、また目を瞑った。
「半日から一日で利くよ。これが効かなきゃ他の白魔法使いに相談するんだね」
「感謝する。それで、見返りの仕事は?」
「ついて来な」
ディミトラと顔を見合わせ頷き、フォンザーはサ・カラーナに続いてテントを出た。
 連日の雨のせいで道はぬかるみ、キャラバンたちは野営を余儀なくされていた。フォンザーたちが借りたテント以外にもたくさんのテントが辺りに並び、彼らはそれぞれ雨を凌いでいる。
「幽鬼(ゆうき)退治?」
「アタシの可愛いバカどもが、二つ返事で請け負っちまってねえ」
サ・カラーナとフォンザーは並んで、比較的ぬかるんでいない草道の上を歩く。
「お客が仕えてるお屋敷にお化けが出るとかで、買い物した時にちょろっと話をしてね。うちのバカどもは、傭兵のツテがあるからよければご紹介しましょうか〜? なんて言っちまいやがって。ツテってのは要はアンタのことなんだよ」
「なるほど。お前の部下の尻拭いをしろと言う訳か」
「そうさ? 傭兵への仕事の斡旋なんてウチはやってないっての。でも請け負っちまったものは仕方ない。やるならやるさ。仕事だからね」
「ふむ。ではその屋敷の場所は?」
「本当に請け負うのかい?」
「受けてしまったのだろう?」
「そうなんだけど。出来ないことは出来ないって突っぱねるのもプロとして大事だよ」
「幽鬼退治をしたことはない。が、夜の子である俺に幽鬼如きが敵うと思うか?」
サ・カラーナはヘンッと口の端を上げた。
「あーあー、ドラゴニーズの傲慢が出たね。アタシゃ知らないよ。場所は首都サンバリ手前の街、バンヴェルの一番大きな白い屋敷、だとさ。行けば分かるくらい大きいみたいだよ」
「見れば分かる程度に大きい? ……貴族の家なら困るぞ」
「ここはヴォナキアだよ。テリドアの下級兵なんて知られてるもんか!」
「あのな、俺は叩き上げの下級騎士ではあったが巨人殺しの黒騎士(シュヴァルツ・ナイト)として二百年帝国に仕えたのだぞ。貴族界にはそれなりに顔が知られている」
「受けちまったんだから仕方ないだろ。どちらにしろ謝礼はたっぷりもらえる。つべこべ言わず可愛いサラちゃんの薬代を稼いで来な」
「はぁ、本当にお前という奴は……」

「では少なくとも三日は留守にするのですね?」
 その日の夕暮れ。旅の仲間が全て揃った前で事情を話すとクレリアはそう口にした。
「ああ。移動に何時間か掛かるそうだからな。向こうに泊まる前提らしい」
「既に決定しているようですが、姫さまがこの状態です。あなたの体調にもよりますよ」
「俺は何ともない」
「……その言葉を信じます。この雨でキャラバンも動けないようですから、姫さまと共にお待ちしています」
「うむ。留守はお前たちに任せる」
「でもさ、フォンザーに幽鬼退治なんて出来るの?」
「幽鬼と言うのは闇の淀みに属する怪物どもだ。言ってしまえば奴らにとって俺は上司の子ども。多少言うことは聞くだろう」
「幽鬼を説得する気かい? 聞いたことないよ」
「だから幽鬼退治などしたことはないと言ったろう」
「大丈夫かなぁ……。俺ついて行こうか?」
「連れて行くならお前よりクレリアだが、今回は医者として姫のそばにいてもらう」
「そうですね。姫さまに何かあってはいけませんし、熱冷ましが効くかどうか観察したいですし」
「そう言うことだ。俺は一人で行く」
また一人で仕事をする気でいるフォンザーを三人の従者は不満そうな顔で見つめた。
「何だ」
「また呪いをかけられても困るしさぁ」
「次は油断しない」
「そう言う話じゃないんだよ。フォンザーは一人で何でもやりすぎってことさ」
「何度でも言うが、俺はお前たちより名と顔が知られている。一人ならまだ逃亡兵だと誤魔化せるがお前たちを連れて歩けば予言の姫の従者だとバレるんだ。姫はもちろんお前たちを危険に晒す気はない」
「それが水臭いって言ってんだよ。何年一緒にいると思ってるんだ」
「そうです。今回あなたが呪われた際も誰も同行していなかった。故に起きたことですから、同じ轍を踏まないことは大事です」
アレッキオとクレリアが譲らないためフォンザーはついディミトラの顔を見つめる。
「お前も同じことを言うのか?」
「あたしはフォンザーの言うことも分かるよ。単独行動の方が効率がいいこともあるからね。ただ……」
「ただ?」
「今回はアレッキオとクレリアに賛成だね」
フォンザーは本日何度目かの溜め息をついた。
「俺は誰も連れて行かないぞ」
「構わないよ。勝手について行けばいいのさ。そうだろう?」
「おい……」
「頭いいねディミトラ。で、誰が行く? 俺かディミトラだけども」
「貴族の機嫌を取るならあんただろうけど、幽鬼退治だからねえ……あたしが行こう」
「本当? これでも弓士だよ?」
「幽鬼騒ぎってのは本当に出るのは稀で、大体は詐欺さ。カラクリを解くならサーカスにいたあたしの方が向いてるよ」
「そう言うことなら任せるよ。フォンザーをよろしく」
「任されたよ。ま、仲間と思われないよう現地で合流するとか方法は色々あるからね。何とかなる」
フォンザーは天幕を見上げ、また溜め息をついた。

 ヴォナキア王国の首都サンバリに接する郊外バンヴェルは、古くからワイン作りで有名な土地柄で貴族たちや金持ちの屋敷が多い場所だ。馬車でバンヴェルを通れば美しいワイン畑がなだらかな丘の上にどこまでも広がっている。
フォンザーとディミトラは『グランズラー』の商隊員に馬車を出してもらい、ワイン畑が広がる広い馬車道に降り立った。そして既にそこから見える大きな白い邸宅を目にして、フォンザーは嫌そうに顔をしかめた。
「……思い出した」
「何だい」
「ここ何年もバンヴェルなんて訪れていないしすっかり忘れていたが、あれは知り合いの屋敷だ」
「ほう! 貴族に知り合いがいるのかい!」
「二百年も国に仕えていれば貴族の一人二人知り合いにもなる」
「あたしには別世界さ。あの屋敷の貴族はどんな奴なんだい?」
フォンザーは歩き出したディミトラの歩幅に合わせてゆったり歩き始める。
「この辺りは見ての通りワインで有名な地だが、水霊の伯父上に愛された水のいい土地でな。その昔ここらのワインは直接教会に納めるのが当然で市民には解放されていなかった。そのワインを市民にも提供するようになったのが今から行く知り合いの先祖だ。最後あいつに会ったのは何年前だったかな……二十年は経っていないはずだが」
「知り合い本人がいるのかい?」
「多分な」
「フォンザーの古い馴染みか。想像出来ないねえ」
「行けば嫌でもわかるさ」

 フォンザーのその言葉通り、屋敷の玄関を潜りロビーに顔を出すと早々に屋敷の主人が姿を現した。
「おお! 我が友よ!! あの巨人も恐るる黒騎士フォンザー・ベルエフェ卿ではないか!!」
溜め息をついたフォンザーに駆け寄るのは教養として仕込まれたオペラの声量と中低音の美しい声、明るい茶の髪には白髪が混じり顔にも皺が目立ち始めたものの、昔はさぞ美男子であっただろう面影を残す中年の男性だった。そのトーラーの男は己より頭一つ背の高いフォンザーに飛びつくと力の限り抱擁した。
「アシル……やはりお前の家か」
「どうしたんだ友よ! あれから十年経ったぞ! おお、その若さ雄々しさ……私が幼い頃から何も変わっていない」
「わかった。感動はわかったから離せ」
アシルと呼ばれた貴族の男は傍らに佇むディミトラに気付くとさっとお辞儀をして彼女の手を取った。
「ご機嫌よう。よくいらっしゃいました。私はオラール卿、アシル・エミリアン・ナヘィムヴールと申します」
「こりゃあご丁寧に。あたしはディミトラ。ただのディミトラですよ。どうも」
ハルサラーナを真似してディミトラは軽く膝を落とした。挨拶に満足するとアシルは再びフォンザーを見上げた。
「こちらのご婦人は?」
「旅すがら一緒になってな。半年くらい同行している」
「おお、そうか。友が世話になっています、ええと……ミス?」
「ご婦人なんて高尚なもんじゃないよあたしは。生娘でもないのにミスなんて、柄じゃないし名前だけでようございますよ旦那さま」
「ではディミトラさんとお呼びします。さあさあ友よ。長旅で疲れたろう。そうだ、君にお勧めの新作ワインがあってね」

 アシルはフォンザーを連れ客間へ赴く。両開きの大扉が開かれると客間には今回の幽鬼退治に呼ばれたと思しき者たちが三人集っていた。
「ややっ! やっ! 黒いツノ! 悪しき者め!」
フォンザーを見るも早々にそう口にしたのは僧侶らしき濃灰色のローブ姿、後光を示す輪がついた十字架を首から下げた魔祓い士らしき、トーラーの中では背が低い中年男。
「何をおっしゃいますか。あちらは竜の子。精霊の子ですよ。なんと罰当たりなことを」
そう告げるのは若々しいトーラーの男。薄茶色のフード付きローブを着ていて肩まである長い杖を携えている。魔法使い……と言うには小慣れた雰囲気はなく、まだ見習いのようだった。
「役者は揃った、と言うわけだな!」
残りの一人はハットを被り茶色の紳士服の上に濃茶色のマントをつけた胡散臭いトーラーの壮年の男。
三人を見渡した後フォンザーはアシルの顔を見た。
「……幽鬼退治に何人呼んだ?」
「君たちが思わぬゲストとなったが、私が呼んだのはこの三人だよ。皆さん、友人を紹介します。彼はテリドア帝国の勃興と衰退を見守った黒騎士(シュヴァルツ・ナイト)、フォンザー・ベルエフェ卿。国を脅かした巨人を屠り、時の皇帝に“色”の称号を与えられた英傑の一人です。隣の方は、彼の旅の連れでディミトラさん」
テリドア帝国の兵士と聞いて三人はそれぞれにざわめいた。
「師に聞いたことがあります。テリドア帝国は色を称号として騎士に栄誉を与えると……」
「黒騎士! あの恐ろしいと名高い黒騎士か!」
「ほうほう! この場に集うには相応しい男と言うわけだな!」
「申し上げますが元、帝国兵です。国はもう崩壊しましたので」
「いやいや何を言うんだフォンザー! 黒騎士と言えば白騎士と並ぶ二強! 色の中でも特に勇壮な戦士に付けられる称号だぞ! 男児なら一度は憧れる!」
「ええい黙れアシル。その騎士好きの噂好きは直っとらんのか!」
「十年ぶりに思わぬ再会をした友だぞ! これを喜ばずしてどうする!?」
「お前のミーハーは後でたっぷり聞いてやるからまず己が呼んだ退治屋を紹介しろ」
「おお、そうだった。では手前の方から。紳士然としているまさしく紳士はギヨール・サントラリム・プエル・ナヒームと仰るお方で探偵だ」
「ギヨ……何だって?」
「ギヨール・サントラリム・プエル・ナヒームだ! よろしく!」
探偵と呼ばれた茶色の紳士服の男は満面の笑みで高さのあるハットを持ち上げ恭しくお辞儀をする。
「その隣の方は魔祓い士(エクソシスト)のドニと仰って、こういった悪霊退治や悪鬼退治に慣れている。プロ中のプロだそうだよ」
ドニと呼ばれた魔祓い士、僧侶の男はエヘンと咳払いをして背筋を伸ばした。
「一番奥の方は教会からわざわざいらしてくれたんだ。魔法使い見習いで修行の一環として今回請け負ってくださった。アンリさんと仰る」
アンリと呼ばれた魔法使い見習いはフォンザーたちにペコリとお辞儀をした。
(まともそうなのはアンリくらいだな……)
「では皆さんそれぞれ部屋をどうぞ。使用人に案内させますので」
三人はアシルにお辞儀をすると使用人たちに連れられロビーから伸びる階段へ向かっていった。フォンザーは隣でニコニコしているアシルをチラリと見やる。
「まずそのオンボロから着替えようか、友よ」
「ギラギラした服は嫌だぞ」
「無論! さあ、ディミトラさんも!」
アシル直々に連れられフォンザーとディミトラは広い客間を通り過ぎその奥にある階段へと足をかけた。

 ディミトラは使用人から薄手の白いブラウスと灰色のスラックスを与えられ、その上に持ってきた仕事道具……ナイフやボウガンの矢などの細々とした道具入りのポーチを身につけた。
そして元騎士が久方ぶりに黒いローブを脱ぎ、深い青緑の地色に銀糸で施された月と星の刺繍入りの軍服で姿を現すとディミトラは目を皿のようにした。
「見違えるね。その格好でテリドアの騎士って名乗られたら誰も疑わないよ」
「こんな古い服を取っておく方も取っておく方だな」
「何を言う! お前が“こんな古ぼけた服など十年も着るか”などとぞんざいに扱うから私が引き取ったのではないか!」
「実際これまでに五年も着ていないし何も間違っていない。皇帝が変われば式典ごとに服は増えるし流行り廃りで三年前の服がゴミになったりする。保持するだけ無駄だ」
「確かにその服はお前の若かりし時の物だがドラゴニーズの体に合わせて長く着られるよう相当緻密に織られている。着替えがないなら持って行け。あのボロは何だ! 雑巾じゃないんだぞ!」
「服なんて汚れるまま放って置いた方が逃亡生活は楽なんだよ」
「全く。例え帝国兵だろうと“色付き”の騎士を追うなど我が国の政治はどうかしている」
「はいはい」
フォンザーは式典服と揃えられた黒い軍帽をツノの間にぽすんと置いた。ディミトラはフォンザーとアシルのやり取りを見て、二人は気の置けない友人同士なのだなと感じ取った。
「で? 幽鬼騒ぎは何が出るんだ?」
「その前に、ワインだ! 新作を飲んでくれ!」
「仕事の話をしろ」
「それは他のゲストと一緒にだ。いいからほら、ワインセラーに行こう」

 アシルはフォンザーとディミトラを連れ幅の広い廊下を通り別室へと足を運んだ。ワインセラーの名の通り部屋は倉庫形式で温度と湿度を徹底して管理されていた。
「今回の新作はお前を思い出しながらブレンドしてね」
「ふぅん」
気のない返事をするもののフォンザーはアシルが差し出したグラスを素直に受け取りディミトラにも手渡す。アシルは自らコルクを引き抜くと二人のグラスに少量注いだ。
ワインなどと言う上等な飲み物と無縁な生活をしてきたディミトラはしげしげとグラスを眺め、遠慮がちに口をつけた。
「甘い! それに何ていい香りがするんだい!?」
ディミトラは芳醇に香るブドウに大層感激した。一方のフォンザーは三口程度でグラスを開けると「お代わり」とアシルにグラスを差し出した。アシルはフォンザーの様子を見てニンマリし、二度目はグラスに並々とワインを注いだ。
「感想くらいお言いよフォンザー」
「いえいえ、彼は大抵こうなのです。むしろ、飲み干す前に味の感想を言う余裕があったら出来は百点中八十点と言う様子でして」
「ほう、そうなのかい」
「ワイン畑の荘園主たちは彼が新作のワインを黙って飲み干してくれるかどうか、冷や冷やしながら見つめたものです」
「へえ。なら、随分とパーティーに呼ばれたんだろうね?」
「それはもう!」
フォンザーはまた黙ってグラスを空ける。
「いい飲みっぷりだ。嬉しいよ。強いて言うならこのワインの弱点はどこかな?」
「甘すぎる。これ以上甘かったら子供に飲ませる」
「おや、そうか」
アシルは石壁に埋め込まれた黒板に近付くとチョークを使い文字を重ねた。
「九十五、六点と言った感じかな?」
「九十四だな」
「おや、厳しい」
ハッハと笑いながらアシルは点数と欠点を書き足した。
「あたしにはべらぼうに美味い酒なんだがねえ……」
「それも一つの感想です。ありがとうディミトラさん。お口にあって良かった。私はよく彼にワインの講評をしてもらうのです」
「こうひょう?」
「ええ。良い点、悪い点両方の意見を求めるのです。いい点は伸ばして、悪い点は修正する。飲み手の要望を叶えながらより美味いワインを目指してゆくのです」
「ほお」
「まあこいつの場合ワイン作りなど趣味だがな」
「情熱は本物だぞ!」
「稼がなくてもやっていけるだろうがお前は。幾つ土地を持ってる?」
アシルは肩を竦めた。
「さてはまた増やしたな?」
「増やしてはいない。親戚が運悪く亡くなってね、管理を押し付けられたんだ。さて、ではゲストと共に今回のお祭りの説明といこうか」
「ハプニングを楽しむんじゃない」
「貴族は暇でね」

「我が屋敷で幽鬼らしきものが現れたのは一ヶ月前でしてね」
 アシルは客間に探偵や魔祓い士、魔法使いと旧友、曲芸師を集め説明を始めた。
「最初の一週間は怖がりの召使いが見間違えたのだろうと真面目に受け取らなかったのですが、二週目に別の召使い数人も見まして。三週目には私も見ました。それで皆さんを募ったのです」
オラール卿が話す間、フォンザーは隣の魔法使い見習いからチラチラと視線を向けられる。チラリ、とアンリを見ると彼はグッと息を飲んで視線をオラール卿へと戻した。
(何だ? 魔法使いならドラゴニーズは珍しくもないだろうに)
教会や寺院にはエルフィンもドラゴニーズも在籍していて、魔法使いを目指しトーラーと一緒に過ごす。古代から続く精霊の血筋は魔法使いを目指すには有利だし、トーラーはそれを妬みもし、羨んで彼らと交わりより強い霊力を求めもする。そして今では魔法使いに純粋なトーラーはいないと言われるほど混血は進んでいるのだ。ヴォナキアの魔法使い見習いなら教会に属するドラゴニーズを少なくとも一度は見かけるはず。
一度視線を外したアンリはしかし、またフォンザーを見上げていた。
(若造の考えることはわからん)
「経緯は分かりました。では幽鬼の見た目を教えて頂きたい!」
探偵ギヨールの言葉に魔祓い士ドニは黙って頷き、魔法使い見習いアンリも正面に向き直り声を出す。
「そうですね。見た目を明らかにして頂かないと対応のしようがありませんので……」
「それでしたらお見せできます」
オラール卿のその言葉にある者はぎょっとし、ある者は目を瞬かせた。
「では三階へ。こちらです」

「足元にお気を付けて!」
 アシルはフォンザーとディミトラに一番後ろから来るよう伝え、探偵始め五人を三階の廊下へ連れて行った。さらに連れ立って進み、彼らは廊下の突き当たりに存在する別の客間……ピアノのある部屋へ招かれた。
「我々が見かけた幽鬼は、ここに掛かっている先々代当主の娘さまの肖像画にそっくりなのです」
ピアノのすぐ近くに掛かっている歴代当主の胸上が描かれた肖像画の並びの下、トーラーがすっぽり入る大きさの額に等身大の女性が佇んでいた。その者は髪は黒く、凛として美しい引き締まった表情の乙女だった。
「おお、なんと美しい御方なのか……」
「彼女はご存命なのです。だから幽霊として現れるには変だなとこの屋敷の者は考えていて」
探偵ギヨールは額縁の周辺に胡散臭い顔を近付け何かを覗いている。ディミトラも額の下に積もっている砂のようなものを観察しに絵に近寄った。
フォンザーはチラッとアシルを見た。アシルはニコニコとしていて完全にこの状況を楽しんでいた。
(これは騒ぎと思ってないな)
フォンザーは記憶からある程度アシルの悪戯好きを予想出来た。元黒騎士は親友の腕を掴むと「ちょっと来い」と探偵たちから引き離し、広い部屋の隅に連れて行く。
「何だい我が友よ」
「……お前の叔母上はピンピンしてただろう?」
「元気さ。先週も私の娘をしごいて、いやいやどこへ行っても恥ずかしくないようにピアノの稽古をつけてくれている」
「お前もだが向こうも相変わらずだな……」
アシルの叔母はピアノの達人でコンクールで何度も優勝し、ヴォナキアの国王パンタラの前でも披露している。演奏会に呼ばれたグリシュナ皇帝に連れられ、フォンザーも同席した事があった。ヴォナキアの国民なら彼女を知らない者はいない。吟遊詩人たちも彼女のピアノの腕はすごいと褒め称えるからだ。
「アシル、何を企んでる?」
「私は何も?」
アシルは人懐こい笑顔で両手を上げた。
「お父様! どこにいらっしゃるの!?」
廊下に明るい声が響き、アシルはパチンと指を鳴らすと部屋の入り口へ向かった。
「ここだ! 愛しいアンゲルよ!」
「サィラ卿から急ぎの手紙よ。すぐお受けして……あら、お客様がいらしたの? ごめんなさい」
探偵を始めその場の男たちはアンゲルと呼ばれたオラール卿の娘を見て目を皿のようにした。絹のような明るい茶の髪、滑らかな白い肌。大叔母とはまた違う毛色の美しい乙女が若草色のドレスで佇んでいるのを見て、興奮しない男はいなかった。
「な、な、なんと美しい御方!!」
「まあ、お上手ですこと」
アンゲルはクスクスっと笑った。その笑みも花が綻ぶようで、声は小鳥のように透き通っていた。
(アレッキオを連れて来なくて正解だった……!)
この場に女好きの彼がいれば幽鬼騒ぎの解決どころではなかっただろう。アシルは娘の肩を抱くとまずフォンザーの前に連れて行った。
「こちらは私がよく話している黒騎士その方だ。友よ、彼女は長女のアンゲル・ニルェヒェ・ナヘィムヴール」
フォンザーは今までそうして来たように乙女の手を取り、スイと持ち上げて胸の前で握った。
「元、テリドア帝国黒騎士フォンザー・ベルエフェです。レディ・アンゲル」
「ご紹介に預かりました、アンゲルです」
アンゲルは薔薇色の頬でフォンザーに微笑み、膝を落とした。
父親に連れられアンゲルは探偵たちとも挨拶を交わす。探偵はデレデレ、魔法使い見習いは真っ赤な顔でカチカチ。魔祓い士は手汗を服で拭いてから握手をする始末でフォンザーは溜め息をついた。
(あまり見せびらかすと娘に変な虫がつくぞ、アシル)
最後に挨拶をしたディミトラは元サーカス団員らしく、演技がかった紳士のお辞儀をした。アンゲルはまあと笑って膝を落とした。
「私は皆さんに説明して回るから、部屋へ戻っていなさい」
「はいお父様。では皆さま、失礼致します」
男たちはそのほとんどがボウっとしてアンゲルの背を見送った。

「どうだった?」
 フォンザーは与えられた客間へ戻ると長机に腰掛け堅苦しい上着をソファへ放った。
「絵の下に砂は積もってたけど、この砂が何なのかは分からないね」
肖像画の下にあった砂を皿の上に広げていたディミトラはフォンザーを全く見ずにそう言った。
「もう少し広い意味で聞こう。詐欺の匂いはするか?」
「まだ何ともだね」
「……そうか」
「あんたはどう思う?」
「正直、アシルの悪戯ではと考えている。こう言う馬鹿騒ぎが好きなんだ、奴は」
「それも“思い出した”ことかい?」
「ああ」
二人の相談は室内に響いたノックの音で遮られた。
「失礼します。黒騎士さまはいらっしゃいます?」
「あっ、少々お待ちを!」
フォンザーは一度脱ぎ捨てた軍服に袖を通し、慌ててボタンを締めた。
「どうぞ、レディ」
ピシッと立ったフォンザーが扉に向かってお辞儀をすると友人の娘アンゲルが花のような微笑みと共に現れた。
「ご機嫌よう黒騎士さま。あ、ら……ミス・ディミトラとご一緒だったのですか?」
「ああ、彼女はその……」
「お邪魔なら部屋を分けるかい? フォンザー」
「よせ、御令嬢の前だぞ」
ディミトラは口の端を上げると証拠の砂をキャンディのように包んでそそくさと部屋から出て行く。
「お邪魔虫は退散するよ」
「おい!」
くっくっく、とディミトラは笑いながら部屋を後にした。
「……申し訳ございませんレディ」
「いえ、お邪魔してしまったのは私のようなので……」
「彼女は友人なのです。だから部屋が同じなのはええと、他意はなく。旅での癖と申し上げますか」
「まあ、ご一緒に旅を?」
「はい」
「羨ましいわ」
綻ぶ花のように微笑むとアンゲルはフォンザーの前まで歩み、彼の上着のボタンに手をかけた。
ドキッとしたフォンザーの前でアンゲルは再び微笑む。
「ボタンを慌てて締めたのかしら?」
「えっ、あっ」
よく見ればフォンザーの上着は首元以外のボタンが一つずつズレていた。
「ふふ。直して差し上げますからどうかそのまま」
「申し訳ございません……。あ、いや、やはり己でやります」
「気にしないで」
アンゲルは一番下からボタンを直し、彼の軍服をきちんと整えた。
「お恥ずかしいところを……」
「いいえとんでも。あの、それで」
「は、何かご用命を?」
「いいえそんな。あの、貴族ではありますがどうか堅くならずに。都内には住んでおりませんし村娘と申してもよいほどで」
「いいえレディ。父君のオラール卿と言えば州の三分の一は土地を持っていらっしゃいます。御令嬢には間違いございません。騎士たる者、身は弁えております」
「まあ。……ふふ、父の仰る通りね黒騎士さま」
「と、仰いますと?」
「父はよく貴方は騎士の鑑だと申しておりました。どんな素敵なお方なのだろうと、私は夢にまで見たほどで」
あいつ……とフォンザーは中空を睨んだ。
「父君が何を仰ったか存じませんが、私自身は大した者ではありません。師の躾が良かっただけです」
「その辺りのお話もお聞きしたくて。散歩をどうかしら?」
「喜んでお供いたします」
「嬉しい」
微笑まれたアンゲルに示され、フォンザーは彼女の後から部屋を出る。
 貴婦人と呼ぶにはまだ若い乙女の歩幅に合わせてフォンザーはゆっくりと廊下を歩く。
「ドラゴニーズの方は近隣の方と家族ぐるみでお付き合いをなさるとか?」
「はい。我々は父には滅多に会えぬ上に母親や場合によっては伴侶に先立たれますから、その後を考えると近隣の者同士で助け合える方が楽でして」
「まあ。それなら師と仰る方ともそのように?」
「はい。彼は武人としての師匠であり、同じ闇に属する竜の子として私に力の制御を教えてくださいました。育ての父です。何度思い返しても感謝が足りぬほどで」
「尊敬していらしたのね」
「とても」
「素晴らしい方でしたのね」
「はい、とても。黒の称号を賜った際は師に恥じぬ男になると彼に誓ったのですが、お恥ずかしながらボタンもまともに掛けられず」
「まあ、うふふ。そんなことないわ。貴方は立派な方よ」
玄関への階段を降り切ったフォンザーは渋い顔をしてアンゲルの顔を見た。
「……私の恥ずかしい話も父君からお聞きに?」
「え? いいえ、騎士としていかに活躍したか、ワインの味を覚えてからは非常に批評が素晴らしいとはお聞きましたが」
(娘には共に悪ふざけをした話はしてないのか……)
会話を続けようとしたフォンザーはトトトト……と言う軽い足音が頭の上から聞こえ、パッと天井を見た。
「どうなさったの?」
静かに、とフォンザーは乙女を片手で制した。音は続けて聞こえず、沈黙が通り過ぎる。
「……この屋敷に五歳から七歳程度のお子はいらっしゃいますか?」
「ええ、おりますよ。下級使用人の子が確か二人ほど。よく使用人通路で遊んでいるので……足音が聞こえました?」
「ええ、まあ」
「素晴らしい耳をお持ちなのね。あの子たち、大概は二階と三階の間で遊んでいるの」
「……そうですか」
(ディミトラが戻って来たら情報をすり合わせるか)
「会話を遮り失礼致しました」
「いいえとんでも」
 フォンザーは麗しい乙女と共に庭へと足を運ぶ。
「庭はあまり変えていないようですね。薔薇が二種類ほど増えていますが」
「……父とは長い付き合いだとお聞きしました。以前もここへ?」
「はい、まだレディが生まれる前に。それからレディが二つか三つの時に」
「まあ、随分と前に」
「あまり尊い方の屋敷に足を運ぶのもどうかと思っていて、回数としては然程訪れていません」
「父はそう言ったことはお気になさらない方です。遠慮なさらないでください」
「ありがとうございます。断りすぎるのも良くないとは思ったのですが彼の場合何かと私を呼び出すので……。そう、幼い父君とはパーティーで足を蹴っ飛ばされて以降の付き合いでして」
「まあ!」
アンゲルは上品に片手で口を覆った。
「父がそんなことを!?」
「昔から悪戯好きのやんちゃ坊主でした。と言うのも、人を楽しませるのが好きで大人が当たり障りのない世間話をするだけのパーティーは退屈だったようです」
「まあ、お父様が……」
意外だと言いたげにアンゲルは口を覆ったまま目を皿のようにしている。
「まあ軍人である私の足を引っ掛けるなんてことは訓練生にも出来なかったので、お父上は大層悔しがりました。次こそは転ばしてやると仰って」
「まあ、ふふ」
「ひたすら無視を続けていたのですが段々仕掛け方が派手になってきまして、何度か追い返しました。それでも彼はやめなくて」
「あらあら、お父様ったら。よっぽど黒騎士さまに構って欲しかったのね」
「そのようです」
庭園に足を踏み入れると薔薇の豊かな香りが鼻をくすぐる。そして花びらの一枚一枚、その隙間には花の妖精たち(フェ・デ・フルラージュ)がいて、フォンザーを見れば彼の眼前に次々と飛んで来てチュッ! と鼻頭や額に口付けては去って行く。
「まあ、そんなに蝶に慕われて」
アンゲルは魔法の素養はないのか、妖精が蝶に見えているらしい。
「レディ、彼らは蝶のように美しいですが花の妖精です」
「ええっ?」
「花が豊かに育つと花の内に住まうと言われています。手入れが行き届いている証拠です」
「まあ、そうだったのですね。蝶だとばかり……」
フォンザーは溜め息をつきたいのを堪えて静かに花の妖精にされるがまま、集られる。
「まあ、うふふ。可愛らしい」
「……随分いますね。昔はここまで居なかったような……」
「父は私のために薔薇を増やしてから、私や妹たちをよくここへ連れて来てくださいました。その時から蝶々、いいえ花の妖精たちはずっといて」
「なるほど。ではレディが妖精に好かれているのでしょう」
「私がですか?」
「そう思います」
妖精たちはアンゲルの周囲をクスクスと笑いながら飛び、花びらの間に戻っていった。フォンザーはすっかり薔薇の香りに囲まれて、香水でも振ったのかと思うほどであった。
「この庭はお好きですか?」
「ええ、とても」
「庭の方もレディを好いていますよ。薔薇だけでなく、樹々も」
「まあ、本当に?」
「はい。そう感じます」
「とても嬉しいわ。彼らとお父様によく礼を言わなくては」
アンゲルはまた花のように顔を綻ばせた。

 元帝国兵が花の乙女と玄関先へ戻って来ると、探偵ギヨールがアンゲルの前に薔薇の花束を差し出した。
「まあ、どうなさったの?」
「庭師の方に分けて頂きまして! レディに大変お似合いだと!」
「ありがとうございます。でも、せっかく庭師が選んだ物ですしどうぞそのままお持ちになって。この屋敷の思い出と共に」
「おお……! 何という心遣い! ありがとうございます。ではせっかくですので持ち帰り用に包んで頂いて来ます」
アンゲルは上手く探偵ギヨールのナンパを躱し、彼の気を持ち上げた。ギヨールはご機嫌な足取りで使用人のいる部屋へ向かって行った。
「……お上手です」
「社交界に出る際、淑女の振る舞いは父母と大叔母にたっぷり仕込まれました」
「ナヘィムヴールの皆さまは見目麗しいですから、特に気を付けておいででしょう」
「ええ、大叔母は特に私に教えをくださって」
相手に気を持たせてはいけないし、機嫌を損ねてもいけない。美人ゆえの苦労なのだろうとフォンザーは中空を見やった。
「あの、黒騎士さま」
「はい」
「その、不躾なのですが……」
アンゲルは一度見つめたフォンザーから視線を逸らし、薔薇色の頬をさらに染めた。
「ご結婚はなさっていますの?」
フォンザーは友人の娘の口から出た言葉にビックリして口を半開きにしてしまった。
(アシル!!)
この場にいない友人を叱ると、執務室にいたアシルがプシュンとくしゃみをした。
「……誰か私の噂でもしているのかな? 全く人気者は困る。ハハハ」
フォンザーは乙女の前で咳払いをした。
「……故あって養子がおります」
「まあ!」
妻どころか子供がいると聞いたアンゲルは大層驚き、目を真ん丸にした。
「男の子ですか? それとも女の子?」
「娘です」
「まあ。ああ、でしたら大変でしょう。彼女はお幾つ?」
「まだ五歳で。遊びたい盛りなのになかなか構ってやれず……」
「そうですか。……そうだわ!」
アンゲルは何か思いついたのか両手を鳴らした。
「お下がりでよければ私の人形や髪飾りをお持ちになって」
「えっ。いえ、そんな悪いです」
「女の子ですもの。お人形が増えたらきっと喜ぶわ。どうぞ私の部屋にいらして。さあさあ」
「やっ、ええと」
フォンザーは一枚上手の乙女にあれよあれよと部屋へ連れて行かれた。

「そんなに薔薇の香りをさせて乙女の部屋から出てきたら勘違いされるよ」
「俺もそう思ったのだが……人形を持って行けと聞かなくて。聞かん坊は父親似だな」
 客間に戻ったフォンザーはディミトラと再び部屋の中で寛ぐ。ソファに腰掛けたフォンザーの横には四、五歳の女の子とそう変わらぬ大きさのウサギのぬいぐるみが座っていた。
「しかし庭にそんなに妖精がいたのかい? 人の家の庭先には滅多に寄ってこないだろうに」
「レディ・アンゲルが妖精に好かれやすいようでな。彼女の周りを楽しげに飛んでいた」
「ほうほう」
二人は集めた情報をディミトラが普段から書き込んでいる小さな革張りのノートに追加する。
「子供がいるんだね」
「下級使用人のな」
「子供は霊に遭いやすいし、話が聞けたらいいね」
「そうだな」
トントン、と扉を叩く軽い音。またアンゲルだろうかとフォンザーが身構えると続いたのは青年の声だった。
「失礼します。ベルエフェ卿はいらっしゃいますか?」
「はい。どうぞお入りに」
「モテるね。次は魔法使い見習いかい?」
「こら、聞こえるぞ」
魔法使い見習いのアンリは遠慮がちに扉を開いた。
「ご機嫌よう竜、の子。お話を聞きたく思いまして」
「何かありました?」
「いえ、そうではなく……」
ディミトラとフォンザーはお互いを見やって、ディミトラはまた口の端を上げた。
「お邪魔かい?」
「からかうんじゃない」
「あの、申し訳ございません。出来れば二人きりに……」
「ほう!」
ディミトラは嬉しそうにノートを懐にしまって椅子から飛び降りた。
「今日はモテるね」
「やめんか!」
「あはは」
ディミトラは笑って出て行く。フォンザーは彼女に呆れつつ、訪れた若い男の顔を見た。
「それで?」
「ああ、竜に関することをお聞きしたくて……さすがにその手の話をドラゴニーズ以外の前でするのは憚られまして」
「ああ、人払いはそう言う意味でしたか……」
若い男からも言い寄られたらどうしようと思っていたフォンザーは胸を撫で下ろした。
「あの、ただの個人的興味ですので無理にお答えして頂かなくても大丈夫です」
「ええまあ、質問によります」
「では!」
見習いアンリは目を輝かせ羽ペンとノートを取り出した。
(うわぁ……好きなものへの知的好奇心が強い部類か。面倒だな)
「ツノと髪の色からして夜の子だと思っていますが合っています?」
「そうです。夜の子です」
「ふむ!」
アンリは立ったまま机の端を使い書き物をしていく。彼の手元を気にしたフォンザーは上からそろりと覗き込んだ。そこにはフォンザーに限らずドラゴニーズや竜について綿密にメモが取られている。
「……もしや同じ見習いのドラゴニーズにもそのように聞き取りを?」
「はい! 僕は竜が好きなんです!」
アンリは年相応に頬を赤くして歯を見せた。
「ああ、なるほど」
それでじっくり観察されていたんだなとフォンザーは頷く。
「寮友の中には夜の子がいないので初めてで!」
「そうですか。なら、あまり繊細な事でなければお答えします」
「ありがとうございます! では、ええとどこから聞こうかな」
アンリは彼個人に関することから使える魔法の幅、爪の伸びる速度、鱗の生え替わりの時期まで聞いてきてフォンザーは質問を二十ほど受けたあたりで参ってしまった。
「僕、竜の実子とは初めてお会いしました! やはりドラゴニーズの中でも竜に近いほど力がお強いのですね!」
「いえ、そこは生まれより魔法の師がいるかどうかと言う方が大きいです。制御を知らないと感情のまま力が溢れてしまって大概はいいことにはなりません」
「へえ……それは聞いた中でも新しい情報です。では、ベルエフェ卿はどなたかに師事を?」
「はい、闇竜の系譜にいた者に師事を。育ての父です」
「ほうほう……」
アンリは闇竜に関することを熱心に書き留めていく。やがてその手を止めるとアンリはここへ来てすぐのようにじっとフォンザーの瞳を見つめた。
「……あまり竜の瞳は長く見るなと教わるのでは?」
「はい。でもあの、寮友たちと貴方の瞳は全く違って……。すみません、気に障りましたか?」
「いえ、魔法使いは竜の目を真正面から見ないよう訓練されているので珍しいなと言う所感です」
「竜の瞳もスケッチを取って何度も観察しましたし、視線をそのまま受け取らないようにはしています。でもベルエフェ卿の瞳は……まるで宝石のようで非常に美しく」
あまりに熱心に見つめられるため、フォンザーは自ら視線を逸らした。
「よく言われます。師には父の瞳を受け継いだのだろうと言われました」
「そうですか。うーん……」
アンリは視線を合わせないようにしつつもフォンザーの瞳を覗き込む。
「夜の子はみな金の瞳を?」
「いいえ。師は紫の瞳でしたし、師の息子殿は緑の瞳でした。一般的なのは緑だったと思います」
「なるほど、珍しい瞳の色なのですね」
「そうですね、夜に棲まう者で金の瞳はあまり……。炎の子や昼の子は概ね金色なのですが」
「興味深いです」
アンリは今聞いたことを書き留めると満足したのかノートを閉じた。
「どうもありがとうございました」
「ご満足いただけましたか?」
「もちろん!」

 客間にいるとまたアンゲルやアンリが来るのではと落ち着かず、フォンザーは肖像画のある部屋へ向かいピアノの椅子に腰掛けた。額縁に収まったアシルの叔母と見つめ合っていると、頭の上からパタパタと子供の足音がした。
「……屋根裏か?」
フォンザーは首を回して音が響いた場所を探り、立ち上がるとその真下へ歩いて行った。
「ふむ」
それ自体は精霊王プレグライアの威光を描いた豪奢な天井画である。精霊王は目を伏せがちに聖剣を右手に、聖杯を左手に掲げ魔物を見つめ踏みつけている。その位置からアシルの叔母を見て、また精霊王の偶像に視線を戻すとなんと精霊王がフォンザーを真っ直ぐ見つめていた。
「…………」
絵が自分を見つめるはずがないためフォンザーはしばし固まってしまい、どうしたものかと頭を悩ませる。天井画の精霊王は彼から視線を逸らさず今度はニンマリと口の両端を持ち上げた。フォンザーは訝しみ、眉間に深い皺を寄せた。
(何だ? 妖精か?)
音楽室に誰かが近付いて来てフォンザーがそちらに気を取られると、精霊王の奇妙な微笑みは消えた。
「友よ、ここにいたか!」
「アシル。お前が幽鬼を見かけたのはこの部屋か?」
「ああ、いや? 廊下から音楽室の方を見たんだ。そうしたら若かりし叔母が窓から外を見て立っていて……」
「ふむ」
フォンザーが再び見上げるも天井画は“絵だけ”になっていた。
「……何だろうな」
「何か見たのか?」
「まあ、それらしいモノを今な」
「何だって!?」
友の元へ駆け寄ろうとしたアシルをフォンザーは片手で制した。
「ああこら、大きい声を出すな。向こうが驚く」
「私も見たかった」
フォンザーがアシルと共に天井画を見上げても、精霊王は踏み付けた魔物を見つめるばかり。
「何を見たんだ?」
「精霊王が俺を見てこう、ニッコリ笑った」
「何と! ハッハッハ、縁起がいいな!」
「精霊王の絵に取り憑けるなら悪いものとは思えん。聖者の偶像はそれだけで退魔の効果がある」
「うむ、そうだな」
「お前がこの騒ぎを楽観視しているのはあれが悪いモノではないからだな?」
「確信はなかった。が、魔力をろくに持っていなくても感じるものはある」
「お前の勘はおおよそ正しい」
「全部正しいだろう!?」
「いやぁ賭け事でボロ負けするなら全部とは」
「言ってくれるな!」

 長い夕暮れの中一同は食堂に集い、食器と長いテーブルを囲んだ。
「白パンだって慣れないのにテーブルマナーなんて自信ないよあたし……」
「大丈夫だ固くなるな。フォークやナイフを外側から使うことだけ覚えていればいい」
探偵や魔祓い士、魔法使い見習いを前にフォンザーはディミトラとアンゲルに挟まれていた。お誕生日席にはアシル。反対側には本来息子が座るのだが……。
「長男は入隊していて次女は花嫁修行としてほかの屋敷に奉公へ。なのでこの屋敷にいるのは私とアンゲルと使用人たちだけです」
「あの、奥様は……」
余計なことを聞いた探偵をジロリと睨み、フォンザーはエヘンと咳払いをした。
「ああっと、申し訳ない」
「いいえ構いません。随分前に母は亡くなったのです」
「ああ、申し訳ない!」
探偵がもたらした空気を入れ替えるように料理が運ばれてくる。さあさあとオラール卿に勧められ一同は食事に口を付け始めた。
フォンザーは食前酒を飲み、あまりの安味に思わずグラスを満たす薔薇色(ロゼ)を見つめてしまった。
「……アシル、何だこれは」
「私も驚いた。すまない、恐らく使用人に新人がいるんだ。ああ、ワインをお取り返して。すぐ!」
「申し訳ございません!」
使用人は慌ただしくグラスを交換にかかった。
「お前がパーティーの最中に俺のグラスの中身を安酒に替えたのを思い出した」
「あったなぁそんなこと。お前は珍しくカンカンに怒ってしばらく口を利いてくれなかった」
「舌を試されたのは分かるがあれはない」
「すまない。あれに関しては何年経っても反省している」
親友同士で口の端を持ち上げると食前酒の替えが来て、フォンザーに至っては上級使用人がラベルを見せてから中身を注いだ。
フォンザーがグラスをすぐ空けたのを見てアシルは胸を撫で下ろした。
「では皆さま。謎解きや探索は進みましたかな?」
「無論!」
探偵が元気よくヒゲを撫でたのでアシルはまず彼に話を振った。
「探偵殿は何をお調べに?」
「私はそう、幽霊を見かけたと言う場所に関して聞き込みをしました。場所は三階の音楽室前、二階の中央の客間の前、そしてこの食堂です!」
「中央の客間? ……俺たちがいる部屋か?」
「そうだよ」
「おい……」
フォンザーは呆れて友の顔を見た。
「あの部屋に泊めるならお前が最適だと思って」
「そう言う話は先にしろ」
「すまん」
アシルは悪気のない顔で笑いつつ肩を竦める。
「魔祓い士殿は何をお調べに?」
「私は夜に幽鬼が出るのを待つために屋敷中に魔除けをして回ったのです。なので調べ物は特に」
「おや、そうでしたか。……魔法使い殿は?」
「まだ見習いですのでアンリでようございます。私は……音楽室にあった砂を調べていました。使用人に聞いたところ、この屋敷では食事の一つに砂釜を用いた調理法があるとか。その砂と同じ物でした」
「砂釜?」
「それに関しては、あたしも同じように聞いたよ。何でも南の調理法を真似たんだってね」
説明を、とフォンザーが振るとアシルは人懐こい笑顔を見せた。
「乾燥した地域では暑さから食材を守るために砂や土に埋めて保存する方法があるのだが、遊牧民の中には壺の中に砂を入れて味付けをした食材を布で包んで入れ、壺ごと焼く方法を取っている者がいたんだ。面白い調理法なので取り入れてみたのさ。パーティーだとなかなかウケが良くてね」
「お前らしい」
「問題はなぜその砂が音楽室に落ちていたかですね」
「うむ! 何に使うつもりだったのかが問題ですな」
「……あいつが食べたんじゃないか?」
「え?」
「料理を。つまみ食い?」
何気なくフォンザーがそう口にして前菜の菜っぱを咀嚼すると、視線が彼に集まる。
「……何です?」
「なるほど……」
「有り得ますね、つまみ食い」
「ううむ。その考え方があったか……」
「ただの思い付きですが」
「そもそもこの幽鬼、恐らく何かしらの本物ですが、目立った悪さはしていないようなのです。屋敷の方々は姿を見かけた、程度で」
「うむ。あれは何だか分かりませんが今のところ怪我人は全く出しておりません。叔母上の姿でピアノを弾いたり窓から飛び降りたりはしていますが」
「そう言うことは真っ先に言え……」
「ハッハッハ、気味が悪いと言ったのはもっぱら怖がりの使用人たちでしてね! 私はそんなに驚いていません」
「その日食事が一品足りなかった可能性が出て来ましたね。ギヨール様、後で共に使用人に聞いてみませんか?」
「おお、是非とも!」
フォンザーは隣のディミトラと顔を見合わせ、探偵が続け様に高らかに喋るのを流しながら料理に集中した。

 星と月が顔を出し音楽室を柔らかく照らし出す頃。フォンザーは魔祓い士ドニと共に音楽室の中と廊下から幽鬼の登場を待ち侘びていた。しかしそのうちドニの方が寝てしまい、彼は無様ないびきを廊下中に響き渡らせていた。
「ぐごごごご……」
「まるで豚だな」
フォンザーはすっかりドニが寝入ったのを目視すると懐からイチゴジャムが挟まったクッキーを取り出した。フォンザーはそのハンカチに包まれた、料理人が作ったお菓子をおもむろに一枚サクッとかじって見せる。するとフォンザーの狙い通り、肖像画の中の貴婦人がキョロっと目を動かして……絵の中から出て来たのである。彼女は、いや、その何かは歯を見せて笑うとフォンザーの前まで歩いて来た。
「食べたい?」
貴婦人の姿をした何かはうんと頷く。
「クッキーをあげるから、その姿は絵の中に返してあげなさい。代わりに私の子供の頃に似た姿を貸そう。どうだい?」
何かは快く頷き、額の中へ戻った。そうして、絵がただの絵に戻るとフォンザーの周りをひんやりとした空気が包んだ。
(妖精と言うより霊か?)
フォンザーは目を瞑り、自分の幼い姿を思い浮かべた。じっと待つと彼の袖を引く者がある。瞼を上げれば、そこには短い黒髪に金の瞳をしたツノのない子供が笑顔で立っていた。
「隣へおいで」
子供は彼が腰掛けていたピアノの椅子に座るとジャムクッキーを受け取ってかじりつく。
(邪気もないし悪意もない無垢な魂だな。問題は何故この屋敷にいるかだが)
子供はフォンザーの顔を見上げながら一緒にジャムクッキーを頬張る。
「おいしい?」
子供はまたうんと頷いた。
 二人でそうしてクッキーを食べ終えると、子供はフォンザーの腕を引いて音楽室から出たがった。
「どこへ?」
子供は喋らず魔祓い士ドニが眠りこけている廊下の先を指差す。
「……ふむ」
フォンザーは子供を抱きかかえ、ドニの横をそーっと通り過ぎて行った。
 幼な子はある部屋の近くへ来るといつの間にかフォンザーの腕から降りて自らの足で廊下を走る。子供が叩いた扉はアンゲルの部屋で、フォンザーは子供の後ろで膝を落として部屋の主が起きるのを待った。
「……どなた? いま何時かしら……」
小鳥のような透き通った声がして扉が控えめに開かれる。子供はその隙間から白レースの薄い寝巻き姿のアンゲルを見上げた。
「あら、まあ。可愛いお客さま」
アンゲルはしかし、その後ろにフォンザーがいると分かるとガウンの前を片手でぎゅっと抑え、はだけた胸元を隠した。
「まあ、黒騎士さま」
「真夜中にすみません。この子が貴女に会いたかったようで……」
話している二人をそっちのけに子供はフォンザーの懐からジャムクッキーの入ったハンカチを探り当て、取り出す。子供はそれを広げて中身をアンゲルに見せた。
「あら懐かしいジャムクッキー。我が家の伝統のお菓子よ。頂いたの?」
子供は嬉しそうに頷き、アンゲルに向かって高く掲げる。
「……一緒に食べたいのではと」
「あら、こんな夜中にお菓子を食べたら虫歯になっちゃう。ふふ」
そう言いつつもアンゲルは子供を部屋に招いた。
「座って食べましょうね。いらっしゃい」
「あの、レディ」
「大丈夫です。悪さはしないのでしょう?」
「はい。しかし貴女に万が一があっては困りますので入り口を見張っておきます」
「ありがとうございます。さあいらっしゃい。絵本も読む?」
子供はフォンザーに小さな手を振り、アンゲルの部屋に吸い込まれていった。

「フォンザー、ちょっとフォンザー。お起きよ!」
 ディミトラにペシンと膝を叩かれ黒骨の騎士はビクッと体を震わせた。辺りはいつの間にか明るく、太陽が庭の薔薇たちに微笑んでいた。
「む、寝てしまった……」
「ご婦人の部屋の前で何してんだい」
「幽霊に会ったからレディの部屋まで案内してやったんだ……あふ」
間抜けな欠伸をしながらフォンザーは両腕を伸ばし、肩をほぐす。立てていた片膝を解き立ち上がると同時にアンゲルの部屋の扉が開かれる。
「おはようございます」
アンゲルは身支度を終え上級使用人と共に出て来た。
「ああ、おはようございます。あの子は?」
「いつの間にかいなくて。でも、机にクッキーの破片が載ったハンカチがあって、ベッドは絵本を読んだままになっていました。夢じゃなかったのね」
「一体何がいたって言うんです?」
ディミトラが不思議そうに二人を見上げると、騎士と乙女は顔を見合わせ肩を竦めた。
「それは食事時に詳しく話そう」

「子供の霊?」
「ええ。まだ推測ですが」
 フォンザーは重たくなってきた瞼を持ち上げつつ塩漬けのハムを頬張る。探偵や魔法使いがいる前で──魔祓い士はまだあの廊下で眠りこけている──友人のアシルに昨晩の話をした。
「本人は遊んでいるつもりなんだと思います。ピアノを鳴らすのも窓から飛び降りるのも。砂窯の料理は食べたかっただけでしょうし、昨日はジャムクッキーを喜んで食べていました」
「そうなんです。あの子、黒騎士さまと私の部屋の前へ来て一緒にジャムクッキーを食べようって。それからあの子に絵本を読んで、いつの間にか寝てしまいました」
「真夜中にレディの寝室に!!」
「勘違いなさらず。部屋の前、までです。精霊と友に誓って室内には入ってはいません」
フォンザーはあくびを噛み殺し、皿にあふれた卵の黄身にパンを押し付ける。
「ベルエフェ卿の仰る通り子供なのでしょう。そう、料理人に聞きましたところ砂窯料理を出した日に作ったはずの料理が一つなくなっていたそうです。ね? ギヨール様」
「うむ! 料理人は慌てて新しく一人前作ったそうな! 我らの推測通りであった!」
「やはりそうでしたか」
「しかし不思議ですね。なぜ幽霊と言うのは夜にばかり出て来るのでしょう?」
「昼は生者の世界、夜は死者の世界だからだよ。アシル」
「ほう?」
「その辺りはアンリ殿が詳しい」
「ああ、では解説を」
話を振られたアンリは食事の手を止めエヘンと咳払いをした。
「この生物界においても精霊界においても、昼は心臓を持つ者たちが活発に動き、夜は誰もが眠るので静かなことが多いです。もちろん、生き物の中には夜活動するモノもいますが。生き物の持つ力と言うのは強いのです。鼓動により生み出される熱。呼吸。その熱があちこちに力としてあり、魂だけの死者たちは昼の間は力に追いやられているのです」
「ほう。死霊と言うのは恐ろしい力を持つものではないと?」
「中にはそう言ったモノもおりますが、それらはごく少数です。まして幼な子の魂であれば存在も小さい。昼に活動していても、屋敷にこれだけヒトがいると存在が紛れて分かりにくいのです」
「なるほど」
「夜になると露わになると言うだけで、あの子は昼も夜も屋敷の中で動いているのだろう」
「……丁度我が娘の手からパンを食べているように?」
「え?」
フォンザーが隣を見ると黒髪の子供がアンゲルに卵の黄身付きのパンを一口もらっていた。
「こっこいつなのか!?」
「しっ、驚かさないように」
子供はフォンザーの元へも来るとパンを要求する。
「ああ、ちょっと待ちなさい。……ほら」
黄身を付けて差し出すと金の瞳の幼な子はフォンザーの手からパンを食べた。
「ひ、昼には出て来ないのでは?」
「ううむ、私の似姿を与えたのがまずかったか」
「何だって? この姿はあんたの子供の時かい? フォンザー」
「ああ。子供の俺をトーラーにしたような見た目だ」
「何が起きてるんだ?」
「……精霊たる竜の子の姿を分け与えられたから力が強まり、昼でも姿を現せるようになったのでしょう」
「何と言うことだ。友よ! お前は子供の時こんなに愛くるしい少年だったのか!」
「アシル、うるさい」

 子供はフォンザーの膝で朝食を一通り味見し、アンゲルの手を引くと庭へ駆けていった。フォンザーは眠気に耐え切れず仮眠を取り、その間はディミトラやアンリたちが子供の様子を見守った。
「……本当にただの子供だねえ」
「そのようですね」
名もなき幼な子はアンゲルと迷路でお互いを探し、走り回って笑顔を振り撒いている。
「昼に見る幽霊って言うのはおかしなもんだね」
「ええ、やはり良いことではありません。あの子供は生物界に居てはいけないのです。弔って、きちんと次の生へ送り出してやらねば」
「そうか。まあ、そうなんだろうね」
「ただ、あの子がどこにいるか……問題はそこです。この屋敷のどこにいるのか分からないのです」
「目の前にいるってのは、違うんだね?」
傍らに立つディミトラにアンリは神妙な面持ちで頷いた。
「どこかに、あの子の体があるはずなのです。探してあげなければなりません」

「体? 音楽室の壁の中だと思うぞ」
 仮眠から目を覚ましたフォンザーはベッドに腰掛け目頭を押さえながらそう言った。アンリは屋敷の主アシルや探偵と顔を見合わせる。
「壁の中か」
「この屋敷は古い。石だけでなく土壁を使った場所もある。彼は多分、その中だ」
「肖像画の裏ですね」
「恐らくな」
 フォンザーの推測通り、肖像画を取り外し使用人たちが壁を壊すと土壁が現れ、中からは……あまりに小さな骨が丸まった状態で出て来た。
「ああ、未熟児ですね。そうか、この子は生まれる前に死んでしまったんだ」
アンリは固くなった土と混ざった子供を白い布で包み、大切に抱いて持ち上げた。
「このまま弔いを」
「それなら、花園の隅にしよう。景色もいい」
 子供は使用人たちが急遽組み立てた小さな棺に入れられ、アヤメが立ち並ぶ小さな丘の上に埋められる。見習いのアンリと魔祓い士ドニが弔いの言葉を述べる中、名もなき子供はフォンザーの腕の中で大人しく待った。
葬儀が終わると一陣の風が彼らの周りを取り囲む。他の者には見えなかったが、フォンザーの黄金の瞳には空を覆うほど立派な羽を持つ風の竜が映った。子供も竜が見えているようで空を見上げている。フォンザーは子供の額に口付け、彼を高く掲げた。
子供は……風に抱かれ高く舞い上がった。小さな彼がずっとずっと小さくなり、見えなくなると上空で強い風が吹いた。
「……往きましたか」
「うむ。風の伯父上が精霊界へ連れて行った」
「よかった」
アンゲルは目元に涙を溜めていた。父のアシルは娘の肩を抱いて小さな男の子が消えた空を長く長く見つめていた。

「もう一晩泊まればいい。積もる話は幾らでもあるぞ」
「待たせている者がいる」
「むうう、そうか……」
 客間で黒いローブに着替えたフォンザーはぬいぐるみを貰った布のカバンにしまい、肩にかけディミトラと共にアシルと話していた。
「アシル、話がある」
「私もある」
「……先に聞こうか」
腕組みをしたアシルの表情から笑みが消え、彼は真剣な眼差しで次の言葉を口にした。
「君は、誰だ?」
フォンザーは目を丸くして、ふっと笑った。
「やはり長年の友人にはバレるんだな。俺がしようと思ったのもその話なんだ。アシル、いえ、オラール卿」
アシルは真剣な表情を崩さず腕組みを解いた。
「友は、フォンザーは私からの抱擁を一度も受け取ったことはないし、気の置けない友とは言っても平民の出と貴族の出で身分差がある私とは一切砕けた話し方をしなかった。常に敬語だったよ。何より、彼は君のような柔らかい表情はしない。出来ないはずなんだ」
「そうか」
「君に、友に何があった?」
「……話すと長くなる」
フォンザーはまずテリドア陥落までの出来事を話し、それからあの夜のことを口にした。

──クレリアが駆け寄った時には黒騎士の鼓動と息は止まっていた。クレリアは傍らに隠された姫と彼を見比べ、助けられない悔しさを噛み締めながら姫を抱いてその場からすぐ逃げようとした。
すると赤子の姫がパッと青い目を開き、彼女は全身から青白い光を放った。クレリアはあまりの眩しさに顔を背けた。
辺りが昼のように明るくなった後、クレリアの背後でゴボッと水音がした。振り向くとフォンザーが黒い血を吐き、再び息をしていた──。

「姫君が何をしたのかは分からん。だが、黒騎士は確かに死んでいた。死んだはずなんだ」
「なら、私の目の前にいる君は何なんだ?」
「分からん。故に妖精の国を目指している」
「離島のシルベルフにあると言うお伽話だな」
「ああ。姫と共にそこへ向かい、俺は俺が何なのかを見極めて来なければならない」
「……そうだったのか」
「故に、オラール卿。この式典服は黒騎士の遺体の代わりに埋めてほしい。埋葬だけでいい、葬儀はせずとも……」
「葬儀はする」
アシルはフォンザーの目を真っ直ぐ見た。
「友が死んだと言うなら、きちんと弔ってやらねば」
「……感謝する」
フォンザーから服を受け取ると、アシルは口元に笑みを戻した。
「あいつは私に感謝なんて一度もしなかった」
「酷い男だな」
「奴は泣く子も黙る、巨人も畏れる黒騎士だ。命乞いをする敵兵にも容赦しない。竜人のクセに魔法はろくに使えない。無骨な武人だった」
「……やはりそうなのか」
「君はあいつの記憶も持っているようだし、記憶の自分と今の自分が色々と違って困惑したのでは?」
「何でもお見通しか?」
「ハッハ、彼のことなら詳しいよ」
「……確かに記憶では俺は魔法をろくに使いこなせていなかった。半竜半人なのにもったいないと師に嘆かれていたのも覚えている。だが今の俺は……彼ならあり得ないような高度な魔法を使っている」
「例えば?」
「召喚式なしに伯父たる竜たちを呼び出して言葉を賜る、とか」
「何だそれは、おっかないな!」
アシルは大いに笑った。
「あいつなら絶対に無理な芸当だ」
「うむ。黒騎士なら驚いて腰を抜かすだろうな」
「そうか、そうかそうか」
アシルは微笑んでかつて友が袖を通していた式典服を見つめた。
「やはり戦場で死んだか。武人らしい死に方ではあるな」
「すまん。遺体も返してやれぬ」
「君が謝る必要はない。何より、今日のように彼と砕けた態度で話し合い、笑い合うことを私は夢に見ていたんだ。感謝こそすれど謝罪などいらないよ」
「……ありがとうアシル」
「いや、こちらこそ」
アシルとフォンザーは見つめ合うと、アシルの方は涙を堪えてから互いを抱擁した。ややあって二人は離れた。
「誰かに今日のことを聞かれても君は死んだと突っぱねておくよ」
「そうしてくれると助かる」
「……元気でな。土産にワインを持って行け! 何本でもいいぞ!」
「高いだろうに」
「なぁに、君もあの味が好きなら惜しむボトルなどないよ」
再びワインセラーへ足を向け歩き始めた屋敷の主に、フォンザーは声をかける。
「アシル」
「ん?」
「悪戯のほとんどはあの子だったが、ワインはお前だろう?」
「バレたか!」
「想像するに、俺が友とよく似た騙りかどうか試したのだろう?」
「昔とまるで様子が違ったからな。すまんすまん。だがあの夜のことを覚えていてくれて嬉しかったよ、私は」
「黒騎士に免じて許してやるよ」
「それは助かる」

 フォンザーとディミトラは土産を抱えて予定より早く帰還し、キャラバン『グランズラー』と合流した。だが……。
「熱が下がっていない?」
「はい」
「白魔法使いがお手上げならサ・カラーナもお手上げだってさ〜」
クレリアとアレッキオは困った顔でフォンザーたちを見上げた。大きな天幕の中、支柱のそばには相変わらず赤い顔をして眠るハルサラーナがいる。
フォンザーはすぐ姫に駆け寄り額に手を当てた。
「……ううむ。確かにまだ熱い」
「風邪だとしてもほかの感染症だとしても熱冷ましなら効くはずなのに、一向に良くならなくて……」
「そうなったらもう、心労じゃないかい?」
「ディミトラもそう思いますか?」
「他に思い当たることもないだろう? きっとフォンザーが呪いをかけられて、参っちまったんだろうよ」
「何?」
俺のせいか? と眼差しで聞くと従者たちはもれなく頷いた。
「そ、そう言うことは早く言え」
「今日から姫さまを必ず抱っこして寝るんだね」
「そうしてください。加えてしばらくは単独行動も厳禁です」
「うむぅ……」
 夜も更けた頃。ハルサラーナは熱い瞼を上げ、ぼんやりと目を覚ました。辺りは静かで、フクロウの声が聞こえる。首を動かすと黒い厚手の服を着たフォンザーが枕を何枚も重ね、それでも重いツノで枕を押しつぶし目を閉じていた。ハルサラーナは体を寄せて彼に密着すると、安心してまた目を瞑った。


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