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『アイスキャンデー・ブルース』

 私はナイトシティで富裕層相手に料理の仕事をしている。いわばコックと言われる立場だ。コーポゾナー、コーポレート、ムーバーズ。彼らは比較的生鮮食品を口にできる身分だが、もちろん全員が自炊できるわけではない。このご時世、自炊なんてのはむしろ農業系クランのノーマッドの生活か富裕層の“趣味”だ。自炊でなければ仕事として我々が出張る。そう言う話だ。

 何を隠そう、私はコーポゾナーの邸宅に出入りして調理を担当している主任コックだ。必要とされれば何でも作る。パスタも生地から作るしジャムも瓶を煮沸するところから始める。
私たちの料理を「おいしい」と褒めてくれるのは、ご令嬢のヴィクトーリア様だけだ。邸宅の主人、グスコーグ様や後妻様、ご子息のヴァルター様はこれと言って何も言わない。何も言わなければ“不味くない”。今まではそれで良かったし、それが普通だった。

 ご子息のことはあまり知らない。私がこの邸宅に勤めるようになった時には彼はもう十二歳を越えていた。その頃からご子息は酷く無口だった。静かに食べ、静かに食べ終わり、食事が終われば部屋に引きこもって勉強している。そう言う子供だ。
ヴァルター様が十六の夏、ご令嬢が病院から帰ってきて邸宅の中は変わった。旦那様は今まで見たことがないくらい機嫌が良かったし、ご子息も表情が明るかったように思う。義手で小さなご令嬢をこわごわ抱いてご子息は泣きそうだった。

 ヴィクトーリア様が四つだか五つだか、そんな頃の夏。彼女はメイドの手を引いて厨房へやってくるとアイスをくれと所望した。バニラがいいかチョコがいいかと尋ねると、彼女はこう続けた。
「ちがうの、アイスキャンディがいいの。オレンジの。オレンジジュースをね、固めて作るんだって。ママが言ってたの。バニラを入れないでね。オレンジジュースにしてね」
私はわかりました、と返した。

 早速作業に取り掛かり、取り寄せたオレンジの中から甘そうなものを選ぶ。皮を切って白い筋を取り除いて、果肉を荒く刻んで。果肉とは別にオレンジジュースをミキサーで作って。作業を進めていくとご令嬢がいつの間にか戻ってきていて私の手元をじっと見ていた。
「アイスまだできない?」
もう少しお待ちくださいね。と言う私の言葉に彼女は一度厨房を出ていくものの、何分かしたらまた戻ってきてしまった。出来上がるまでが気になるのだろう。メイドを呼んで彼女を厨房の端に座らせ、私は作業に戻る。

 アイスが固まるにはそれなりに時間がかかる。やがてご令嬢は待ちくたびれて眠ってしまい、メイドの腕に抱かれて奥方の部屋へ戻っていった。出来上がったアイスキャンディはご令嬢が翌朝起きるまで冷蔵庫の中で眠った。

 起きたら喜んでくれるだろう。そう思っていたのに翌朝ご令嬢はわんわん泣いた。
聞けば、今朝早くご子息が海外へ勉学で発つ前に一緒にアイスを食べたかったらしい。どうして起こしてくれなかったの、と彼女は周りに辛く当たった。

彼女はアイスをただ食べたかった訳ではなく、兄との思い出が欲しかったんだ。あれは贈り物だったんだ。
私はそのことが酷くショックで、その日の夜は眠れなかった。


 どうしてそんな前のことを思い出したか? それはご令嬢が十一歳になって数日のうちにあの日と同じことを言い出したからだ。
彼女は朝早く厨房のドアからちょこっとこちらを覗いて、目が合った私に微笑んだ。
「あのね、今日おやつにアイスが食べたいの。バニラアイスじゃなくて、アイスキャンディがいいの。オレンジの」
私はハッとした。きっとあの時と同じ、贈り物だと。
「出来上がり次第すぐお持ちします」
「お願いね」
彼女は満足そうに出て行った。
今度こそ失望させてはいけない。
他の調理を全て後輩に任せ、私はアイスキャンディに集中した。

 アイスの味を落とさないようにしつつも早めに凍らせ、メイドに任せず私自らお嬢様に持って届ける。
彼女は日本風の庭園を見ながら兄と一緒に涼んでいた。
「お待たせいたしました」
「わあ、わざわざ持ってきてくれたの? 忙しいのにありがとう」
いいえ、こうでもしないと、あの日の気持ちが収まらないのです。
そんなことを言えるはずもなく、ご令嬢とご子息の間、小さなテーブルにアイスを置く。
お嬢様は氷の山に載ったアイスキャンディを早速つまんで口へ運ぶ。
「んー、冷たい。おいしい。ありがとう」
「恐縮です」
「ねえヴァルター、美味しいでしょ?」
「ん」
「ヴァルターも美味しいって」
「…恐縮です」
私は涙声を隠すので必死だった。

 その場を立ち去る時、涙をこぼさないようにしながら私は振り返った。ご令嬢はいつからかご子息をお兄ちゃんとは呼ばなくなってしまった。けれど、庭を見ながら何か話しているご令嬢と、それに相槌を打つご子息の姿はあの日、ヴィクトーリア様が求めた風景そのままで
私は本当に、心の底から安堵したのだ。


『アイスキャンデー・ブルース』・完

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