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大丈夫、まだホッコリエピソードがあるからの話。

最近、イライラが止まらないです。

心がトゲトゲして荒んでいるのが分かります。

そんな状態で記事を書いても、ネガティブな内容ばかりになってしまうので、無理に書くのをやめていました。

が、日々の中でも「探そうと思えば、心が温まる瞬間もあるなぁ」と思い直し、ちょっと書いてみることにしました。

ズバリ、ホッコリエピソードです。


【ホッコリ①】登校中のアイコンタクトの話。


朝は、私が娘を保育園まで送りに行きます。

クルマで保育園に娘を送ってから家に帰ってくる途中、タイミングが良ければ、登校中の息子を見かけます。

その時、クルマのフロントガラス越しに息子に手を振ります。すると、彼も手を振り返してくれるんですよね。それがとても嬉しいんです。

また、近所に住んでいる子で、息子と同級生の女の子が居るのですが、同じ登校班で通っています。お互い顔見知りなので、私はその子にも手を振るんです。すると、その子も手を振り返してくれます。それも同じくらい嬉しい。

息子もその女の子も、ちょっとこちらに気付いて視線を感じるんです。それで、こちらは、彼らに見えるように顔の前でヒラヒラと手を振る。そうすると、手を振り返してくれる。反応してくれたからってわけではないですけど、すっごく可愛いんです。二人とも。

ところで、小学三年生って、何だか不思議な年齢に感じます。

息子に関しては毎日家で彼の様子を見ていますが、家の中では自我を爆発させて、もう横暴、乱暴。いつもデカイ声で騒いでいるし、行動はガサツだし、常に服は何かしらの汚れ(泥なのか、図工の工作で使った絵の具なのか、習字の墨なのか)がついている。何が気に入らないのか急に機嫌を損ねることもあって、いっつもケンカが絶えない。

いつもニコニコ、コロコロ笑顔で居た幼い頃は遠い昔の記憶です。日に日に身体も大きくなってきているし、何だかもう「おとな」に近付いている感じがします。

でも、授業参観に行って、学校での彼の様子を見ると、何とも大人しくて。それでいて友達とは楽しそうにしていて。家であんなに騒がしいのは、単に内弁慶ってだけなんだな、外では理性的にしているんだなと安心したりしました。

ちょっと微笑んでこっちに手を振ってくれたりするなんて、何となくまだ無邪気さも感じます。登校中もそうですが、授業参観の授業中だったり、休み時間もそうしてくれます。こんな可愛い無邪気さはいつまで持ってくれているものか。

だって、きっと中学や高校に上がったら、こっちが手なんか振っても、無視されるか苦笑いされるだけなんじゃないのかなって思うんです。下手したら、来年とかにも「ウゼえからそういうことやめろよ!」と言われる可能性もあるでしょう。

なので、そういう様子を見ていると、まだまだ「こども」なんだなぁと思ったりします。そういう狭間じゃないですけど、成長している過程に立ち合いをさせてもらっているんだなぁと。ホッコリをありがとう。


【ホッコリ②】サンタの存在の話。


保育園の年長の娘は、そろそろサンタクロースの存在を疑っているように感じます。

「サンタって、(家の)鍵はどうするの?」

おお。以前そんなようなことを息子にも訊かれたなぁ。

当時の話は、こちらの記事に書きました。

https://note.com/furokun/n/nd1eb16b74e51


今回、娘にも同じような運用で説明をしてみました。

私「鍵は、別に送って渡しているよ」

娘「そしたらサンタ、(うちに)泥棒に入るよ」

私「まぁそこは大丈夫だよ。信じよう。
  それに他の家も回るから、サンタもきっと忙しいよ」

娘は、サンタに対して懐疑的というか、サンタ自身のことを信用していない感じなのかもしれません。たしかに、冷静に考えたら、赤の他人のおっさんが家に勝手に入ってくるって恐怖ですよね。たとえプレゼントをくれる人だったとしても。

まぁ娘は納得してくれた(もしくは諦めて追及をやめてくれた)ようなので、とりあえずそれでよしとしました。

するとそこへ、小3の息子がやって来て、会話に割り込んできました。

息子「サンタさん、また今年もお菓子くれるかな。
   てかさ、何で俺の好きなお菓子知ってんだろ。
   マジですごいよ。パパ、教えてないよね?」


そうなんです。実は我が家では、クリスマスプレゼントに加えて、子供たちが好みそうなお菓子も幾つか小袋に入れて添えているのです。

どうやら息子は三年生ですが、まだサンタを信じて疑っていないようです。彼の性格上、嘘は付けないし演技もできないはずので、知っていることはズバッと言うでしょうから。

そうか。そうしたら、今年もお菓子をあげるしかないな。いつまでその存在を信じてくれているか分からないけれど、気付く時が来るまで。今年も可愛いラッピングを選ぼうじゃないか。

それにしても、プレゼントを私経由でサンタにねだる子供たち、なんて可愛いんでしょう。プレゼントの値段はちょっと可愛くないけれど…。とにかくホッコリをありがとう。


【ホッコリ③】朝のお風呂タイムの話。


朝のルーティンなのですが、私は毎朝お風呂に入ります。

我が家は夜早く寝ます。私も21時には床に就きます。

で、私だけ、朝は家族の誰も起きていないような時間帯(だいたい4時過ぎ)に起床します。それから、少し筋トレをして、お風呂に入ります。前日の残りのお湯を追い炊きして、湯船につかります。そこで半身浴をしつつ、読書をしています。

言ってみれば、これは自分だけのゴールデンタイムでしょうか。

これはもう何十年と続けている習慣でほぼ毎日やっているので、これが無いとちょっと気持ち悪いのです。自宅以外の場所に泊まりに行った日や、前日に銭湯に行った日などは、わざわざ朝にお湯を張らないため、やりませんが。

しかし最近、ちょっと変化がありました。

それは、娘も、朝起きると一緒にお風呂に入ってくるということです。

私が本を読んでいると、タンタン・・と階段を下りる小さな足音が聞こえてきます。うん、足音で分かる。これは娘のはず。息子ならもっとドタバタと大きな音を立てるし、妻なら普通に大人の足音。

しばらくすると、浴室の扉が開きます。その扉の隙間から、案の定ひょっこり娘が顔を出して「(私も)はいる」と言います。断る理由などありません。私は「おお、もちろん良いよ」と返します。

私はお湯に浸かりながら、湯船にはフタをしているので、そのフタの上で本を読んでいます。ですから、少しそのフタをズラして、私の後ろに娘が入るスペースを空けます。

保育園であった出来事をポツポツと娘が話始めたり、私はそれに対して気になったことを尋ねたり。また、娘は浴室の壁に貼ってある小学生の漢字やローマ字の表を眺めたり、それで言葉遊びをしてみたり。

我々は背中合わせにして、特に何の会話をするというわけでもありません。でもこの無言の時間も愛しい。しばらくすると、身体が温まったからか、「もう出る」と娘は浴室から出ていきます。

しばし二人だけの親子の時間。妙に心地良いものです。ゴールデンタイムは邪魔され、中断しているはずなのに、何だか気分が良いのです。

これが娘も年頃になってくれば、私と一緒に風呂なんか「死んでも入りたくない」なんて言う日が来ることでしょう。それがいつになるか分かりませんが、こうして一緒に過ごしてくれる時間を楽しみにしている親父です。ホッコリをありがとう。



イライラすることも、心乱れる時も多いけれど、こうしてホッコリを貰えているうちは、それに気付けている間は、なんとなく大丈夫なように思います。

生きてるだけで丸儲け。

誰が最初に言い始めたのか分かりませんけれど、私の勝手な解釈をさせてもらうならば、こんなことでしょう。

日常の中の些細な瞬間を心の栄養に出来るなら、多分また前を向いて歩いて行ける。生きていれば、そういうことも見つかるもんだ、と。

そう思うことで、ちょっとだけ、心が落ち着くような気がします。良い方に目を向けたいものです。おしまい。

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