親子の乾杯の話。

先日、妻の両親と一緒に旅行に行ってきた。

妻の実家は東京にあって、私の住む埼玉の町からはさほど離れていない。1時間程度もあればすぐに行ける。なので、ひと月か、ふた月に一回くらいのペースで遊びに行かせてもらっている。お父さんもお母さんも健在で、私の子供である孫たちをとても可愛がってくれて、大変ありがたい。

さて、旅行は、お父さんお母さんのみならず、タイミングが合ったので、離れて暮らしている妻のお兄さん夫婦も一緒に行けることになった。このお兄さんと奥さんも、とても子供好きなのでこれまたありがたい。

そのため、私も妻も、いつもはガミガミピリピリして子供たちに接してしまうことも多いけれど、この時ばかりは、子供のおもりなどを、お父さんお母さんやお兄さん夫婦にお任せしたりしていた。

そこで気付いたことがある。以前から感じていたことだが、改めて考えて言葉にしてみたら、スッと腑に落ちた。そんな話。


妻の家族は仲が良い。

寡黙だけれど優しいお父さん、明るくて世話焼きで朗らかなお母さん。お兄さんも奥さんもとても人当たりが良くて穏やかで、何とも出来た人たちだ。そんな家庭で育った妻も、裏表が無く、嫌な感じが無く、素直だ。何よりとてつもなく優しい。

そのような人たちに囲まれていると、私まで何だかまるで「いい人」になったような気がする。普段の怒りっぽさも、人を信じられない疑心暗鬼な心も、「基本的には家族以外は全員敵だ」と考えている攻撃的な思想も、こういうときには鳴りを潜めている。というか頭からスッポリ抜け落ちて忘れてしまっている。言わば、自然と「白い」自分になっているのだ。

まぁそれはいいとして。私は、あまり、よその家庭を知らないものだから、他の家がどのような家族関係を築いているのか今一つ分からない。というか、家族というものに実は興味があるのだ。

妻の家族は上で書いた通り、仲が良い。ただ、常にぺちゃくちゃとお喋りしたりベッタリしているような、表面的な仲の良さとは、ちょっと違う。「話さないでも通じ合えている」そんな仲の良さとでも言うのだろうか。実際、お父さんは、寡黙なほうで、あまり妻やお兄さんとベラベラと話している印象は無い。お母さんはお話し好きなので、子供や孫たちと一緒に居ていろんな話をしている様子は見るのだけれど。

だから、お兄さんも、何かお父さんと一緒に杯を交わすシーンなどは、私はほとんど見たことはない。いや、ご飯を食べに行ったりすればお酒を飲んだりはするが、熱い話というか、深い話というか、そういったよく「酒の席でするような」話がされるわけではない。

食事時に、親子でビールジョッキを互いにガチャンとぶつけて、ああでもない、こうでもないとくだらない議論を繰り広げる。私には、仲の良い親子(父親と息子)と言えば、勝手にそういうイメージがあったのだが、実際はそうとも限らないらしい。


ちょっとここで、唐突だが私の話をさせてもらう。

私の父は、既に他界している。私が大学生の時に、病気で亡くなった。だからというか何というか、私は父親と一緒に楽しくお酒を飲む、といったような経験が無いのだ。

本当は、酒を飲む機会など、父が生きているうちにたくさんあったかもしれないが、私と父は、仲が悪かった。私が中学生の時に父は病気になり、それ以降は、家庭内でギスギスした時間が流れることが多くなった。もちろん、それは父のせいではなくて、私が素直になれず、反発を繰り返してきたからだったと思う。そういう環境が当時の私は嫌で嫌で仕方なくて、高校を卒業してからは、家を飛び出して、遠く関西の大学に進学した。とにかく家から遠く離れたかったのだ。

離れると不思議なもので、あれだけ嫌だった家族のことも、少し寛容になれたような気がした。それほどしょっちゅうは帰れなかったが、夏休み、年末年始、ゴールデンウィーク、といったいわゆる大型連休のシーズンには毎回帰省はしていた。ただ、それでも、よくある家族の仲の良い雰囲気などは無かった。食事は一緒にするが、特に熱い話や深い話はしない。両親とのコミュニケーションは、そっけない会話だったり、ぶっきらぼうな返答くらいだった。

しかし、大学の生活も安定してきて、三回生(関西では学年のことを「●年生」ではなく「●回生」と呼んでいた)になって就職活動が始まり、忙しさにかまけてなかなか帰省する機会も減ってきていた。「内定を取れたら報告がてら、久々に実家に帰って顔でも見せようかな」とそのようなことを思っていた矢先、母から電話がかかってきた。

「お父さんが危篤だ」と。

今にしてみれば本当に恥ずかしくて、情けないことだけれど、私は当時、父の病状を全く知らなかった。母が気を遣って教えてくれなかったというのももちろんあるけれど、自分で知ろうとしていなかったのだ。私は、以前に手術をしてから、父の体調は快方に向かっているものとばかり思っていた。だが実際にはその正反対で、私が帰省していなかった間に、父は、自分の力で呼吸することも難しくなって呼吸器をつけ、自分の力で歩くことも大変なため車椅子に乗るようになっていた。それほどに悪くなっていたのだ。

私はそのような状況を全く知らなかった。だから母から「危篤だ」と言われてもにわかには信じられなかった。

すぐさま新幹線に乗って、田舎の電車を乗り継いで、言われた病院へ向かった。そこには、変わり果てた父が、必死の形相になり、病室のベッドに横たわっていた。あんなに体格の良かったのに、そのような面影も全くなく瘦せ細り、意識も朦朧とし、会話もできない。ベッド脇に立っている身内の人間が呼びかけると、必死に頷いているのか呼吸をしているのか、その違いも分からないくらいに、一生懸命に首を動かしているだけだ。

必死で生きようとしていた父の、その当時の様子を思い出すだけで、胸が辛く悲しい気持ちになるし、今回の趣旨とは大きく外れるので、詳細はこれ以上ここには書かないことにする。

とにかく、そうやって、久々に再会した父だったが、その数時間後には帰らぬ人となってしまった。

だから、父と一緒に私は酒を飲んだことがない。


そう思っていた。

しかし、一つだけ。

たしか一つだけ、最後に父と一緒に、お酒を飲んだことがあった。それは、いとこの結婚式でだ。一緒に父と息子一対一で飲んだわけではない。親族席で、一緒のテーブルに、私と父は座っていたのだ。そこには、ビールやシャンパンがあった。親戚の誰かが写真に撮ってくれていた。だから、証拠はある。

浴びるほど飲んでいたわけではない。結婚式の場だし、真面目でしっかりした父だ。羽目を外さないようにたしなむ程度。私も大学生になったばかりで、そこまでお酒に強くなかった。そこでは、恐らく親子での会話などなかった。あったとしても、今ではもう私は忘れてしまった。それくらい他愛もないことだったろう。

その時、数年後にこのような機会などもう二度と持てなくなると分かっていたならば、もう少し仲良くして、楽しんで会話をしただろうが、それは今となっては仕方のないこと。ただその時、一緒の時間を過ごしていたというだけだ。

だからこそ、ずっと私は、そのような父と息子の乾杯を、語らいをできなかったことを悔やんでいたし、子どもとして、父に対してそういうことをしてあげられなかったことを申し訳なく思っていた。

けれど、それだけじゃない。

そういう形以外にも、家族が仲良くする形があるのだと、妻のお父さんとお兄さんの関係を見ていて知ることができた。

それに、今更ながらに私は気付いたのだ。


酒を酌み交わして、熱い、深い話という名の、男同士のしょうもない話をする。

それだけではないのだ。父と息子の理想の関係というのは。いや、何が理想かなんて人によって違うのだろうし、正解は無いのだろうけれども。

ところで、お父さんは、私が妻の実家に遊びに行くと、夕食時に無言でビールを出してくれる。そこで何か会話をするわけではない。一緒に飲むわけではない。しかし、グラス一杯に氷を入れてキンキンに冷やして、アサヒの冷たい缶ビールと一緒に私に手渡してくれるのだ。

銘柄も「アサヒのビールが好きです」と以前私が言ったことを、もしかしたら憶えてくれているのかもしれない。だからキリンじゃなくアサヒなのだ。外でみんなで食事に行くときには、お父さんがアサヒビールを注文している姿を、私は見たことはない。それなのに、お父さんはいつでもアサヒビールを出してくれるのだ。私が実家にお邪魔しているときに、他の銘柄が食卓に出てきたことは多分一度もない。

「ありがとうございます、いただきます!」

お父さんは、すでに食事を終えてリビングのソファでテレビを観ている。私が発した感謝の言葉に、無言で、軽く頷く。ここで飲むアサヒのビールは格別に旨い。最近の私はめっきりお酒が弱くなって、家では生ビールを飲む機会はほとんど無いけれど、このビールは、本当に美味しいのだ。それは決してアサヒだからじゃない。気持ちが嬉しいのだ。息子として家族として飲んでいるという、その気持ちが。

いつか抱いていたイメージとは違うけれど、こういう「親と子」のお酒の席も悪くはない。というか、家族の形はそれぞれ違うけれど、これはこれで良いものだ。そんなことを、ふと思った。


ところで、私の小二の息子は、最近、私が自宅のダイニングテーブルで一人晩酌をしていると、一緒に乾杯をしにやってくる。

私は缶チューハイ、彼は牛乳だ。「俺も一杯飲もうかなぁ」と言いながらニコニコしてやってくるのだ。かわいいやつだ。「乾杯!」そう言い合うと、彼は、よく分からないが、なんだか楽しいらしい。私も楽しい。もちろん、これもこれで、すごく良い。

親と子の数だけ、家族の形はあるんだろうな。仲が良いに越したことはない。

「いつか父ちゃんとお酒を飲みたいな」そう、息子が言ってくれることがある。それを聞くと、とても嬉しくなる。私も同じだ。息子と一緒に、いつか本当の乾杯をするのを楽しみにしている。それまで健康で生きるようにしなければ、と切に思う。おしまい。

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