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ポケットのモンスターの話。

遅ればせながら、我が家にポケモンの波がやって来ました。

我が家に Switch はあったのですが、もっぱら小4の息子が遊ぶもので、そのソフトもほとんどがマリオシリーズでした。アクション系がメインで、RPG系は皆無の状況です。

それが今回、据え置きで使っている Switch とは別に、妻が Switch Lite を購入しました。ソフトはポケモンのバイオレットです。そろそろ新作が出るのかな?という情報もありますが、諸事情あり、家族で話し合ってこのタイミングで買うことにしました。ハードもソフトも新品を揃えたのでなかなか高かったけど。

さて、前述のとおり、我が家にポケモン文化は無かったですし、ポケモンのアニメなんかも観ていませんでした。

とはいえ、私も妻も、子供の頃はバリバリポケモンをやり込んでいました。ゲームボーイ世代。いや、あの時はもうカラーだったか。ソフトは赤緑を一番やりましたが、金銀とかもかろうじてプレイしていたくらい。大学に進学したり就職すると、いつのまにか遠ざかっていました。

そういうわけで、ポケモンの本当に基本中の基本みたいなのは分かっていましたが、逆に言うと、それ以外のことを知らない。

たとえば、モンスターをゲットするとか、モンスターを戦わせるとか、相性があるとか、進化するとか、技があるとか、あとはなんかプレイヤーが縦横無尽に歩き回るとか。そのくらいの基本ルールしか知らないわけです。

ですから最新のポケモンがどうなっているのか、ちょっと不安ではありました。なんか噂ではスゴイ進化みたいなのができたり、種類も山ほど増えてたりとか。こちとらイマクニのおかげで151種類言えるか言えないかくらいの知識しか無いのに。

しかし、それは全くの杞憂でした。やっぱり面白いんですね。妻や子供は一気にハマった模様です。さすが世代を超えて楽しめるゲームですよね。

実際、私はプレイしていないんですけど、妻が遊んでいると、娘も興味を持って一緒にやったりしているし、マリオ一辺倒だった息子も関心を抱いたようで。「面白い。俺も、ポケモン買う!」とか言ってます。

こうして、我が家にポケモンブームが訪れようとしています。

さて、それはそれでいいんですけど、これによって私はもう一つ嬉しいことがあります。

それは、ゲーム中であれば妻がスマホをいじらなくなったこと、です。

現代では、スマホはもはや必需品の領域にまでなっていたりしますよね。お財布にもなるし居場所も道順も分かる。誰かと連絡も取れるし、暇だって潰せる。今だってこうして note の記事だって書けるわけですし。簡単に全世界と繋がれて、会ったこともない人とコミュニケーションが取れるんですから。大変便利です。

でも、私は、本当はあまりスマホが好きじゃないです。

自分でも使っているので自己矛盾も甚だしいですけど、なんか、スマホをいじっている様子を傍から見ると、その中で完結している感じありませんか?

結界を張っているとかじゃないですけど、まるで「私は今、私だけの世界に入っています。誰も邪魔しないでください」って言われているような。私の考えすぎですかね。

もっとも、自分と関係のない赤の他人がスマホをいじっていても私は全く気になりませんけど、大好きな家族がスマホをいじっていると、ちょっとした寂しさと言いますか、疎外感を覚えるのです。

うちの子どもはまだ小さいですし自分専用のそれを持っていないということもあるからでしょうか、彼らがスマホをいじっていたら「おい、勉強もしないで何見てんだー?」って軽口も叩けますけど、これが配偶者だと言いにくい。と言うか私は何も言えない。

妻に対して「何見てるの?」ってスマホの画面を覗き込もうとしたら、サッと画面を隠されたらどうしよう。とか。いや、そんなことされた経験はないんですけど。でも、もし妻にそのようなことをされたら傷ついてしまいそう。

私の知らない世界は、出来るなら知らないままにしておきたい。知らなくていい世界は知りたくないのです。家族が平和で居るために、そのような扉を開けたくない。

まあ冗談はさておき。言わば、プライベート空間的な感じがあると思うんです。スマホって。それで何でも出来ちゃうから。

逆に言うと、他人に知られたくないことまで出来るんですよね。自分の世界がその小さい端末の中にむちゃくちゃ無限に広がっていると言いますか。そこに他人が土足で踏み込むのって、幾ら家族でもそれは違う気がして。だから、妻がスマホをいじっていても、こちらは何も言えない。

しかし、ゲームは違う。と私は思っています。

「なになに?今どこなの?誰と戦ってるの?」みたいなのが言いやすい。テレビに映してプレイしていたりすれば、なおさら。まぁオンラインで仲間とウェイウェイ!みたいに遊んでいるタイプのゲームだとまたちょっと違うんでしょうけど。

少なくともポケモンは平和。しかも我が家はまだ始めたばかりだし、子どもたちも妻と一緒に遊んでいるから、それが何とも微笑ましくて良いんです。「こんなポケモンいるんだー!」とか「この技は結構良いなー!」とか。

私のようにそこまで知識が無くても、話題として入っていきやすいんですよね。ゲームって基本的には何をしているのか見えやすいから。「え?なになに、どれどれ」って。そう言いやすい。

そういうわけで、ゲーム中の妻はスマホをいじらない。それはすごく私にとって嬉しいことなのです。オープンな雰囲気を感じるからなんだと思います。

いやあ、ゲームって良いですね。

そういえば、少し話は変わりますが、私が中学生とかその辺りから携帯電話というものが急速に普及するようになったように記憶しているのですが、その時のことを思い出します。

家族で食事に行くと、料理を注文してそれが来るまでの間、親が携帯電話をいじっているんですよね。そういう時って、もちろん無言なんです。話しかければ答えてくれたのだろうと思います。でも出来なかった。

当時の私は、親に「ねえ、それで何見てんの?」とは一度も訊けませんでした。訊いちゃいけないような気がしていました。大人だけの世界がそこに広がっているような気がしていて。こちらも、それを打ち破っていいのかも分からず、そしてそんな勇気も無く、ただずっと黙るしかなかった。

私にはその状況がすごく寂しかったのです。「目の前にいる子どもよりも大事なものを見ているのかな」って。子どもながら、やっぱり疎外感を覚えていました。

現在、かく言う私も、もしかしたら無意識に家族の前で平気でスマホをいじっているかもしれない。でも、私の子供たちがそれを見てどう思うのか分かりませんけど、万が一にでも、やはりそのことで彼らに寂しさを感じさせたくはないんですよね。

大体、スマホなんて、必要でなければ本来は触らなくていいと私は思っています。でも触ってしまう。それは暇だからだと思うのです。

本当に必要な時にしか触らないのならば、あれだけ使用時間が長くなるはずがありません。(iPhoneに搭載されている「スクリーンタイム」という、「お前は一日の中でスマホをどのくらいの時間触ってんの?」というのが可視化される機能を見ると、私は毎回ギョッとします)

ポケットの中にあるその超高性能コンピュータのおかげで全世界と繋がることができる一方で、一番身近に居る家族との世界を断ち切る可能性がある。なんて皮肉な話でしょうか。いえ、私の考えすぎなのでしょう。

ちなみに私は、暇で仕方ない時は、ポケットに入れておいた文庫本を読みます。ちょっとスマホをいじりたくなっても、意識的に本のページを開くのです。

それは何も、知的でクールな自分を演出する意図ではありません。単に、世界を閉じたくないからです。「どんな本を読んでるの?」と子供や妻から訊かれたい。

何ですか。やましい本など読みません。オープンで居たい。どうせ暇なら、私は一人無言でスマホをいじるよりも、家族に対して今読んでいる本の話をしたいと思ってしまうわけです。

・・まあ、本の話を訊かれたことなんて無いんですけどね!

あなたのポケットの中にあるものは、誰のための何のためのものですか。そしてどんな世界に通じているのか。ポケモンの話からだいぶ脱線しました。失礼。おわり。

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