引き出しの少なさに愕然とする話。
タイトルの通りです。
最近の自分の引き出しの少なさに愕然とします。それは、この note の記事で書くジャンルでもそうですし、誰か家族以外の人と他愛もない話をする時もそう。
何を話題にしたらいいか、迷います。
頭の中にあるのは大体決まっていて、
という、この三つくらいしか無いんです。
仕事が忙しすぎて疲れてんのかな?と思う反面、別にそこまで長時間残業しているとかでは無いですし、職場の人間関係に悩みか何かを抱えているというわけでもありません。
単に、目の前の仕事に失望しつつある。そんな状況なのです。その現実を受け入れたくなくて、言わば現実逃避的な思考が頭の中を占めているようにも思えます。
ですから、note をいざ書こうと思っても結局そういう結論に落ち着いてしまいますし、誰かと話す時も「帰りたい」ということをずっと考えています。最低なつまらない奴ですよね。
思えば、昔の自分ってどうだったっけ?と。
古い友人と会って話すと、こんなことを言われることがあります。
と。
たとえば、大学時代にこんなジャンルの音楽を聴いていたとか、相談事を持ちかけた時にこんなふうな回答をされたとか、私は彼らに対して色々な情報を提供していたようです。
ですけど、全く憶えていないんですよね。私自身。
「えっ、そんなこと言ったっけなあ・・」と思ってしまう。記憶喪失なんかな?分かりませんけど。
当時は当時で大変なことも楽しいこともあったのかもしれないですけど、まるでジェットコースターに乗っていたように夢中で過ぎ去ってしまって、あとは何ももう憶えていない。残っているのは「あー、楽しかった(大変だった)ね」という感想のみ。
とにかく、私は当時の思考が思い出せない。一体何を考えて感じてどう生きていていたのか。
そしてそれは、もしかしたら今もそうなのかもしれないと思うのです。
こうして何気なく過ぎている毎日は、過ぎ去ってしまったらきっと何も残らない。だからこそ、目に見える何かを残しておきたいと考えてしまうのかもしれません。
私にとって、こうして記事を書くとか、日々の仕事に悩む中でどうにか今後に繋がる何かヒントを得ようとする姿勢とか、そういう何か「現在」を繋ぎ止めて「未来」に渡していく作業は、何処か必要であるように思うのです。
他方で、私は意志が弱くて、そういう真面目な何かと相反する形で、日常の辛さを軽減させたり見て見ぬフリをするための現実逃避も確実にあるんです。それが美味しいご飯食べたいなとか温泉に入りたいなとかそういう気持ちだと思います。相反するように見えてゴチャゴチャに併存している。
その全部をひっくるめて、日常。
そうすると、私はこうして考えて行動しているようで、きっと何も考えておらず、それほど行動も起こしていないのです。
単に、日常に乗っかっているだけ。
気付いたら、引き出しの中身は空っぽかもしれない。そういう不安や恐怖と闘いながら、また考えたり考えなかったり、行動したり行動しなかったりしていくのです。
そんなふうな、平凡な人間の、平凡な人間による、平凡な人間のためのお話でした。眠れない夜です。おわり。
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