ハードルを低めにして生きることの大切さの話。

「まーた要らんことしてるなぁ…」

子供が無駄に変なことしたりしていると、そんなことを思ってしまいます。

たとえば、見守りのために渡している腕時計を外して無闇にフラフラさせて遊んでいて最終的に床に落としてしまったり、おもちゃをいつまでも出しっぱなしにして片付けなくて最終的に学校に必要なものが見つからなくて泣いて怒ったり、よせばいいのに兄妹での遊びがエスカレートして最終的にケンカになったり。

そういうシーンに出くわすと、つい、

「ほら!だから言っただろ!」

と、声を荒げて怒鳴るようなこともしてしまいます。

しかしそうするとどうなるでしょう。

最終的には子供がエンエン泣いて、私もむちゃくちゃ後悔するのです。学ばないのです。繰り返してしまいます。何とも愚かです。

けれども、そういう場面に当たった際、こういうことをしたことがありました。

「気にしない」

こういったリアクションをとることで、自分の反応としてそのような行動をとることで、怒りのボルテージが下がっていくのを感じました。

「気にしない」ことは、見て見ぬフリをすることです。それは、上に挙げたことの顛末も「気にしない」という気持ちで居ないといけません。

つまり、

腕時計をフラフラさせて、最終的に落としても、
「気にしない」

部屋が散らかって、最終的に子どもが駄々をこねても
「気にしない」

兄妹遊びがエスカレートして、最終的にケンカになっても
「気にしない」

そういう時に起こってしまう私の思考回路をよく考えてみると、その「最終的に」の部分を想像して、勝手にその事前処理を頭の中でしてしまって、そのプロセス通りに動かないと、不満に思ってしまうのでしょう。

でもそれは、すべて私の頭の中だけの話。その通りに動こうが動くまいが、目の前に居る子供たちは、自分の意志を持ち自分で行動をしている一人の人間なのです。つまり他人なわけです。

他人をコントロールしようだなんて、たとえば近所の人とか、同僚とか、そういう人たちをコントロールすることなど考えないはずなのに、子供に対してそう出来ると思って接してしまうのは、何とも烏滸がましい限りです。よく考えれば。お前はそんなに人様を思いのままに動かせるだけの力があったり、そのような立場なのかと。一人の人間、それも平々凡々として偉くもないくせに、何を思いあがったことを考えているのだと。

そういうわけで、見て見ぬフリをする、少し、目を瞑る、期待をしない、そういうことをしてみるのです。私の頭の中で考えた通りに出来上がった現実が、必ずしも正解というわけではないのですから。

ただ1点、気を付けなければならないこともあると思います。それは、「放置」ではないということと、「親としての責任は放棄しない」ということだと考えています。

子どもが変な遊びをして失敗することは、もしかしたら良いことかもしれません。そこから何か学びを自律的に得てくれる可能性もあります。しかし、それは親が「子供がどんなことをしていてもいい」と見放すことではないと思うのです。

人によってその基準は変わるとは思いますし、それこそ家庭の教育方針だとは思いますが、私個人としては、子供が「危険なこと」か「人道的でないこと」をしだした場合は、そこは注意しないといけないと思っています。

腕時計をフラフラするのまではいいけれど、それを振り回して人の顔を目がけて投げるとか、兄妹喧嘩まではいいけれど、「お前なんか生まれてこなければよかった」などと罵倒していたりとか、基準は難しいですけれど、そういう「破ったらダメなライン」を見極めつつ、子供のアクションを軌道修正してあげられたらいいなと考えます。

他人ではあるけれど、まだ身体的にそして精神的にも成長しきっていない低年齢の子供なので、その辺りは親としてきちんと見て行こうと思っています。まあ私なんて立派な人間でもないですし、自分自身、人間として未熟であることも自覚していますけれど、だからと言って、子供もそうなってほしいとは思いませんから。せめて、私の乏しい人生経験の中から、少しでも先を歩いてきた身として、アドバイスと言いますか「多分だけどこうしておいたほうがいい(こうしないほうがいい)」を伝えることしかできないわけです。

その「多分だけどこうしておいたほうがいい(こうしないほうがいい)」が、「危険でないこと(自分を含めて安全を確保してあげること)」と「人道的であること(目の前の人を尊重すること)」だと考えるわけです。

もちろんそこには、私の主観が入り混じっていますので、必ずしも正しい行動(果たしてそのような行動があるのかも分かりませんが)ではないと思いますが。でもそれも一つの価値観ですから、彼自身・彼女自身がいずれ修正してもらえればいいなとも思います。

といったわけで長くなりましたけれど、逆に言いますと、その「ライン」と言いますか最低限のハードルだけを守って、それ以外の気が付いてしまうような出来事には、グッとこらえて我慢をして見過ごしてあげるということでもあります。

実際、それを実践することは結構難しいですし、よく失敗して「何やっとんじゃー!」と怒っちゃったりしますけれど、そういうハードルを極力最低限に低く設定することで、自分の精神衛生上はもちろんのこと、子供にとっても雰囲気が良くなったり自立を促す効果があるというのは、なんとなく実感したりするわけです。

期待しない、ハードル低めに。実はそれは何事においても大切なことだったりするのかな、なんて思います。おしまい。

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