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「家庭と仕事、どっちが大事なの?」について考えてみた話。

先日書いた記事の中で、私の中での価値判断は断然「仕事 < 家族」なんです、ということを声高に主張しました。

それは今も変わっていないんですけど、どうしてそういう考え方をしてしまうのだろうな、とふと思いました。

何となくですが、「比べるものではない」ように見えるのに、どうしてかそうしてしまう。

少しだけ掘り下げてみようと思います。


「仕事」と「家族」は比較できるかという問題。

まず、そもそも「仕事」と「家族」を比べること自体が、もしかしたらピントのズレたことなのかもしれません。

世の中には「アップルトゥアップル」という言葉があるようで、比較をする際には同じ条件つまり何らかの共通点が無いと、そもそも比べることが難しいわけです。

大きくて甘い黄色のリンゴ」と
小さくて酸っぱい赤いリンゴ」なら比較できます。

どっちがジュースに適していて、どっちがジャムに適しているか。その比較ができるわけです。「リンゴ」であったり、「食べ物、口に入れるもの、その食材」という共通点があって、どちらも同じ条件がありますから。

けれど、「大きくて甘い黄色のリンゴ」と
購入してから五年経過したシーリングライト」だったら、そもそも比較ができません。食べ物と家具をどう比べればいいのと。

もしかしたら、同じことをやろうとしていたりしないかなと、まず思うわけです。

じゃあ「仕事」と「家族」は、比べられるのかと。

仕事」は、行為であり、過程もしくは結果なわけです。人間が行うこと、営みです。それに対して「家族」は、人間です。自分に関わって家庭を築き、ともに生活をしている人たちです。やっぱり単純な比較はできない。

であれば、「家族」ではなくて「家庭」ならどうでしょう。これは人ではないですし、生活という営みを含んでいるように見えます。単純に言葉の表現上の問題ではないかもしれませんが、同じ天秤にかける以上、少しでも揃えておきたいです。一旦、「家庭」を、家族と一緒に過ごす行為とその時間、ということで考えてみます。その家庭生活は、文字通り、営みなわけです。

対して「仕事」。これは、自然人であれ法人であれ誰かに雇用されて、または自身が事業主として働き、サービスや製品を提供して、それを買ってもらってその対価としてお金を貰う行為の営みを指していると理解しています。すみません、辞書的な意味とは違うかもしれませんが、あくまで肌感覚の、個人的な解釈。

「家庭」と「仕事」を比較する条件について。

では、改めて「家庭」と「仕事」ということで。

この二つを比較するための共通点は何かというと、「自分」だと思うのです。もっと詳しく言うと、「自分が、何らかの営みに対してどれだけ人生の時間を使いたいと思うか」ということ。そう考えてみます。

人それぞれ意見はあるでしょうが、私はそれを「人生の時間」の使い方であると思っていて、それを何に対してどう使うかが、それ自体がもうすでに自分自身を表すものだと考えています。

さて、ここから先は少しナイーブなテーマになってくるので、できるだけ慎重にメスを入れていこうと思います。もしかしたら、非情な表現になっているかもしれません。

まず「家庭」と「人生の時間」について考えてゆきます。

「家庭」に割く「人生の時間」について。

私は妻と子供と暮らしているわけですが、そもそも、なぜ妻と結婚したかと言いますと、それは妻と居たかったからです。もちろん大好きというのもあります。公に言うのは少し気が引けますが。これほどまでに気の合う人で、話していて楽しくなる人と出会ったことはありませんでした。もっとこの人と一緒に居たい、もっとこの人ともに時間を過ごしたい、そう考えた結果、結婚することに何の迷いもありませんでした。結婚してからも、そこにギャップはありませんでした。

そうして、やがて子供が生まれてくると、少し生活の中身も変わってきます。私や妻だけでなく、彼らとの生活になるわけです。現在、彼らはまだ小さいですが、だんだんと大きくなり、自我が芽生えてきます。いえ、もうすでに自我はありますが、そこに行動力とか、社会性が加わってくることだと思います。そうなると彼らの意思で生活を営んでいくことにもなるでしょう。

今は子供たちのことは可愛くて仕方ありませんし、私のことも向こうから構ってくれますが、この先、彼らが成長していくにつれて、その関係が変化していく可能性はあります。私のことを汚物でも見るかのような扱いになったとしてもおかしくありません。彼らは彼らの人生がありますし、彼ら自身の価値観がありますから。が、少なくとも今の時点では、割と家族で仲良くしています。

つまり、妻と子供と生活するという点において、一緒に人生の時間を過ごすことに、非常に大きい喜びを感じるわけです。

それは、逆に言うと、一人で過ごす生活、その時間などは、あまり喜びを感じないのです。私はですけど。一人で居るより、妻と子供と一緒に居る方がいい、そう思っています。以前はそういう考えではありませんでしたが、家族と一緒にこうして生活を送っている今では、少なくともそう感じています。自分一人だけで、自分のために何かしら敢えて時間を割きたいことは無いです。

つまり、少なくとも私にとっては「家庭は大事である」という結論が導けます。そこに人生の時間を割くことに、何の疑問も問題も無いわけです。

けれども、じゃあそれでいいだろう、「家庭で過ごす時間」にだけ人生の時間を使えばいいだろう、というわけにはいきません。

なぜなら、生活するには「お金」が必要だからです。自分一人でもそうですが、ましてや妻や子供が居るなら、家族が食事をして寝て、社会生活を送るために、ある程度のお金が無いといけません。そのためには、働かなくてはならないわけです。もちろん、自給自足ができるライフスタイルだったり、働かなくても収入が得られるような立場の人も居るでしょうが、私はそうではありません。なので、働きます。

そういうわけで、「仕事」に対しても、「人生の時間」を使う必要があるのです。

「仕事」に割く「人生の時間」について。

私は日本でサラリーマンをしています。なので、労働基準法第32条に基づいて、一日8時間、週40時間は働くように、会社で決められています。その時間は、どうしても家族との時間には割くことができないわけです。つまり「仕事」として、その時間については人生の時間を使う必要があります。

それでは、仕事は選ばずにどんな苦難に耐えてその時間を過ごすかというと、そこまで私は根性もありません。なので、自分が出来得ることで、比較的得意で、そしてより多くのお金が貰えて、そして出来れば「納得ができる」そんな仕事を選んでしまうわけです。

自分の人生を使うという意味において、それは、単純に量的な問題ではありません。なぜなら、私は弱い人間なので、無理な仕事、向いていない仕事については、著しく精神状態が悪くなります。仮に高給であったとしても、何より働く上での精神状態が良いものを選びたいと考えています。

そうすると、ある程度は、何らかの仕事を選ぶという基準が出てきます。量はもちろん少ないほうがいいですけど、質も大事になってくるわけです。全てが全て思い通りにはもちろん行かないけれども、それでも自分なりに「こういうことをしたいな」という思いがあって、実際に毎日仕事をしているわけです。それに、どうせ1日8時間も働くのであれば、一日24時間のうちの三分の一なわけですから、嫌々よりも、やりたくてやる仕事(ある程度は、ですけど)を私は望みます。

つまり、「自分の時間なんて要らない」といったようなことを上で述べましたが、こと「仕事」に関しては、そこに大きく「自分の時間」を割きたくて割いている実情があるようです。

「家庭」と「仕事」の重要度をどう判定するか。

では、「家庭」と「仕事」とで、どちらにどれだけ「自分の人生の時間」を割くかで、その重要度が決まってくるものでしょうか。

いえ、実際には、そのように単純に割り切れるものではないのかもしれません。

「俺は家庭が大事だ!」という主張をする人が、仮に私のように、資産も無い、不労収入も無い、働かなくては生きてはいけない、という状況であった場合に、「仕事なんかしないで、家族と一緒に過ごすのだ」ということは現実的に不可能なわけです。そうなると、仕事をしない=お金がない=生活ができない=家族と過ごすことができない(妻や子供が働いていなければ生活ができない)、となるので、少なくとも現状においては、やはり仕事を欠くことができないのです。

反対に「仕事が第一。家庭は要りません」と考える人であれば、どうでしょう。もしかしたらそこには別に何の検討も要らないかもしれません。仕事をすればいいわけですから。ひょっとすると、そういった場合、そもそも家族を持たないほうが良いかもしれません。もちろん、様々な理由で所帯を持ち続けなければならないケースもあるとは思うは思いますが。

比較する際の基準。

そうすると、一番判定が微妙なラインとして、

  • 家庭のために、仕事を休める(早く帰れる)か

  • 仕事のために、家族に会う時間が少なくても大丈夫か

といった両者が微妙にカチ合うような場面、そういった境界に属するようなラインを検討することで、自分がどれだけそのどちらを大事に思っているか、少し考えることができるのかなとも思います。

あ。念のため言っておきますが、ここに挙げた基準は、私見です。あくまで「私はそう考える」ということです。一般論ではありませんので。この基準に当てはめて「あなたは家庭を犠牲にしています」とかそのようなことを述べる意図は全くありません。

そのうえで、さらに、もう少し細かく条件を設定して微妙なラインを見定めてみます。

まず「家庭」の条件についてこれを細分化。

  • 家庭1条件:特に家庭に問題は発生していない

  • 家庭2条件:家族が急病(ただし軽症)

  • 家庭3条件:家族が重症

次に「仕事」についても条件細分化してみます。

  • 仕事1条件:仕事は平常時(残業もない)

  • 仕事2条件:繁忙期(残業あり)

  • 仕事3条件:トラブル発生中(帰宅困難可能性)

「家庭n条件」とか「仕事n条件」のnの数字が大きいほど、問題が起きているということです。

このような条件があったとして、どの組み合わせでどれだけどちらを優先させるのか。それによって、自分の「大事さ」が分かるような気もします。乱暴な論理かもしれません。けれど、やってみます。

各条件の組み合わせ表(マトリクス)。

というわけで、マトリクスを作りました。

単純な組み合わせ(3×3=9)

以下、検証してみます。

ケース①(家庭1×仕事1)

これは普通に、定時時間内まで勤務してから、帰宅して家族と過ごすケースなので、あまり大きな比較検討項目は無いと思うんです。ここでは「家庭」=「仕事」なのかな。

または、この場合、仕事は定時内で終わっているのに、本当はやらなくていい残業をやっちゃったりなんかしていると、ちょっと「家庭」<「仕事」なのかなとも感じます。ただ、今の職場と言いますか、今の勤め先ではこの不等号になることはまず無いです。忙しくないなら、残業はしないです。

ケース②(家庭1×仕事2)

家族は特に健康上の問題はないけれど、仕事が忙しくて、若干火を噴いているような状況。「仕事2条件」はそういった状況を想定します。

これは、私の場合は、やっぱりちょっと残って仕事をしてしまうと思います。もちろん、残業をしなければならないということはないでしょうし、人によっては「関係ないから帰る」という人も居るでしょうが、やはりどうしても気になってしまいます。帰る時間が多少遅くなっても耐えられると言いますか。なので、この状況では「家庭」<「仕事」になるのかもしれません。

ただ、あまり自分に関係ない業務であれば、もしかしたら帰るかもしれません。家族と過ごす時間が極端に減るなら、それはやっぱり帰らせてもらうと思います。そうなると、「家庭」≦「仕事」なのかな。

ケース③(家庭1×仕事3)

「仕事3条件」はもう仕事上で完全にトラブルが発生していて、自分のところで大問題が発生している状況を想定してみます。

こうなったら、家族には申し訳ないけれど、「家庭」<「仕事」になる可能性は高いと思います。仕事をしている以上、やる時はやらないといけないんじゃないかなと思いますし、そこを手を抜いてしまうと、今後働きにくくなりそう。

ただ、何日も何日も家に帰れない日々が続くと、それはそれで不等号も変わってくるかもしれません。「トラブルは分かるんだけど、それでもこっちだって家族のことは大事なんだよな・・」と。これが経営者とかであればもはや「仕事」=「生活」という側面もあるかもしれませんが、私は一サラリーマンなので、「生活」全般と呼べるほどに「仕事」に重きは置けないです。申し訳ないですが。そうなると、これもやっぱり「家庭」≦「仕事」だろうか。。

ケース④(家庭2×仕事1)

少し難しくなってきます。

「家庭2条件」は、子どもが微熱(37℃前半)とか出てしまって、預けていた保育園が連絡が来たとか。妻が腹痛で会社を早退したとか。明らかに重症というわけではないけれども「あれっ、大丈夫かな、ちょっと心配だな」と思うような症状になったケースだと考えています。

こういうときに仕事が忙しくない(仕事1条件)のであれば、確実に帰ります。症状によりますが、早退とまではいかないとしても、定時時間で業務を切り上げて帰ります。なので、「家庭」>「仕事」です。

ケース⑤(家庭2×仕事2)

家庭もちょっと心配。仕事もちょっと心配。ここが一番の分かれ道な気もします。

このようなケースでは、私は恐らく、帰ります。これもケース④と似ていますが、「仕事は忙しいかもしれませんけど、すみません、家族も大事なんで」と言って帰ると思います。「家庭」>「仕事」になるかと。

これも症状によりますが、恐らく早退まではしないような気もします。できるなら定時退社しますが、それでも、残業はしないかな。よほど、自分の抱えているタスクが他メンバーの後続作業を止めているとかであれば、キリの良いところまで仕上げてから帰るかもしれませんが。そういった意味では、「家庭」≧「仕事」なのかもしれません。

ケース⑥(家庭2×仕事3)

家族もちょっと心配だけれど、明らかに仕事がオオゴトになっているケース。

その場合は、もちろん残業をしたり休日出勤をしてでも対応はするとは思いますが、これもケース③と同様で、何日も帰れない日が続くのであれば、いい加減仕事のほうを放りだすでしょう。無責任な人間ですみませんが、それよりも家族優先。「家庭」≧「仕事」でしょうか。

ケース⑦(家庭3×仕事1)

家族が重症のケース。事故とか大怪我とか意識不明とか。

誰が何と言おうと帰ります。定時退社を待たずして、早退するでしょう。「家庭」>「仕事」です。

ケース⑧(家庭3×仕事2)

では、家族は重症だけれど、ちょっと仕事が繁忙のケース。

この場合でも、仕事は申し訳ないですが、残業はせずに帰ります。定時までは働くかもしれませんが、家族の症状次第で、やっぱり早退する可能性が高いです。それで評価が下がったりクビになったとしても、もう仕方ないと腹をくくります。

なので、これも「家庭」>「仕事」だと思います。

ケース⑨(家庭3×仕事3)

この問題設定が現実問題で一番厳しいところだと思いますが、それでもやはり、家族を優先して早く帰るのではないかなと思います。

では仮に、自分が原因で大問題が起きていたなら?

それでも、クビになってもいいから、家族のために帰ると思います。それだけ重症なのであれば、どうしても「家庭」>「仕事」になると思います。

マトリクス検討結果

改めて、各条件ごとの組み合わせの際に、優先するものを整理しました。

黒字:同価値 
青字:家庭優先
赤字:仕事優先
太字:最優先 

当然、これは単なる思考実験ですし、現実社会ではこうも綺麗に割り切れない問題も多いでしょうが、一つ、自分にとっての優先順位と言いますか、重要度の指標みたいなものは見えてきたように思います。

結論

私の場合、常に、いついかなる時にも「仕事」を優先するわけでもないという結果が出ました。ただし、家族が少しでも不調であったり、家庭内に問題が発生している場合には、ガクッと「仕事」の優先順位を下げるということも分かりました。

これは、誰がやっても同じ結果になることは当然無いですし、もっと言えば、勤務先・就業先の会社、所属先のチームだったり、職場の人間関係も、大きくこの判断には影響を及ぼすものだということも理解しています。

ただ、上のケース⑧⑨でも書いたのですが、「これ(家庭を優先すること)でクビになっても仕方ない」これが一番、個人的には重要な基準なのかなと思います。

今でこそ、私は働きやすい職場で仕事をしていると実感しますし、その環境に対して大変感謝と言いますか、恵まれているなと有難く思うこともあります。

しかし、以前勤務していた会社では、本当にボロ雑巾のように扱われたり、深夜残業や休日出勤をしても、その手当など一切無く、ボーナスですら薄給の基本給をベースにして驚くほど低い金額で支給されたり、骨折をしても「そんなことはどうでもいい、進捗が厳しいから這ってでも来い」と言われたりするなど、まともな職場環境でないことも多々ありました。

そのような事態において、やはり「それでも仕事を優先しなくては・・」と考えて家族との時間を犠牲にするという考え方もあるでしょうが、最終的には、私にはそう出来ませんでした。長時間労働や精神的な不調を鑑みると、当然、自分のためには、さらに、独り善がりな部分はあるかもしれませんが、やはり家族のためにも良くない状況であると考えていました。

結局、「家庭(自分を含めて)を大事にできないなら、仕事なんてどうだっていい」そういう意思を持って、そのような職場と縁を切った過去があります。なので、最終的には、やはり私にとって大事なのは「家庭」なわけです。

したがって、「仕事」はあくまで「自分やその家族を幸せにする、ほんのちょっぴりの手助けツール」くらいの位置付けです。

結論。

「仕事」も「家庭」も大事だが、敢えて比べるのであれば「仕事」より「家庭」が大事。そういったありきたりな結論になるわけです。おしまい。



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