「ふさわしさ」の話。

突然ですが、note に書くべきではないことって何があるのだろうと思いました。

もちろん、note というプラットフォーム上で振舞っているアカウントのキャラクターの特性に依るところはあると思います。

アカウント名なんかがそのままリアルな世界のそれと結びつく方であれば、下手なことは言えないわけです。リアルで「この人こんなこと言う人なんだ」という評価に直結しますから。家族や友人、勤務先の人たちにとっての評価になる可能性はあるわけです。迂闊に変なことを言ってしまって「こいつ、ヤバ・・」と思われることもあるでしょう。もっとも、その人のキャラクター通りの言動だったりすれば、マイナスの評価にはならないとは思いますが。

では、私のようにリアルな世界と結びつきをしていないアカウントだったりする場合にはどうかと言いますと。そこは当然、家族や友人、勤務先の人たちから見た私と、note 上でアレコレ言っているアカウントのその人とが結びつきはしません。ですから、たとえ、note 上で問題発言や不適切なことを言ったとしても、直接的にはリアルの私としては痛くも痒くもないわけです。

というのは事実である一方で、実際には、note という場での振る舞いには大きく影響は受けることにはなります。つまり、変なことを言えば「この人(アカウント)はイカレている」と評価されますし、心温まるような良いことを言っていれば「この人(アカウント)は優しい」と評価されます。

私のことは「こいつ、屁理屈っぽくて回りくどい長ったらしい文章をいつも書いているヤツ」なのだろうなと思います。自己分析と言いますか、自分のこのアカウントのキャラクターを考えてみても、やっぱりそんなふうなイメージみたいなものを持ってしまうんですよね。

もちろん、そういうことを考えずに好き勝手出来る人も居るかもしれませんが、きっと「この人(アカウント)らしさ」みたいなものにある程度縛られて振舞うことを強いられているような気がするんですよね。「やっぱり下手なことは書けないよな」と。少なくとも私はそう思います。誰に言われたわけではないけれど、自分自身が作り出したキャラクターに縛られていると言いますか。

でもそれは悪いことばかりではなくて、それはそれで「居場所」として確立する手段になると思います。それがモロに発揮される場面は、SNS 上で繋がる友人関係だと思います。他者との交流という点においては、「この人はこういう人だから」という暗黙の認知と言いますか、そういう印象を持っているのだと思います。「きっとこの人はこういうことを言うだろう」そう思うことで、人は人と付き合いやすくなります。それは「安心感」に繋がるからです。

逆に、「こいつは、いつ何をしでかすか分からない」という人物は恐怖です。そういう人と面白おかしく付き合うタイプの人も居るでしょうが、多くの人にとってはそういう人はやっぱりちょっと怖いんですよね。だって、いつ自分が攻撃の対象になるか分からないから。行動が予測できないというのは不安で怖い。危ないヤツと関わりたくない。そういう心理が働くのだと思います。実際私はそう思ってしまいます。

それって実は「匿名性」を笠に着ることで、ある種の無敵モードみたいな状態になってしまうよなとも思うわけです。自分は攻撃されないから、何を言ったっていい。自分の顔や名前は明かされていないから、他人を攻撃したって平気。みたいな。まぁ実際には匿名ではないのでそれは勘違いではあるのですけど、相手から見えないところに自分が居ることで気持ちが大きくなるというのはあるのだろうと思います。

他方で、SNS 上でのキャラクターがあることで、そういう「匿名性」は薄らぐわけです。他のアカウントと頻繁に交流していたり、スキボタンを押し合うような関係であったり、ファンとか推しとかのように憧れる存在があったりすると、やっぱり変なことは言いにくいわけです。「変なヤツだとは思われたくないなぁ」みたいな。

そのうえでですと、じゃあ、言っていいこと(書いていいこと)と言うべきではないこと(書くべきでないこと)って、どのようなことがあるのだろうなと思うのです。

基本的には自由。何を書いてもいい。表現の自由ってやつです。だけど、人を傷つけるようなことだったり、誰かが悲しむこと、不快に思うことは、個人的には書きたくない。これはルールとかマナーとかもあるのでしょうけれど、そういう世界を超えて、単純に、私の思想として、そういうことは書きたくはないと思っています。

ですが、誰にも迷惑をかけないであろうけれども、ちょっと言いにくいことって、あると思うんです。

前置きが長くなりました。

少し前にこういう記事を書きましたが、その続き(というか思考の再燃)です。
https://note.com/furokun/n/nee744f4598fc


上記の記事では「性」について少し頭出しと言いますか、サラッと触れました。

他にも、今ちょっと書きたいなと思っているテーマとして、「政治」とか「良い夫/良いパパ」というものがあるんです。

政治って、人によっては毛嫌いと言いますか、「そういう話題はちょっと・・」ってなりがちだと思います。

実際、私もそうです。リアルな世界では、家族は別として、友人や勤め先の人たちとは、「政治」と「宗教」の話はなるべくしないようにしています。それは、彼らがどのような思想を持っているか分からないから。それによって相手を傷つけてしまう可能性も出てきますし、逆に自分が傷つく可能性も出てくる。長く(そして薄く)関係を続けていくのであれば、それは話さないほうが良いテーマだと個人的に考えています。

しかし、「宗教」は特に胸の内に秘めたものはそこまで無いにしても、個人的には「政治」については少し思うところがあるんです。何か一般的に偏った政治思想とかではなくて(というか偏った思想という時点でなんか変で、思想という時点で何かしらに偏っているのでしょうけれど)、単純に、この世界のことが気になるのです。世界を治めるための政治と言いますか。

単刀直入に、今読んでいる本は、憲法に関する本です。その本の中では、主権ということについて書かれています。主権って何かというと、シンプルに言うと権力であると私は理解しています。じゃあ権力って何のためにあるのかというと国を安定させるためで。暴動とか起きないようにするのもそうですけど、その国に住まう一人一人が自由に行動できるように守る効果もあると思うんです。

少し込み入った話になりますけど、今の日本の主権は国民にあるという考え方が一般的だと思います。国民は主権つまり権力を持っていますけど、でも一人一人が好き勝手なことはできない。他方で一人一人が人間らしく行動できるためには何かしらのルールが必要になってくるわけで。そう考えると、最上位の法規に位置する憲法の存在も考える必要があったり。

よく誤解されがちな話では、憲法で縛っているのは国民ではなくて権力のほうなんですよね。ですから、今後憲法を改正するという場面が来た時に、それって本当に国民じゃなくて権力を縛るものになっているのかの吟味も必要で。そういう観点で、いざ今公開されている憲法改正の草案を読んでいたりすると、そりゃもうやっぱりツッコミどころも多くて・・

とか、色々と言いたいことも多いです。でもそういうのってやっぱりちょっと言いにくいわけです。

他にも「良い夫/良いパパ」というのだって、なんとなく、モヤッとする感じはあるんです。いえ、特にそれに関しては、「悪い夫/悪いパパ」でありたいという気持ちは無いんですけど、それと同じで「良い夫/良いパパ」ともなろうと思っていないと言いますか。

ちょっとその辺りの言葉の裏に「正しさ」とか「ふさわしい振る舞い」とかそういうのがチラついて見えてしまうんですよね。

「そもそも、良い夫や良いパパって何だろう」とか。たとえば「浮気しなくて、バンバン稼いで何不自由ない暮らしができて、子供と一緒に楽しく遊んで、妻のことも愛していて、家事育児もバッチリやって、穏やかで、義理の親も大事にして・・」みたいな。

そりゃそうなんでしょうけれど。でもそれって、そうなろうとしてなるものでもないと言いますか。

実際には、子供を理不尽に叱り飛ばしてしまうとかそういうこともあるし、家のことめんどくさくて何もしないことあれば、結婚しているけどムラムラだってするでしょうよ。「性」ともちょっと結びついてきたりする話ですけど「お父さんはそんな変な話しないよね」みたいな。いや、浮気はしてないですけど、ほんとに。

言ってしまえば、明らかに「悪い夫/悪いパパ」ではないけれども、ちょっと「良い夫/良いパパ」でもないような振る舞いって、日常にはゴマンとあるよなって思うんです。あるいはそういう罪悪感とかも。「こういうこと考えちゃうのは、親失格かなぁ」みたいな。いっぱいあると思うんです。

じゃあ、それを全て潰していくことが大事なのかというと、私にはそうは思えないんですよね。

もちろん、法に反することは当然ダメだと思っていますし、倫理的に悪いことも、良くないですよ(変な言い方ですけど)。でも、ありのままの自分ってこうだよな、ってどこかで認識しておかないと、ちょっと息苦しさを感じるんです。

「良い人でいなければならない」という固定観念を自分の中に植え付けてそれに縛られて、あるべきでない自分には目を伏せてしまうような息苦しさ。でもそうじゃなくて、言ってしまえば「ダメな自分をまず認める」的な。

社会と繋がりを持つ以上、その場面に応じた役割を演じることはやむを得ないと思います。そこでは「正しく」「真っ当な」「ふさわしい」そんな言動が求められます。

だけど、ちゃんと振る舞っているようでも、実は内心は、ちょっとヨソでは言いにくい政治とか、いやらしいこととか、大人げないところとか、ダメダメでどうしようもないところとか、そういうこともたくさんあるんだよ、と。まあ法に触れるようなことはしていないつもりですけど。

求められるイメージにピッタリ合致するような、「ふさわしさ」を裏切る。自由だったらそういうこともしていいのでは、と。たまには。せめてこういう場だからこそ。節度はもちろん大事なのは前提として。

とにかく、どれだけそれを大っぴらにするかは別として、たまにはそういう「らしくない」ことも呟いてみたいなと思いました。まあ別に勝手に言えばいいんでしょうけれど。

なんとなく、そんなことを思いました。結局、全然いつもの感じの記事になってしまいましたけど。おしまい。

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