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自業自得でむなしい気持ちになった話。

何の気なしに、昔の同僚の名前を検索してみました。

すると、彼は現在、とある自治体の役所勤務になっていたようでした。何らかのプロジェクトを推進している人物として、ご丁寧にも顔写真付きのフルネームでサイトに記載されていました。

そっか、会社を辞めたということだけは聞いていたけど、今は公務員になっていたのか。その写真の人物は、遠影ながらも私の記憶の中にある彼の顔と一致しているし、多分本人で間違いないんだろうなぁ。

そう思うと同時に、なんだかむなしい気持ちになりました。

何ででしょう。よく分かりませんが、これが彼は現在起業して大成功して大金持ちになっていたとかだったら、そこまでそのような気持ちにならなかったような気もします。・・いや、なったかな。分かりませんけど。

でもとにかく、公務員というのが、何とも手堅くてそれでいて私にとって何処か羨ましく思えたのでしょう。「そっか、そうだよね。その方が良いよね・・」という気持ちになりました。

私の就いている職業自体が、突き詰めれば専門性はどこまでも高めることができるもので、そのかつての同僚の彼も、大学院まで出て社内でも非常に期待されていたと聞いていたから、なおさらそんなことを思いました。

その彼も、会社を辞めて今は公務員として頑張っている。それだけのことなんですけど「ああ、この世界で使われる側から離れて、彼はもう我々を使う側に回ったんだな」と、少々の寂しさのような落胆のような思いを抱いたのです。

かく言う私も、今や開発専業の会社ではなくて、事業会社に勤めて一部門の中でひっそりと開発業務を担当している身分に過ぎませんので、そういう意味では「使う側」であり「使われる側」の双方の立場と言っていいかもしれません。

しかも、労働環境のホワイトさや安定した経営基盤を求めて、私は今の勤め先に決めた経緯もあります。もしかしたら環境や条件的には、今の彼と似たり寄ったりな部分もあると言えます。

ですが、私の勤め先も安定しているとは言え、役所には敵いません。ですから、公務員という立場で、潰れることのない環境で安定して働くことができるということに私は魅力を感じているのかもしれません。

「だったらお前も最初からその道を目指せばよかっただろう」

そういう思いもあります。

実際、私が大学に進学し、その時はまだ生きていた父親に対して進路の相談と言いますか、就職先の検討みたいな話をした際に、このようなことを言われました。

「民間企業で働くなら、お前に営業職は向いていない。公務員になったほうがいい。安泰だから」と。

父は、最終的には一部上場企業に勤める機械系エンジニアでしたが、もともと大学を出たら公務員になるつもりでいたようです。知り合いの名士(?)に口利きしてもらい、地元の市役所に勤める予定だったそうです。

ですが、大学卒業間際になって、突然その人物から「その話は無しで」とご破算になり、やむなく就職先を探したと聞きました。やっと見つけた工場は、勤務して数年で経営が悪化し、倒産。ですが、倒産寸前で、就職活動を開始して沈みかかった船から逃れることにしました。その際、父は専攻だった化学系ではなく、機械系の仕事がしたいと一念発起し、猛勉強の末やっとの思いで一部上場の企業に入社することができたとのこと。

そういった経緯があるからでしょうか、倒産も無く、安定して仕事ができる(であろう)公務員に憧れのような思いを父は抱いていたのかもしれません。そして、自分のような思いはさせたくないと、息子である私にもそれを勧めていたのかもしれません。

奇遇にもと言いますか、私が進学した大学・学部では、なぜか公務員になる人が多く居ました。実際、大学時代の知人や友人、先輩には、県庁だとか市役所、国家公務員を進路として希望し、卒業後にその通りの進路に進む人も居ました。

ですから、私も、そのような進路を狙おうと思えば、狙えたのかもしれません。いやまぁ頭の出来はともかくとして、可能性の話ですけど・・。

ですが、当時の親に対する反発の心とか、他に就きたい職業があったことから、当時の私は「そんな道に進むつもりはない」と親に断言したのを憶えています。

そして、在学中も、とある自治体の県庁所在地の役所に勤めていた経験のある OB の方からも、こんな話を聞く会もありました。

たとえ市役所といえども、配属される部署によって当たりハズレは普通にあるし、毎日定時上がりのところもあれば、酷いところだと深夜労働で残業代も満額は出なくて、なかには過酷すぎる就業環境のために自ら命を絶つ人も居たと。せっかく部署に馴染んでも数年でローテーションされて全く別のキャリアをゼロから積み上げるという必要もある、とも。

つまり「公務員だからと言って、そこまで安泰というわけではない」と。

そのような話を聞いて、私は「だったら民間企業とそう変わらないじゃないか。安泰だけを求めて公務員になろうとするのは違うな」という感想を抱きました。そして「それなら自分でやりたい仕事をやって経験を積んで、どこの組織でも通用できるようにしておく方がいい」と考えるようにもなりました。

余談ですが、その OB の方は、役所に勤務しながら独学でも勉強を進めて、専門職の資格を得て、結果、まったく別の進路に転換したとのことでした。そういう話も、もしかしたら私の進路を決めるうえで影響があったのかもしれません。

閑話休題。

そういった経緯で私は自分の意志で、公務員にはならずに、今の職業に就いたという自負があるつもりでした。

ですが、最近では、担当している仕事の内容やそれに対する自分自身のパフォーマンスを見ていると、何だか「これで本当に良かったのだろうか」という思いも、頭をもたげてくるわけです。

どうせ、たいしてやりたいとは思えない仕事をするくらいなら、そして安定的な働き口だけを求めるなら、公務員になったほうがまだマシだったんじゃないのかなと。・・現職の公務員の方に対してはすごく失礼な話ですけど。

もちろん、公務員であってもワクワクするような仕事をしている、そんなケースも耳にしています。

実際、大学時代の同級生の現在を聞くと、そういう仕事をして活躍している人も居ました。ですから、公務員だからと言って一概に仕事がつまらないということは無いのだと理解はしているつもりです。

反対に、民間だからどの会社も刺激的な仕事ができるというのも、有り得ない話であるのと同様ですが。

けれども、何だか、私の中で「敢えて選ばなかったつもりの選択肢に、今更魅力を感じている」という事実を認識してしまって、さらに今更逃した可能性に思いを馳せるそんな自分に対して、惨めな思いを持ってしまったのです。

みっともねえなぁ、って。まぁ自業自得ですけれど。

それから、こんな思いもあります。

かつての同僚は、この勝負から降りた。この不毛で実りの無い、まるで綱渡りのような下支えの日々をひたすら耐えなければならない、精神をすり減らすような世界を離れ、まったく別の世界で活躍をしている。

実際、彼がどんな思いで転職をして今どのように過ごしているのか確かなことは分かりはしないんですけど、それでもこの世界とは違うところで生きていて、もう同じ立場で物事を見ることが出来ないというのは事実としてあるのです。

でも、それなら、私だってこんな燻った状態でウダウダ不満や愚痴や昔話にこだわっているのなら「この世界で戦っている」なんて偉そうに言えるのだろうか。それ以上に勝負の土俵からは遠ざかっているのかもしれない。もしかしたら私の方こそ、逃げているのかもしれない。

と、そのようなことを思いました。

あーあ、知人の名前なんて検索するんじゃなかったな。遠い世界に行ってしまったという事実を見せつけられて、勝手にこちらが劣等感を抱くしか無いんだから。

それにしても、最近ちょっとまた、他人と自分とを比べてしまう悪い癖が出始めている。自信も、そして誇りも無く、日常が充実しているとは言えないからなのでしょう。これではいかんなぁ。そろそろ年も明けるので、少し、マインドチェンジして行こうと思います。おわり。

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