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本音とノイズの話。

note という場は、居心地が良いです。
でも、現状ちょっと懸念もあります。

その話をする前に、少し脱線させてください。

私には何か日常的にネット上で情報収集するような習慣は無いのですが、匿名ブログ(何処とは言いませんが)はよく閲覧します。

申し訳ないですが実にしょうもない内容も多いですけど、多くの読者に読まれているエントリなんかは、やはり読み応えがあるんですよね。

それは何故かと言うと、それらは本音が丸出しだからだと思うんです。

本音って、本当は誰もが持っていますけど、あまりそれを表には出さないですよね。出してしまうと人格が疑われるような類のものを持っていたりする場合もありますし。

もちろん気にせずどんどん本音を曝け出せる人も居るでしょうが、私には無理です。リアルな世界では特に。「本当のことを言って嫌われてしまうかも…」という恐怖が勝ってしまって。それでもどうしても本音を言わねばならない場合にはできる限りオブラートに包んでお届けするようにしています。

それが、ネット上だと少し状況が変わりますよね。

たとえば自分の正体を明かす必要の無い匿名ブログのような場では、色んな人が好き勝手なことを言っています。人を傷つけるような言葉は言語道断ですけど、スパッと本題に真っ向から切り込まれた意見なんかは、私も読んでいて「おお、なるほど。そういう視点があるのか」と感嘆することもあります。

ただ、その反面、それはあまりに強すぎる言葉だったりもします。歯に衣着せぬ本音ゆえの切れ味の鋭さ。

じゃあ、note はどうなのか。note においても、匿名ブログと同様、本名などの個人情報を晒さなくとも好きな意見は書けるはずです。

でも、少なくとも私は、あまり強い言葉は使いたくないです。そして本音ももちろん書きますけど、丸裸の状態で産み落とすこともしたくないです。何らかのオブラートに包みたいのです。

なぜなら、多少なりともフォローし合っている間柄の人たちは、私にとっては好意を持っている人なので、強い言葉を使ったことによって誰かを傷つけるようなことはしたくないためです。ぶっちゃけ、自分の記事を読んでくれている人にも嫌われたくないという気持ちがあります。

その結果、何を言ってるんだか他人からすればよく分からないような文章がツラツラと並んでいくわけです。

それでも私には、これがちょうど良い。この状態が心地良い。私の記事を読んでくださる人が居たとして、万が一にでもその文章のなかから真意を見つけてくれたり、あるいは何かしらの共感を持ってくれたりすれば、それだけで書いた甲斐があるというものです。

逆に、私の記事を「つまんね」とか「嫌いだわ」と思っていただいても全然構わないのですが、その場合はそっと踵を返して立ち去っていただきたいとも私は思っています。別にケンカしたくて私はここで文章を書いているわけではないのです。つまり、興味無いなら嫌いなら読まないでいいです、と。

ところが、匿名ブログを読んでいると、そうはいかない人たちも多く居ることに恐怖を覚えます。

誰かが書いたエントリやつぶやき、ひいてはここ note で書かれた記事に対して、否定的な言葉が並び、どうしてそうなるのか私には理解できませんが、それを書いた人に対して異常なまでの人格攻撃までされるケースもあります。それを、同じようにネガティブな評価をする人たちが寄ってたかって叩きまくるわけです。

まるで、さらし上げ、です。

インターネット上に何かしら個人の意見や思想を表現するというのは、全世界の人目には触れるということを意味することは理解しています。賛否両論とか、有名税とか、表現の自由とか、そういった側面はあるのでしょう。

しかし、自分の価値観と合わないというだけで、まるで人を人とも思わないような言葉遣いで徹底的に攻撃する様を見ていると、どうにも悲しくなるとともにいつ自分がその被害に遭うかと思うと不安に苛まれます。

たまたま、誰かの目についた文章がさらし上げられ、本人の意思とは無関係な方向に議論が沸き起こったりして、本人の知らないところで勝手に「良い」「悪い」の評価が大量に下される。リアクションせずには居られないのでしょう。合わないと思っても無視できない、スルーできない。「その考えは間違ってるんだ!」と対立意見をぶたないと気が済まない。

匿名ブログを閲覧していると、そういうのばかり目にするのです。

私にはそれが耐えられない。イジメと似ているかもしれません。誰かが一つの方向を示したら、大多数がそれに乗っかって袋叩きにするような構図。

正直に言って、私は嫌です。不快です。

もしかしたら私がこうして書いている文章が、誰かの琴線(もしくは逆鱗)に触れて「そうだ!そうだ!」とか「いいやそれは違う!おかしい!」とか、そういう評価の渦を巻き起こす可能性もあるかもしれません。

もし、そうなったら、私は note という場で書くことをやめると思います。そうまでして、自分の心を削ってまでネット上で文章なんて書きたくはないからです。私にとってはリアルな日常生活のほうが明らかに大切です。

note というコミュニティを居心地が良いと感じる反面、だんだんと人口が増えていってそこに注目する人たちが多くなればなるほど、そういうケースが起こる可能性も上がっていることを私は懸念しています。

現状、何か私自身そういった被害は無いですけど、ちょっとそういう怖さを感じています。いつ自分がそういう目に遭ってもおかしくないなと。対岸の火事でないかもしれないと。まあこんな弱小アカウントに目をつける人も居ないでしょうけれど。

とにかく、ネット上だから匿名だから、誰が何を言ってもいいわけではないと私は思います。本音を吐き出す場はたしかに大事ですけど、意見と人とは分けて考えないと、生身の人間の生命に関わる事態になりそうな気がしているのです。その画面の先に、血の通った生きた人間が居るんですもん。人工知能でなければ。

最近は、少しネット上で何かを表現するのが少し及び腰になっています。と同時に、丸裸の意見とそれを取り巻く状況を見るにつけ、心がすり減る感覚もあります。

こんな言い方が適切か分からないですけど、ノイズなんです。私にとって、そういう心を乱す情報は。

だからこそ、そんなノイズは可能な限り遮断して反応しないほうがいいんだろうと思います。なかなか難しいんですけど。ネットとリアルの境目が曖昧になりつつある現代社会だからこそ、そこは意識していきたい。じゃないといつか壊れる。結構本気でそう思います。おわり。

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