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日本が初めて世界戦略に加担した時代を描いたSHOGUNの時代背景が面白い

スペイン無敵艦隊の登場

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ウイリアム・アダムス(三浦按針みうらあんじん)が日本にたどり着いた時代は、日本が初めて世界大戦と縁を持った時代である。「SHOGUN」は、そのような時代を背景として描かれた史実的な物語である。

当時の欧州は世界を支配するための競争に明け暮れた大航海時代である。その主役はポルトガルとスペインであった。アダムスが生まれたイギリスは、この時点では、新興国にすぎず、海賊となってスペインの富をかすめ取る程度のことしかできなかった。そこで、造船や航海術を学んでいたアダムスは、オランダの船員と仲良くなり、オランダ東インド会社の船員として航海に臨んだ。

一方、ローマ教皇は台頭してきたプロテスタントに対抗する意味もあって、他の領土への布教活動を支援していた。その中心的な存在が強固なカトリック教国であるポルトガルとスペインだった。

大航海時代の先鞭せんべんをつけたのは、アフリカ西海岸進出に成功したポルトガルである。その後を追ったのがスペインだったが、ポルトガル王セバスティアンがモロッコ遠征に失敗し、戦死したために王朝は断絶した。

その間隙かんげきを縫って、スペインのフェリペ2世が王位継承権を主張して軍隊を派遣し、やがてポルトガルを併合した。これによってその領土は全世界に及び、その艦隊は「無敵艦隊」と呼ばれるようになった。そして、遂に日本にその毒牙を向けることになった。

スペインの日本における戦略は、カトリック教を布教させて、日本人を精神的に支配し、さらに、日本の軍事力を利用して中国(みん)に進出し、その莫大ばくだいな富を収奪することにあった。

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ここで笑える話を一つ覚えていただきたい。それは宣教師たちがイエス・キリストではなく、デウス(ゼウス)を主神と唱えていることである。デウスとは何者か。デウスは、ギリシア神話の主神たる全知全能の存在である。呆れる話だ。なぜなら、デウス(ゼウス)は神話上の架空の神にすぎないからである。

しかも、その息子であるアポロ(アポロン)の名を冠されたローマ皇帝は、『ヨハネの黙示録』において、滅亡を予言されている。現実に、彼は追い詰められて、泣きながら、思い切りの悪い自殺を遂げている。つまり、スペインが布教したキリスト教とは、実は、「なんちゃってキリスト教」だったのだ。誰も知らないかもしれないけど、これは事実である。

『古事記』に出現を預言されていた織田信長は最強の人物

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しかしながら、当時の日本は、日本史上最強を誇る織田信長と豊臣秀吉、徳川家康が君臨していた時代だった。『古事記』に、こう記されている。「ヤマトタケルが最後に妻としたのは尾張国造おわりこくぞうの娘である」と。これが誰を暗示した預言的な神話であるかは、今となっては、誰にでもわかる話だ。

つまり、尾張の国の豪族がヤマトタケルというと縁を結ぶと告げられているわけである。そして、ヤマタノオロチを倒したつるぎ天叢雲剣あめのむらくものつるぎである。神話とみなされてはいるが、これはヤマタノオロチ(八岐大蛇)を倒したつるぎである。

そこに秘められた意味は、武力でもって四方八方を敵に回し、天(天下統一)の妨げとなる叢雲むらくもをなぎ散らすと読める。ちなみに、叢雲とは天の光をさえぎる群がり集まった雲のことである。

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尾張の国に生まれた信長は文字通り、四方八方を敵に回して、遂に天下統一の礎を築いた。彼こそが、預言された「日本の王」である。天に選ばれた最強の人物である。秀吉、家康も同じ流れにあるからには、彼らの洞察力は尋常ではなかった。

この三人は、いずれも、スペインが布教を通して日本侵略を画策かくさくしていることを見抜いていた。しかし、信長は布教自体を禁止しなかった。なぜなら、信長はスペインを利用して軍事力を高めようと考えていたからである。

その最大の狙いは火縄銃の銃弾の原料となる「鉛」の入手だった。信長が使った銃弾の鉛はタイ産であったことが判明している。つまり、鉛を大量に入手するにはスペインの艦隊が必要であったことになる。そこで、大事の前には小事を犠牲にしてもやむをえないとして、布教を認めたにすぎない。後に、秀吉も家康もキリスト教の布教を禁じている。

しかし、「なんちゃってキリスト教」にもかかわらず、多くの人がキリスト教に改宗した。今でもそうだけど、異国の宗教にたぶらかされる日本人ほど情けない者はない。彼らは侵略者の手先と化した売国奴たちだからだ。実に情けないが、その数は無視できないほどに多い。現在においても。

戦国の時代でさえ、多くの大名がキリシタンとなっていた。秀吉は、スペインの誘いに乗ったような形で、明攻略の足掛かりとして朝鮮半島に兵を送った。しかし、その狙いは、キリシタン大名の力をぐことにあった。黒田長政、小西行長。他に、宇喜多秀家、福島正則、小早川隆景、毛利輝元、森吉成、加藤清正などが、それぞれ部将として、朝鮮全域に派遣された。

江戸時代には禁教令が出され、秀吉に改易されながらも最後まで棄教を拒んだ高山右近はマニラ(フィリピン)に追放され、有馬晴信は刑死し、以後キリシタン大名は存在しなくなった。しかし、最後の最期に、キリシタンを核とする乱が勃発した。それが島原の乱である。

引用元:上天草市

島原はキリシタン大名である有馬晴信の所領で、領民のキリスト教信仰も盛んであった。その有馬氏が転封となり、代わって松倉重政が入封した。重政は江戸城改築の公儀普請役を受けたり、独自にルソン島遠征を計画して先遣隊を派遣したり、島原城を新築したりしたために領民から年貢を過重に取り立てた。

また厳しいキリシタン弾圧も開始、年貢を納められない農民や改宗を拒んだキリシタンに対し拷問と処刑を行った。次代の松倉勝家も重政の政治姿勢を継承し過酷な取り立てを行ったために反乱が起きた。反乱勢がキリスト教を結束の核としていたことから、江戸幕府は、この反乱を「キリシタンの暴動」と定め、キリシタン弾圧の口実に利用した。

日本では、「キリスト教は布教されなかった」という説があるけど、それは当然のことである。もともとが、なんちゃって系だし、異人たちによる支配のツールでもあったし。だから、為政者たちは「キリスト信徒たちは侵略者の手先となって踊らされた愚かな民」であるとみなして、容赦のない処分を課していった、ということである。

オランダの台頭

nippon.com オランダ東インド会社からみた近世海域アジアの貿易と日本

さて、西の世界ではスペインが覇権を握ったが、これに対抗する国が現れた。それがスペインの属国に甘んじていたオランダである。オランダは東インド会社を設立したように、布教をメインとしたスペインと異なり、経済での世界進出を試みていた。そして、スペインに対抗するために目をつけたのが日本であった。

オランダが日本を選んだのは、一つに大量に銀を産出する国だったからである。日本は、少なくとも、オランダが必要とする銀をすべてまかなえるほどの産出量を誇っていた。オランダはこの銀でスペインに対抗しようと考えていたわけである。もう一つは、日本のすぐれた軍事力である。

実際、家康が大阪の陣を制したのち、不要となった浪人たちを傭兵として活用し、スペインの陣営(砦)を撃破している。もちろん、武士たちの出国は家康の許可を得ている。傭兵たちは、火縄銃の他に刀と槍を持っていた。日本には銅や鉛が不足していたが、鉄を鍛える技術:鍛造たんぞうには精通していた。

つまり、日本武士たちの刀と槍はスペイン兵やオランダ兵たちのそれらより秀でていた。さらに、当時の武士たちの腕力と脚力は現在の日本人と比べ物にならないほど強靭だった。

女性でもかつげるようにと米俵の重さは60㎏に定められていたので、男なら100㎏程度は問題なかったかもしれない。足も強靭で女性でも1日40㎞ほどは平気で歩いていた。

日本の傭兵は強く、オランダと協力して、至るところでスペイン軍を撃破していったため、スペインのアジア植民地は全てオランダの領土に塗り替えられた。

ちなみに、傭兵たちの月給は、日本円に換算して7万円から8万円とオランダの資料に記されている。戦国時代の武士たちの年収は50万円ほどだったと言われているので、戦乱が終わって仕事がなくなった武士にとっては、良い稼ぎの場になっていたと思われる。

日本における戦国時代の最終決戦は大阪の陣であるが、このときは、スペインが豊臣家を支援し、オランダが家康にくみしていた。そして、最後の決着は大阪城を破壊したオランダの最新鋭の射程距離500m以上を誇る青銅製大砲(カノン砲)によってつけられた。家康は大砲一門につき、銀貨で1万2千枚支払ったとされている。なにはともあれ、家康が勝利してよかった、よかったという話になる。

信長、秀吉、家康の英傑たちとは比べ物にならない現在の日本の政治家ですが

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戦国の覇者たちに比べて、現在の岸田総理は・・・、という声も聞こえてくるかもしれない。主に、増税と移民政策の二点から猛批判を浴びており、支持率は25%、5か月連続の2割台という人気の低さで、「岸田総理を支持する」といえば、「何を血迷っているのか、どこかいいところがあるのか」と鬼の首を取ったかのような勢いで批判されると思いますが、誰も期待しない低支持率のおかげで、何の忖度もなしに思い切ったことをやってのけている可能性もある・・・。

第一の功労は、反日韓国の完全拒否です。一切援助しないという強固な態度は称賛に値するのではないでしょうか。こうした頑迷なほどの韓国拒絶は、彼が2期に及ぶ外務大臣の時代に受けた、理不尽すぎる掟破りの数々に堪忍袋の緒が切れたからという説がありますが、これは彼でないとできない対応かもしれない。

第二は、派閥解消に向けた英断です。現職総理が、自民党派閥の政治資金問題を巡って開かれた政治倫理審査会に、史上初となる出席を果たし、弁明及び答弁を行ったことは凄いことです。

結果として親中、親韓の帰化人政治家、反日売国議員の親玉である二階俊博氏を引退に追い込んだわけですから、岸田総理は、最低評価を覆すほどの働きを見せたと言えるかもしれません。残る最大の売国奴は超媚中、媚韓議員の河野太郎氏です。彼をどのようにしたら葬り去ることができるのか。ここが、これからの問題になるでしょう。

yahoo!japan
glarity 孫正義氏も絡んでいますよ

さて、現在の日本は戦国時代のそれに似ていなくもないと言えます。当時の日本の人気は銀の産出と軍事力ですが、銀の産出という魅力を日本文化の魅力に置き換え、軍事力をエネルギーと半導体の新機軸とみなせば、現在の日本は戦国時代の日本と同様に、世界に訴える、或いは世界から争奪戦を繰り広げられるに値する魅力を備えているとみなされます。

問題は、「新しいスペインとオランダはどこか」ということです。必ず、「日本を侵略しょう」と手ぐすね引いて待ち構えている国と日本を利用して、或いは活用して、敵に対抗したいと考えている勢力があるはずです。その国とはどこか?それがこれからの問題となります。その問題は、続きの記事で。







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