ドイツが第二次世界大戦で負けた理由

1. 三国同盟の連携不足

日本とドイツ、イタリアは連携が取れていたとは言い難い。三国同盟は、軍事的な協力や戦略的な調整にはほとんど役立たなかった。以下に、その理由をいくつか挙げる。

  • 三国同盟は、日本とドイツとイタリアのそれぞれが自国の利益を優先するために結ばれたものであり、共通の目的や理念を持っていなかった。日本はアジア太平洋地域の支配を目指し、ドイツはヨーロッパとソ連の征服を目指し、イタリアは地中海とアフリカの支配を目指していた。三国の間には、領土や資源、市場などの競合や対立もあった。

  • 三国同盟は、アメリカが第二次世界大戦に参戦するきっかけを作ってしまった。→理由2

  • 三国同盟は、戦争の指揮や情報の共有において不十分だった。日本とドイツとイタリアは、それぞれの戦線で独自の作戦を立てて行動し、他の同盟国との調整や協力をほとんど行わなかった。例えば、ドイツは1941年6月にソ連に対して攻撃を開始した(バルバロッサ作戦)が、日本には事前に相談せず、日本はソ連との国境紛争(ノモンハン事件)の経験からソ連との戦争を避けることを選んだ。また、日本は1941年12月にアメリカに対して攻撃を開始した(真珠湾攻撃)が、ドイツには事前に相談せず、ドイツはアメリカとの戦争を望んでいなかった。

以上のように、日本とドイツとイタリアは、三国同盟によって連携が取れていなかった。三国同盟は、各国の利害の不一致や戦略の不調和、情報の不共有などによって、効果的な同盟とはならなかった。三国同盟は、第二次世界大戦における枢軸国の敗北の一因となった。

2. アメリカの参戦

アメリカは1941年12月7日に日本の真珠湾攻撃を受けて第二次世界大戦に参戦した。この攻撃により、アメリカは太平洋戦線で日本と戦うだけでなく、日本と同盟を結んでいたドイツとイタリアにも宣戦布告を行った。これにより、第二次世界大戦はヨーロッパとアフリカだけでなく、太平洋にも拡大した。アメリカは、その強大な経済力や軍事力を発揮して、イギリスやソ連などの連合国に対して物資や武器の援助を行い、自らもドイツや日本との戦闘に積極的に参加した。アメリカは、ドイツの空爆や上陸作戦、日本の島々の奪還や原爆投下などで、連合国の勝利に貢献した。

アメリカの参戦はドイツにとって大きな影響を与えた。アメリカの参戦によって、ドイツは以下のような問題に直面した。

  • アメリカは、その強大な経済力や軍事力を発揮して、イギリスやソ連などの連合国に対して物資や武器の援助を行った。これにより、連合国の戦力は増強され、ドイツの戦争遂行能力は低下した。

  • アメリカは、ドイツの空爆や上陸作戦などで、枢軸国の敗北に貢献した。特に、1944年6月のノルマンディー上陸作戦は、西部戦線での連合国の反攻の始まりとなり、ドイツ軍は二正面作戦に追い込まれた。

  • アメリカの参戦は、ドイツ国内の政治や社会にも影響を与えた。アメリカの宣伝によって、ドイツの敗北は不可避であるという認識が広まり、ドイツ国民の士気は低下した。また、アメリカの民主主義や自由主義の理念に触発されたドイツの反ナチス勢力は、ヒトラー暗殺計画などの抵抗活動を行った。

以上のように、アメリカの参戦はドイツにとって致命的な打撃となり、最終的にはドイツの敗北につながった。

3. ソ連への侵攻の失敗

ドイツは1941年6月にソ連に対して攻撃を開始した。しかしソ連軍は1941年末から反攻に転じ、ドイツ軍を次々と撃退していった。ドイツは作戦を優位に進められず、1945年4月にはソ連軍によりベルリンが包囲され、ヒトラーは自決した。

ドイツのソ連侵攻が失敗に終わった理由は、複数の要因が絡んでいるが、主なものとして以下のようなものが挙げられる。

  • 作戦目標の不明確さ:
    ドイツはソ連侵攻作戦「バルバロッサ」を策定する際、ヒトラーと国防軍の間に重大な見解の相違があった。ヒトラーは南部ロシアの資源地帯を奪取することを重視したが、国防軍は首都モスクワを攻略することでソ連の政治・経済・軍事・心理のすべてに打撃を与えることを優先すべきだと主張した。しかし、この対立は解決されず、作戦目標はあいまいなままにされた。その結果、ドイツ軍は戦線を三分割して進撃し、各方面で目標が異なるために連携や協力が不十分になった。また、ヒトラーはしばしば作戦指揮に介入し、戦況に応じて目標を変更したため、ドイツ軍の戦略は混乱した。

  • 準備不足と兵站の問題:
    ドイツはソ連との戦争を短期決戦と考えており、長期戦に備えていなかった。ドイツ軍はソ連の抵抗がすぐに崩壊すると確信していたため、冬季装備や補給物資などの準備が不十分だった。また、ドイツ軍は長距離の進撃に伴って兵站線が延び、補給が困難になった。ソ連の鉄道や道路はドイツの規格と異なっており、改修に時間と労力がかかった。さらに、ソ連のパルチザン(ゲリラ部隊)や空襲によって補給路は妨害された。これらの要因により、ドイツ軍は燃料や弾薬、食料などの不足に悩まされ、戦闘力が低下した。

  • ソ連の抵抗と連合国の援助:
    ドイツはソ連の戦闘力を過小評価しており、ソ連軍がドイツ軍の強打を吸収し、持久戦に持ち込むことができるとは予想していなかった。ソ連軍はモスクワやレニングラード、スターリングラードなどの重要拠点で激しい防衛戦を展開し、ドイツ軍の進撃を食い止めた。また、ソ連軍はウラル山脈やシベリアなどの奥地に工業施設を移転し、戦車や飛行機などの兵器生産を続けた。さらに、ソ連はイギリスやアメリカなどの連合国から物資や武器の援助を受け、戦力の回復に成功した。ソ連軍は1941年末から反攻に転じ、ドイツ軍を次々と撃退していった。

以上のように、ドイツのソ連侵攻は、作戦目標の不明確さ、準備不足と兵站の問題、ソ連の抵抗と連合国の援助などの要因によって失敗に終わった。ドイツのソ連侵攻は、第二次世界大戦の最大の転換点となり、ドイツの敗北につながった。

まとめ

他にもイギリスの抵抗やイタリアの早期降伏など、さまざまな要因が存在するが、ドイツが第二次世界大戦に敗れた理由は ⑴三国同盟の連携不足 ⑵アメリカの参戦 ⑶ソ連への侵攻の失敗 の3点にまとめられる。

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