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フリカツday58 相手の想いと自分の想い

おはようございます。
今日は1月12日のフリカツについて、
書いていきたいと想います。

この日は、二人の仲間が
紹介してくれました。
二人とも旦那さんとの関係性での
氣付きをシェアしてくれたました。


一人の仲間は、
旦那さんとお出かけ中、
正直疲れてしまっていたとのこと。
だけれど、旦那さんの計画はまだ途中。
自分の「帰りたい…」という想いを伝えるか、
それとも、我慢して旦那さんに付き合うか…。

誰もが経験したことのある話では
ないかなと想います。

わたし自身もよくあります。
帰ってからのことまで考えると、
「あまり無理はしたくないな…」とか。
時間的にも、体力的にも、気力的にも、
「余裕を持って帰りたいな…」とか。

そんなことを考えはするものの、
旦那さんの気持ちを考えたり、
一度立てた計画を覆したりするのは、
やっぱりエネルギーがいること。

そして、正直なところ、
予定を変えるの方が面倒なのが勝り、
頑張って無理をして予定通りを決行し、
疲れ切ってしまってイライラ
して過ごす。

これ、わたしのあるあるパターンです。

本当に悪循環ですよね。
旦那さんからしたら、
「言ってくれたらよかったやん」
ですよね。
でも、「言えないんだよ…」と
想っていたけれど、違う。
自分でちゃんと《言わない》を
選択
しているんですよね。

言わずに自分が我慢する方が
楽だから

身体は嘘つかなくて疲れるけれど、
心はごまかしてしまっている。
当たり前のように。

そんなんじゃ、自分の中の自分は
わたしを信用してくれなくて当然だよな
と感じた仲間のアウトプットでした。

仲間は、この時に、自分の正直な気持ちを
勇気を出して、旦那さんに伝えたそうです。
旦那さんは、寂しそうな顔をしたけれど、
結局、帰ってからの体力まで残して
過ごすことができていたとのこと。

仲間もこのことからの氣付きとして、
もっとゆとりをもったスケジュールの
組み立てが必要だったと話していました。

改めて、何をするにも
《余白》って大切
だなと感じました。

時間的な余白。
心の余白。
体力的な余白。

これがあることこそが、
自分を整った状態で保てていると
言えるのではないかなと感じました。

整った状態でないと、
自分のことも人のことも大切になんて
することはできない
です。

だからこそ、改めて、
多角的な《余白》を意識して選択をすること
こそが、どんな過ごし方をしていくかの
鍵となるのかなと感じています。


アウトプットしてくれた仲間は、
フリカツを通して、そこにすぐに
氣付くことができていました。

自分の中のモヤっとしたことを、
そのままぼやかさずに、
何に違和感を感じていて、
どんな姿で次回過ごしたいのか、
そのためにはどんなことを意識していくのか、
そこを整理して、試行錯誤を重ねる仲間を
心から尊敬します。

わたしは、
「自分ががんばればそれで済む」
をいう自己犠牲のような言葉で、
事実と向き合うことから逃げていた

と改めて痛感します。

事実と向き合えば、
自分が試行錯誤して試したことが
上手くいかないこともあるし、
相手には受け入れてもらえないこともある。
それを恐れていたんだなと感じました。

上手くいかないことも、
相手に受け入れてもらえないことも、
自分が悪いのでも、相手が悪いのでもない

ただ、この場合は意見や想いが違った
というだけ。それに氣付くことができただけ。
氣付いたら、また違う手段を考えたら良い。

それこそが、私が目指す《軽やか》
だなと感じました。

旦那さんといえども他人。
自分と旦那さんの意見は
違う事が多いし、
生まれ持ったものも、生きてきた環境も
これまでの課程も全てが違うのだから、
それが当たり前。
なんだけれども、つい、
同じ方向を向いて、同じ手段をもって
歩んでいきたいと想ってしまいがち。
(わたし自身は)

違っていて当然だし、
違うからこそ学びがあるし、
違うからこそおもしろい。

旦那さんに対してだけは、
この視点に欠けてしまうわたし。

感情が入るし、甘えもあります。
そして、同じでなければならないという
固定概念も。

最近のわたしのテーマ
《どっちでもいい》《どっちもいい》
の視点を忘れずに、
旦那さんとのコミュニケーションも
深めていきたいと想う2023年です。


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最後まで読んでいただき、
ありがとうございます。    EMI

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