脚折雨乞を見に行きました
八月上旬、埼玉県鶴ヶ島市に、江戸時代から伝わる雨乞いの行事・
「脚折雨乞(すねおりあまごい)」の見学に行った。
脚折雨乞は四年に一度行われるが、前回はコロナの影響で中止になり、今回は八年ぶりの開催。地元の男性による数百人の担ぎ手が、巨大な龍蛇を担いで神社から雷電池までの約二キロの道を練り歩き、雨乞いをする。
龍蛇の長さは約三十六メートル、重さは約三トンある巨体なもので、孟宗竹や麦わらを使って作られる。ちなみに、毎回夏季オリンピックの年に行なわれるが、オリンピックとは関係なくそうしておけば皆忘れないだろうと近年このように設定されたとのこと。
正午、行事が行われる雨乞白髭神社の境内は、水色の半被を纏った担ぎ手や見学者など、多くの人で溢れかえっていた。巨大な口を開け、ギザギザの歯を覗かせた龍蛇が神社の横に置かれていたが、まるで特撮のような大きさと迫力に驚く。
龍蛇は出発前に祈祷などの儀式が行われた後、入魂の儀により魂が入れられて龍神となる。十三時頃に神社を出発。快晴となったこの日も気温は三十五度を超え、少し歩いただけで汗だくになる。
ゆっくり進む隊列の横について歩いたが、間近で見る龍蛇が大すぎて、暑さもあいまってまるで幻覚を見ているような気分になる。とにかく、人生初めて見た光景なのは確か。龍を覆った竹の葉が美しく、さらさらと目に涼しく、少し暑さがまぎれたような気がした。
龍蛇の製作は、約一年前から準備を始める。竹も麦も地元で用意し、麦わら作りは種蒔きから始める。材料が揃った後の組み立ては、祭り直前の二日ほどで仕上げるという。
ちなみに龍蛇は、前方の方が重いらしい。担ぎ手は年齢も雰囲気もさまざまで、逞しく体力がありそうな人も多かったが、それでもなんとか凌いでいるような印象。重たさと遮るものがない直射日光がかなりこたえているようだった。顔が真っ赤になっている人も多く、中盤を迎えた頃、前方の担ぎ手の一人が、熱中症のため救急車で搬送されていた。労わるような拍手で送られていたので、それほど深刻な状態ではなかったのだろう。
二時間ほどかかってようやく雷電池に到着。龍蛇が池に入る頃から急に空が曇って雨模様に変わり、雨乞いの霊験を感じた。池の冷たい水に浸かり、暑さから解放された担ぎ手の苦渋の表情がやっと緩む。
池の中を回って雨乞いを行った後、龍蛇は解体される。担ぎ手が威勢よく龍蛇の角や目、頭の飾りなどを取り、麦わらを抜き取って投げる。この「龍蛇昇天」により、龍蛇の魂が天に返される。
担ぎ手は、龍蛇の装飾品や麦わらを縁起物として持ち帰る。特に角や目、頭の飾りは人気で競って取り合う。観客も各自、麦わらを拾い持ち帰っていた。私も少しもらってきた。
炎天下の行脚をこなし、一年かけて作ったものを潔く壊して天に返す。
なんだか抑揚があってよい。我慢と試練の時間が長いが、最後に花火が打ち上げられるようなパッとした高揚感と華々しさで夢のように散って終わる。そのカタルシスが気持ちよくて、見たあと本当にすっきりした。
これこそ祭り!!という爽快感がある、参加して楽しい行事だった。
文化人類学者の中牧弘允先生によれば、面や衣装、道具など祭りの装束を行事が終わると跡形もなく壊すことが来訪神の本来の定義だという。
行事に使う面や道具を作るのは大変で、技術者の高齢化や人手不足もあいまって昔は壊していたが現在は壊さず取っておくという地域も多い。
そういった視点でも、脚折雨乞は来訪神行事の本来の姿が見られる貴重な行事かもしれない。
次は二〇二八年夏の開催。交通の便も良く、暑いことを覚悟の上でぜひ足を運ぶことをお勧めしたい行事だ。