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商人日記 2020年7~9月

福沢諭吉の言葉に「人倫の大本(たいほん)は夫婦なり。」 夫婦の関係、結婚を重んじていましたが、そのベースには女性への温かな眼差しがありました。 それは決して女性だけではなく、人間全般に及んでいましたが、 この時代も、そのような眼差しを忘れていないかを反省してみたいです。 そこには、人格を尊重する態度があります。 人格を尊重するとは、相手の自由意思を尊重することであり、 それを愛すると表現できるかもしれません。 夫婦は、対等な人間関係であり、支配被支配の関係ではありません。 同じく福沢の言葉「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」に通じます。 これを右のようにも言い換えることができるでしょう。 「天は女性の上に男性を造らず男性の下に女性を造らず」 まだまだ日本の社会の中にも、ここに至れない慣習や思い違いなどがつきまといます。 しかし、互いの自由意思で出発した結婚。夫婦こそ互いに自由なり。互いの自由を尊重します。 それは人間関係の鑑でもあるのでしょう。 そこにある温かな眼差しこそ、商売の要諦でもあり、それを求めて参りたいです。 2020年9月29日

清川正二さんのことを調べていて、中部ガスグループの神野信郎さんが生前しばしば語っていた 近代オリンピック創始者クーベルタンの言葉と再会いたしました。 「The most important thing in the Olympic Games is not to win but to take part, just as the most important thing in life is not the triumph but the struggle.」 ここでは、オリンピック競技が人生と同列に置かれています。 人生で最も大切なことは、大勝利(triumph)ではなくて、苦闘(struggle)である。 struggleには、もがく、あがくといった苦しみが伴います。 また、良く戦う(have fought well)とも言い換えています。 すると、同じ街で、街づくりにも励んでいる黒野有一郎さんが何気なく語っていた 「何かをするというよりも、まずは健康でいることだよ。」を思い出しました。 それは、健康であれば、必然とアイデアは生まれる。行動が生まれる。結果として良く戦える。 そこには、自分を信じる自信も潜んでいると思います。 そこで、本質的には、良く食べることに至ります。 ここには、なぜ働くかという、当社なりの答えも立ち現れます。 2020年9月18日

わが故郷・豊橋出身の五輪金メダリストに清川正二(まさじ)さんがおられます。 1932年のロサンゼルス大会の背泳100mの競技で、その時は、金銀銅の3つのメダルを日本が獲得しました。 そんな清川さんは、その後、総合商社で活躍して最後は社長となります。 かたや、競技にも二足の草鞋で参加して、後進の古橋廣之進さんなどを 日本代表のヘッドコーチとして育てます。 さらに、IOCの理事となり日本人初の副会長に選出されます。 折しも、名古屋への五輪誘致の時には、「IOC委員は高潔な人々。過剰な接待はかえって反感を買う。」 ところが、過剰な接待をしたソウルに名古屋は負けてしまいます。 それだけではなく、五輪の商業主義はますます肥大化。 以前はアマチュアにしか選手資格がなったものの、 いつしかプロ選手の参加が当たり前。 近代オリンピックの創始者であるクーベルタンの理念(オリンピズム)とは何であったのか。 その原点に返ることを主張していたのが清川さんだったと思います。 コロナ禍で延期となった東京五輪は、ここで立ち止まり深く考えるように促されているようです。 2020年9月14日

昨今のコロナ禍でしばしば、「自分の命を守りましょう。そして、大切な人の命を守りましょう。」 そんな時、大切な人とは、家族や親族などのことを意味しているのだと思います。 しかし、本来人は、どの人も大切であり、そこに敢えて「大切な」を付けるのは、 その前提が崩れている現実があるのかもしれません。 また、「大切な人」と括ってしまうと、「大切でない人」が存在することにもなり、 この言葉が相対性を秘めている言葉と言えるでしょう。 日本の外人という言葉、ユダヤ教の異邦人、教会などの未信者・・・ 何かそれらに連なる差別的な響きがつきまといます。 それが、大切であるか否かを決めるのは、その言葉を使っている当人となり、 その価値判断を人間が下してしまうことに違和感を感じるのかもしれません。 本来人は、誰に言われなくても、厳然と大切なんだとも言えます。 では、なぜ人は大切なのか。それは、宗教的なこと、哲学的なことに至るかもしれません。 「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」 その思索を深めることがコロナ禍で求められています。 2020年9月7日

ステンレス製鍋のハンドルの修理にご来店下さったお客様がいました。 しかし、そのアメリカ製のメーカーは、当社では扱い実績がありません。 そこで、インターネットで検索してみると、すでに国内では販売されていませんでしたが、 国内で部品を販売されている方を見つけました。 その販売サイトでは、「私はこのハンドルの販売で利益を上げている訳ではありません。 ただ、あまりにも沢山のお客様からの問い合わせがあり、困っていらっしゃる方も多いので、 何とかしたいなあと思っているのです。せっかくいいお鍋を長い間使って頂いているので、 お鍋に命がある限り使って頂きたいのです。」ここに商人の心を感じました。 すると、今度は以前当店で扱っていたものの廃止商品になった同じくステンレス製鍋の修理の ご相談を頂きました。販売元には、残念ながら修理を断られてしまいました。 しかし、そのお鍋の下請け製造会社を知っていましたので、お願いしてみました。 すると、再研磨までして、本日ピカピカで戻って参りました。 使い込んで来た道具とは、お金では変えられない価値があるのでしょう。 2020年8月29日

わが故郷、田原市赤羽根町の出身である東京ヤクルトスワローズの小川泰弘投手が ノーヒットノーランを達成しました。 8回に野手の失策がありピンチを招きます。その時に、その野手が小川投手に駆け寄って詫びます。 すると、小川投手は、顔色一つ変えずに、彼の胸に軽くグラブでポンと叩いた様子が印象的でした。 30歳となり精神的にも大きく成長した姿を見たようでした。 彼は、田原の公立校である成章高校時代には、21世紀枠で甲子園のマウンドを踏んでいます。 しかし、決してエリートコースではありませんでした。 同じくわが故郷の公立校である蒲郡高校の出身の同世代が、 福岡ソフトバンクホークスの千賀滉大(こうだい)投手です。 今は日本のエース級の存在ともなっています。 二人とも、野武士のように駆け上がったことが共通しています。 大樹に寄り掛かるのではなく、自分で考えて、自分の手で道を切り拓いてきた。 私が好きなのは、彼らのひたむきな眼差しです。 あまり人を褒めない福沢諭吉が「痩せ我慢の説」で激賞していた三河武士たちも、 きっと同じ眼差しを持っていたのでしょう。 2020年8月20日

NHKラジオ「子ども科学電話相談」で小学1年生の女の子が「時間はどうして動くのか」と質問をしていました。 天文学者の本間希樹(まれき)先生は、時間をかけて丁寧に回答していましたが、悪戦苦闘している姿が伺えました。 「一番早い光の速さが有限であるから」そのやりとりに、不思議と目頭が熱くなったのですが、 子供が「なぜだろう?」と考える姿に心を打たれたのか、真摯に答えている大人の姿に心を打たれたのか。 そのどちらともであったかのもしれません。 先日、親子でホットケーキを焼く食育講座のアシスタントを務めました。 ホットケーキを裏返して、綺麗な焼き色が見えた瞬間に、大きな歓声があがりました。 そして、そのホットケーキを5~6枚ほど積み上げて食べている時の満足そうな笑顔。 ある子供は、休憩中に突然、教える私たちの似顔絵をホワイトボードに描きだしました。 ある子供は、「新しいフライパンを買って」と、私の立場を思いやるかのように母親を促していました。 コロナ禍の特別な夏休み。あのホットケーキは、生涯忘れない豊かな想い出となったようです。 2020年8月8日

慶應義塾大学の細谷雄一教授が読売新聞で「風の谷のナウシカ」の世界が現実になったと語っていました。 「王蟲(オーム)は、新型コロナウイルスのメタファー(隠喩)のようだ。両者は自然を守るために、 これ以上人間が環境破壊を続け、汚染をまき散らすのを阻止しようとしているのか。 人間が活動を縮小することによって、自然は再び息を吹き返し、力強く再生していく。」 顧みると、空気が汚染された中国。豪華なクルーズ船。風俗文化が爛熟したニューヨーク。そして、東京・・・ 感染の広がるところは、何かを示唆しているようです。 すると、王蟲という巨大な蟲(むし)は、破壊者ではなく、人類を覚醒させる存在に思えて参ります。 本当に大切なものは何か。家族や地域という足元のつながりを今一度見つめ直すこと。 自分を育ててくれた故郷の山、海、川。あるいは大空であり踏みしめる大地。 「そう考えると新型コロナウイルスも、自然界と人間界のバランスを回復する役割を担っている。」 何のために生きるのか。何のために売るのか。新型コロナウイルスは、私たちに問いかけます。 2020年7月22日

自由民主党の自由とは何か。地元選出で党所属の国会議員に尋ねたことがありました。 「経済的な自由ですかね。考えさせて下さい。」 日本で生活している者は、この自由に無頓着となっているかもしれません。 国際政治の現場を知る国会議員であれば、それが次第に見えてくるのだと思いますが、 現役の国会議員には、この自由への洞察を深めて頂きたい。 私が学生時代だったころに天安門事件がありました。 同じ年頃の学生が国のために命を張っている。 バブル景気に踊らされていている仲間たちとは、雲泥の差を感じました。 しかし、わが国の歴史をたどると、聖徳太子の時代より、この自由を標榜してきたのだと思います。 この時期、香港では、国家安全維持法が施行されました。 台湾の人たちも、同じような危機に曝されています。 結局自由とは、自分のことだけではなく、他者の自由を尊重するものであり、他者への思いやりが存在します。 今こそ、与党自由民主党ならびに日本の国会議員たちにも声をあげて頂きたい。 この時、声をあげなければ、自由を標榜する政党および国家とは言えません。 2020年7月9日