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商人日記 2022年10~12月

今年1年を振り返り、実体験から感じたことは、自分の分をわきまえることでした。 それは、家族の中でも、会社の中でも、地域の中でも然りです。 新約聖書ローマ人への手紙12章が心に響いていました。 そこでは、人の集まりが体に例えられて、各人が器官だと見立てます。 「思うべき限度を超えて思い上がってはいけません。むしろ、神が各自に分け与えてくださった信仰の量りに応じて、 慎み深く考えなさい。」各人には役割があり、それを果たすこと。 その関係性はみな対等並列であり、互いを尊重しています。その集まりは生き生きと躍動します。 それが、きっと日本語の和であり、先人たちが追求してきたものなのでしょう。 そこを思い違えて、上下関係ができて縦列になってしまうと崩れてしまう。 今年逝ってしまった先輩が「人間関係は積木と同じで、積み上げてはいけないよ。」 人間とは、すぐに思い上がることを警告してくれています。 そんな時、さまざまな試みを通じて、心低くされます。痛みも悲しも苦しみも甘受する。 すると、自分の分が明確となり、周りの仲間たちとともに輝きを増すのでしょう。 2022年12月27日

母校の豊橋南高校が50周年を迎えて記念誌が発行されました。 「『厳にして自由』再考」とのタイトルで竹下裕隆元校長が想いを綴っていました。 このモットーを体現していたのが母校の應援團であったように思います。ちょうど應援團座談会が特集されていました。 独特の規律あるスタイルを堅持しつつ型破りな精神の自由に憧れました。 私語は一切語らない。自慢話を嫌味なく滔々と語る。撤収との言葉で悲鳴をあげて潔く退場する。 それは、隣の進学校および偏差値偏重社会に対する反骨心を代弁してくれていたようでした。 「俺を馬鹿にするなよ!」魂からの叫びのようにも聞こえてきました。 私が現役生であった時に就任された福尾富男校長が、この高校に来て、この言葉が誕生したと聞いています。 当時生徒会役員を務めていた役得で、先生のお人柄に触れることがありました。 お話は訥々としていたのですが、いつも心が籠っていました。今日振り返ると、先生は生徒を尊敬していました。 「君は尊い存在だよ」と聞こえてくるようでした。 その後若くしてお亡くなりになりましたが、先生の言葉は今日も語り継がれます。 2022年12月19日

豊橋市と姉妹都市である中国南通市出身の曹(そう)さんは、自宅横の倉庫を改築して、青空の家を主宰しています。 多文化共生を目指して、習字教室や中国語講座をはじめ、さまざまな皆さんが交流する憩いの場となっています。 はじめて、このお名前を伺った時に、ブルーハーツの「青空」の歌詞と重なりました。 「生まれた所や皮膚や目の色で、いったいこの僕の何がわかるというのだろう。まぶしいほど青い空の真下で。」 青空が多文化共生を導いてくれる。そんな曹さんが昨年末、新城市の四谷千枚田での農作業中に事故に遭い、大怪我をしてしまいました。 小学1年生の双子のお子さんをお持ちで、入院中はママ友たちが曹さんを支えていました。そこに多文化共生がありました。 1年経過して、快気祝いを兼ねたママ友たちへの感謝の会が開催されました。 そこで、曹さん手作りの餃子を、そこに集った親子と、いろいろなフライパンで焼いて楽しみました。 私は、入院中は何もできず、この集まりで少し貢献できました。 多文化共生のあるところ、手作り料理は、ますます美味しさを増すのだと思いました。 2022年12月10日

NHK「英雄たちの選択 私には見えている! 福澤諭吉 日本近代化の夢」を何気なく視聴していました。 明治14年の政変で、大隈重信が政府から下野しますが、国会を開設して、国民による統治を模索していました。 かたや、伊藤博文たちは、時期尚早と判断。大隈と盟友であった福澤諭吉は、国民あるいは個人を尊重していた。 この時、大隈が創設する政党に誘われた福澤は参加を見送り、あくまで言論人としてとどまる選択をします。 その意味では、福澤も時期尚早と考えていたのかもしれません。しかし、引き続き言論を通じて主張をして行きます。 今日のデジタル化も、同じく時期尚早としてとどめられることがあります。 その時、福澤のような態度が求められます。自分の分とともに、次代を見据えていくこと。 大学時代に強い印象のあった三田演説館が思い出されます。人の意見を聞けること、自分の意見を主張できること。 日本近代化は未だ途上かもしれませんが、それは育てていくものなのでしょう。 あせらず、あわてず、あきらめず福澤が夢見ていた人物に、そして日本に近づいて参りたいです。 2022年11月24日

家内に誘われて映画「桜色の風が咲く」を鑑賞してきました。9歳で失明、18歳で聴力を失う主人公を取り巻く、母親と父親、兄弟たち、 そして仲間たちが支えあう実話をもとにした物語でした。吉野弘さんの詩「生命は」が紹介されていました。 「生命は自分自身だけでは完結できないようにつくられているらしい。 花もめしべとおしべが揃っているだけでは不充分で虫や風が訪れて、めしべとおしべを仲立ちする。 生命はその中に欠如を抱き、それを他者から満たしてもらうのだ。」 人は誰も一人で生きてゆけない。誰かに助けられて、そしてまた誰かを助ける。 見えなくなる、聞こえなくなる重い現実とともに、そんな人々との関わりを丁寧に描いていました。 そして、主人公は見えないこと、聞こえないことの理由を求めます。 見えない人にこそ見えるものがある。聞こえない人にこそ聞こえるものがある。 タイトルの風が咲くという表現は、分かった気になってしまうのを戒めているのかもしれません。 私たちが知覚できる世界はあまりにも狭い。そんな世界を突き抜けて、幼子のようになりたいものです。 2022年11月14日

さまざまな事業に関わって、なかなか思ったように前に進んでいかない現実に直面します。 自分を磨いて自分を変えていくことだと感じます。 しかし、それを求めていくだけでは、つらくなってしまいます。 そんな時に、さだまさしの「いのちの理由」の歌詞が響いてきました。 「わたしたが生まれて来た訳は」と問いかけ、その理由を歌い継いでいきます。 「父と母に出会うため」「兄弟たちに出会うため」「友達みんなに出会うため」そして、「愛しいあなたに出会うため」 その時、事業そのものを見るのではなく、その事業にともに関わる人たちが立ち現れます。 どの事業でも、わたしを磨いてくれる人もいれば、わたしを支えてくれる人がいることに気づきます。 昨日の会合でも、答えが出ている訳ではないのですが、悩んでもがいているわたしを察して、 「ここで成果がでなくても、次の世代につないでいけばいいですよ。」 なにげなくそれを語ってくれたのですが、その人の優しさに心熱くされました。 「しあわせになるために誰もが生まれてきたんだよ」すると、どの人もかけがえない人だと見えて参りました。 2022年11月11日

NHKこころの時代で「問われる宗教とカルト」と題して、さまざまな宗教者が一堂に会して議論をしていました。 この時代、組織としての宗教は問われるものの、宗教の教えは必要とされていると感じます。 合衆国ではじまったSNSは花盛りです。さまざまな人と交流できるのは良いのですが、危うさも秘めています。 このSNSに違和感を感じる日本人は多いのだと思います。 それは、人の欲望をあおる要素が強く、自分の世界に没入してしまいやすい。 その時、飲まれないための自制が必要です。そこに宗教の教えの価値があります。 それは、秩序あるいは、礼と表現されるものが構築されます。 これが崩れてしまえば、結婚や家庭の崩壊に通じます。 この礼とは、歴史より生まれて来た人類の知恵とも呼べるでしょう。 その知恵とは、AIなどの機械任せにするものではなく、自らの頭で考えることでもあります。 宗教とは、何かを教え込むものではなく、基本的には自分で考えること、自立を促すことでもあるように思います。 そこで当店では、それを期待して、フライパン片手にお料理することを奨励して参りたいです。 2022年10月27日

横田めぐみさんが58歳の誕生日を迎えて、母親の横田早紀江さんが 「被害者が無事に帰国できるよう、日本政府には何とか知恵を出してほしい。」 この知恵とは何であるのか。その時、今年50周年を迎えた日中国交正常化の交渉を思い出しました。 時の交渉者は、中国側が周恩来首相に対して、日本側は田中角栄首相と大平正芳外相。 大平外相は、遺書をしたためて田中首相とともに中国に向います。 先の戦争の賠償問題、台湾の問題に対して、理と情をもって向き合います。 理の面では、「不正常な状態」という言葉で折り合う。 そして、情の面では、中国行きを決断。 大平外相は「日本と中国は、元旦と大晦日のように違う」近いけども、全く違うことを絶妙に表現しています。 ゆえに、忍耐と努力が必要である。しかし、心の深いところでは、同じ情をもっている。 田中首相と大平外相は、両人とも長男を亡くしていました。 子を失う深き悲しみは、相手を慮る大きな愛情に昇華していたのでしょう。 日本の官僚には幸い理があります。かたや、横田早紀江さんたちに寄り添いながら、相手国を思う情が問われています。 2022年10月11日

アントニオ猪木さんが逝去されました。 その追悼番組で、猪木さんが一貫したメッセージをもって行動されていたことがよく分かりました。 プロレス引退後に、参議院議員となられて国会の質問で開口一番に「元気ですか!」と叫び 「元気があれば何でもできる。質問もできる。」委員長から苦言を呈されていましたが、 自由闊達に議論される国会への問題意識があったのだと思います。 まさに、今日の日本の組織の中で必要とされている精神のように感じます。 膠着した状況を打破するものは、強い意思のだと受け取りました。 また、晩年は難病を患いながらも、病身をカメラの前にさらけ出して、病と戦い続けていた。 生涯、挑戦して戦っていたからこそ、今日戦っている人たちの胸に響く言葉が生まれてくるのだと思います。 引退試合では「道」という詩を披露。 「この道を行けばどうなるものか 危ぶむなかれ 危ぶめば道はなし  踏み出せばその一足が道となり その一足が道となる 迷わず行けよ 行けばわかるさ」 闘魂注入と呼ばれる頬を叩かれたような言葉でした。「どうした!由久」猪木さん、ありがとうございました。 2022年10月6日