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商人日記 2022年7~9月

安倍元首相の国葬を通じて、この国は、弔意の自由、内心の自由を尊重していることが分かりました。 また、新型コロナウィルス対策でも、強制力をできる限り働かせず、自粛を基本としていました。 この自由こそ、伝統的にわが国が大切にしている価値なのだと思います。 個人の思想や信教に対して、強制してはならないとも表現できます。 あるいは、自分と異なる意見に対して寛容であること。 ちょうど、国葬儀の会場近くでは、国葬反対のデモが執り行われていました。 時同じくして、ロシアではデモが強制力によって封じられていました。 お隣中国でも、あるいはイランなどでも、同じような動きを見聞きいたします。 わが国では、自由にデモができるということは、先人たちが自由のために戦ってきたゆえだとも思いました。 また、昭和初期の戦時下で、その自由を制限してしまった痛切な反省がわが国にはありました。 今日、この自由を享受できる国は希少であることを知るべきであり、そこには責任があることも自覚すべきでしょう。 「この自由を守りましょう」安倍元首相の声が聞こえてくるようです。 2022年9月29日

豊橋総DX化計画という集まりが、豊橋商工会議所の青年部の主催で開催されました。 コロナ禍を通じて、デジタル化が加速しているのですが、 それによって人々がつながるというよりも、蛸壺のような狭い空間に閉じこもっているとも感じています。 豊橋という37万人の地方都市でも、各自がそれぞれ情報発信をしていて、多様性豊かとは言えますが、 統括して発信するところがありません。 統括が期待される豊橋市役所でも、担当部局の縦割りの状況は続いています。 問題意識はあるものの、なぜみなが一つにつながれないのか。 これは、デジタルツールの導入というよりも、市民の意識の問題だと感じています。 その蛸壺を打ち壊すためには、対等な関係性のもとで、若者・よそ者・馬鹿者はじめ誰に対しても心を開く人間性が求められます。 そして、みなを束ねて、その模範を示すリーダーの存在が必要です。 また、リーダーは分かりやすく目標を伝える。それによって、みなと同じ目標を共有する。 あくまで、リーダーとは偉い人ではなく、みなに仕えるサーバントです。 まずは商売人の私が、そんな成熟した人間となりたいものです。 2022年9月19日

ECサイトで進化を続けているのが「北欧、暮らしの道具店」さんです。 「フィットする暮らし、つくろう」を掲げて、2013年には、いち早くスマホファーストのサイトを手掛ける。 2014年にインスタグラムをスタート。 YouTubeでは上質な生活スタイルを提案。最近では、ネットラジオ、ドラマや映画製作にまで及びます。 また、これまでの販売ノウハウを生かして、他社のブランディングを支援。 かたや、オリジナル商品の開発では、生活雑貨を越えて、アパレルや化粧品にまで及びます。 そして、スマホアプリを開発して、買物に加えて自店のラジオ・動画が一元的に楽しめる独自の世界観を構築。 加えて、これまでの会社の経緯を社史としてネット上に掲載されています。 新しいことに挑戦してきたことが良く分かります。 その時「とりあえず小さく始めてみる」姿勢が、自店らしさとのこと。 この同業他社の歴史を振り返ることで、わが社の現状もよく見えて参ります。 自分らしさを磨くとは、人真似をしないことではなく、人から聞いて学ぶことであり、それを続けていくことでしょう。 私は、どこか勘違いしていたようです。 2022年9月3日

長男がお世話になった桜丘学園の父母の会は、子供が卒業しても卒業会派を父母が作って活動しています。 かたや、先生方は「子供たちの人生に責任をもつ」と言ってくれます。 毎年この夏の時期には、大型バス4台を動員して、一泊二日の研修旅行を父母と先生で楽しんで来ました。 ところが、この2年はお休みで今回もお休みとなってしまいました。 先日それに代わる集まりの中で、私が所属する会派「紬(つむぎ)の会」の名前の由来を紹介する機会がありました。 中島みゆきの「糸」の歌詞に想いを込めていました。 縦糸と横糸は、先生と父母であり、両者が出会い織りなされて、子供たちの傷をかばう布でありたい。 そんな中で、昨年11月に豊橋市まちなか図書館のオープニングイベントで、商店街代表としてトーク企画に参加しました。 その時の進行役が若手の学園卒業生。すると、その会場には、早くから当時の先生が駆けつけていました。 やはり、学園は本気で取り組んで下さっている。私たちも本気で先生方を支えて参りたい。 紬は、年を重ねるほど馴染んで味わいを増します。先生と父母で仕合せを表現したいです。 2022年8月25日

校区の納涼祭が、まちなか広場で行われました。 子供たちも加わって、宵から盆踊りが実施されました。 その時に流れたのが「マツケンのええじゃないか」 マツケンこと地元出身の松平健さんのキャラクターを生かしつつ、 この街で幕末に起こった民衆運動の現代版でもあります。 「ええじゃないか」のフレーズが何度も繰り返されて、見よう見まねで踊りながら、 先人たちも、その時その時に、人生のさまざまな問題に直面していたことが身に沁みてきました。 その重い現実に飲み込まれないように、楽しく前向きに進んでいこうとする意志を感じました。 すると、以前私の店の隣に、商店街組合の事務所があり、組合長であった私の父親から依頼されて世話役をされていた 河原さんのことが思い出されました。河原さんは和菓子職人であり傷痍軍人でもありました。 退職後に組合の仕事をしてくれていました。いつも明るく爽やかな方でした。 亡くなる少し前には、雨が降る中で、手土産をもって父親のもとに来ました。 「お世話になりました。」その後すぐに逝ってしまった。そんな律儀な生き様が、私の中で立ち上りました。 2022年7月23日

読売新聞の人生案内で「夫の言葉に傷つき別居」回答者の大日向雅美さんの言葉が心に響きました。 60代の女性が数年前に夫から「俺は誰も信じていない。お前のことも結婚当初から信じたことはなかった」 早く消えてなくなりたいと嘆く相談者に対して、 その夫の思いに今まで一度も気づかなかったのかと問い「そもそも言葉は必ずしも真実を伝えるとは限りません。 『言葉が人間に与えられたのは、考えていることを隠すためである』という名言もあります。 あなたが夫を信じられるか否かは、彼が放った一言ではなく、夫婦として連れ添ってきた時間の中での行動を 思い返してから、判断してはいかがでしょうか。」 愛しているとは、瞬間的なことではなく、時間を経てこそ確認できるものかもしれません。 逆に、一時感情が高まって甘い言葉を発したとしても、それが真実とは限りません。 男性は激高しやすく感情に飲まれやすい。この夫君も、自分の言葉に深く傷ついて、混乱しているのかもしれません。 言葉に責任はもつべきですが、時に、そのままを受け止めずに、大目に見た方が真実は見えてくるように思います。 2022年7月17日

デザインマネジメントの世界で活躍する欧米人の方が、宮沢賢治の童話にヒントを見出していたと伺いました。 そんな折に、地元レモン農家の河合浩樹さんたちが、農民藝術創造倶楽部を立ち上げて、 近くのエムキャンパスで屋上農園など新たな取組をされていました。 その名前の由来が、宮沢賢治の「農民芸術概論綱要」という宣言文。 賢治がこの世界に残してくれたものは、巨万の富にもまさるもののようです。それは何であるのか。 その作風がよく似ている宮崎駿監督も賢治を慕っていたようです。 「千と千尋の神隠し」の主題歌である「いつも何度でも」では 「さよならのときの 静かな胸 ゼロになるからだが 耳をすませる 生きている不思議 死んでいく不思議 花も風も街も みんなおなじ」 この不思議に、賢治の世界が重なります。「自分とはいったい何であるのか。」 この世界こそ、賢治の世界ではないのか。そして、「永久の未完成これ完成である」 どこまでも答えはなく、それを求めていくことの価値を教えてくれます。 人間みんな同じ問題を抱えていることへの安堵とともに、自尊のもとに輝く生命がありました。 2022年7月1日