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商人日記 2020年4~6月

NHK連続テレビ小説「エール」の主題歌で登場するのが、わが故郷の表浜海岸です。 故郷の小学生は5年生になると、この海岸近くの野外教育センターで研修をするのが慣習です。 その宿泊棟から、仲間たちと地平線を眺めていたのが懐かしい思い出です。 妨げるものが何もなく、太平洋を眺望できるのですが、その向こうに点在する島々では、激戦が繰り広げられました。 ほんの75年前にあった戦争は、太平洋戦争とも呼ばれました。 海行かばとガダルカナル島、サイパン島、硫黄島、ペリリュー島、テニアン島、ブーゲンビル島、アッツ島・・・ その海岸の西端には、全国海洋戦没者伊良湖岬慰霊碑があり、 そこには金属板に太平洋の地図が彫られて、これらの島々の名前と戦死者の数が克明に刻まれています。 この表浜海岸は、日本の真ん中に位置して、島々がある太平洋を一望できる地として 慰霊碑建立の地に選定されたようです。 その事実を知った上で、この太平洋を眺めると、また違った景色が見えて参ります。 その波の音、その風の音にじっと耳を傾けると、この時代を生きる私たちへのエールが聞こえてくるのです。 2020年6月26日

めぐみさんとの再会を果たせずに横田滋さんがお亡くなりになりました。 この問題は、拉致被害者だけの問題ではなく、国家主権に関わる問題だと息子の拓也さんが語っていました。 まだ拉致の事実が発覚しない夕闇迫る校舎で、われら学生たちに語っていた江藤淳先生を思い出しました。 日本は独立国家であるのか。当時の私には、先生の切実さが分かりませんでした。 そして、保守を名乗る政治家たちの行動は変わって参りました。 総理も「拉致問題については、日本が主導的に解決をしなければ、 残念ながら他の国がやってくれるということはありません。」 そして、今日では、自分が北朝鮮のトップと交渉して解決すると公言しています。 かたや、国民のあり方は如何。生命に関わる重大事を合衆国をはじめ他人任せにしていないか。 それが習い性となっていないか。その延長線上に今日の拉致問題があるのではないか。 コロナ禍からの明日への道標は、誰かに依存することをやめて、自らの足で立ち上がることでしょう。 めぐみさんの叫び、江藤先生の叫びが、われら世代の胸に深く響きます。 2020年6月11日

わが故郷の東部には、愛知県と静岡県との県境に位置する弓張山地があり、 そこには豊橋自然歩道が整備されています。 ここ最近は、この歩道を散策するのがお決まりのコースとなりました。 この季節、新緑萌える美しい山並みの中を小鳥たちが鳴きながら飛び交って行きます。 その鳴き声に不思議と癒されますが、それは、天からのエールのようにも響きます。 ちょうど、NHK連続テレビ小説「エール」が放映されていますが、 商人こそ明るい声を出して、エールを送る存在であるのかもしれません。 商店では、いつも「いらっしゃいませ。」「ありがとうございました。」が響いていますが、 この当たり前の声に、訪れる人たちは、見えないところで、勇気や力を頂いてきたように思います。 商品はもちろんですが、そこに添える商人の声にこそ大きな力が秘められている。 商店街で育った私は、まさにそのような声で育って参りました。 そして、このような時機だからこそ、商人は、なおのこと心を込めて声を掛けていく時でしょう。 この季節、小鳥たちにならって声を響かせて参りたいです。 2020年6月2日

渡辺崋山の言葉「眼前の繰り廻しに百年の計を忘するなかれ」が心に響く時節です。 この1か月「原発メルトダウンへの道」(新潮社)を読んでいました。 先の戦争の原因をわが国の石油等の資源不足と見立てて、戦後それを解消する原子力発電を国策として推進します。 しかし、福島原発事故が勃発。 さらに、使用済み核燃料を処理して発電させる高速増殖炉もんじゅは実用できないまま廃炉。 その結果、使用済み核燃料をリサイクルするための六ケ所処理工場は審査が先日合格となるものの、 そもそも処理したものを本格的に使えるところがありません。 加えて、リサイクルできなければ、この先ずっと監視が必要な使用済み核燃料は溜まる一方で、保管できるところがなくなる。 原発の軌跡をたどると、政治家や経済人は、まずはやってみようと果敢に行動していました。 かたや、科学者の存在は、それにブレーキをかけることにありました。 その時、お互いの立場を尊重して、偏らずに公平に冷静に議論できるかが問われます。 これは、今日のコロナ禍からの出口戦略にも通じます。 2020年5月16日

高校時代の恩師である別所興一先生は折々、地方新聞に論考を寄稿されています。 その紙上で、私たち教え子は叱咤激励を頂きます。 今回は「司馬遼太郎が次世代に期待した人間像」と題して、ご自分ではなく司馬さんの 言葉を引用しながら、新型コロナウイルス禍からの新しい出発を促していました。 やはり、先生と呼ばれる人たちは、人間的な成功ではなく、 人間としての成長をのぞんでいるのだと心穏やかにされます。 「先に私は自己を確立せよ、と言った。自分にきびしく、相手にはやさしく、とも言った。 いたわりという言葉も使った。それらを訓練せよ、とも言った。それらを訓練することで、 自己は確立されていくのである。」その司馬さんの言葉に、商人とは、人の痛みの分かる人だと見えて参ります。 ですから、苦労があるほど、いたわりが醸成されて、商人らしくなっていく。 そして、いたわるための訓練とは何か。それは、今日のような状況から逃げずに、 きちんと受け止めて前を向くこと。「さあ、おまえたちの時代だぞ!」と先生の声が聞こえてくるようです。 2020年4月28日

私の両親は、喜寿と傘寿を迎えて、今日も現役で働いてくれています。 明日の街とは、このように高齢者が元気で働くあるいは暮らしていることでしょう。 この時期に、「アルプスの少女ハイジ」の原作を読み返していましたが、ご高齢の登場人物たちに涙が溢れて参りました。 その存在だけで心を揺さぶられるのは、目の見えないペーターのおばあさんです。 このおばあさんが、個人的に私のおおばあさんと重なります。 ある日曜日に家の階段でおおばあさんと擦れ違い、その直後に、おおばあさんは、 階段から落下して、それが致命傷となりました。 病院に入院すると、私の名前「よっちゃん。よっちゃん。」と呼んでくれて亡くなりました。 あの時、手を貸していればとの後悔とともに、注いで頂いた愛情をこの年となって感じています。 そして、ハイジのおじいさん、クララのおばあさんも、どこかでお世話になった高齢者のみなさんと重なります。 これらご高齢の登場人物たちこそ、物語のキーマンでした。 同じく街のキーマンも、人生の酸いも甘いも知る愛情深い高齢者の皆さんでしょう。 2020年4月23日

天皇陛下が稲の種まきをされていました。 作業着で土に向き合うお姿に「Keep Calm and Carry On」(平静を保ち、普段の生活を続けよ)を思いました。 この言葉は、第二次世界大戦で、イギリス政府が国民に向けて発したメッセージ。 このコロナ禍の中で、同じく私たち国民にも求められている態度でもあると思います。 それを陛下が率先垂範されているようにも思い、そのお姿に不思議と心が落ち着いて参ります。 国難とともにある天皇。天皇制は、われら日本国民に与えられている特権だと感じます。 その天皇の立ち居振る舞いは、緊急事態の時に急にできるものではなく、平時の、あるいは普段のあり方の延長のように思います。 やがて、首都直下地震、富士山噴火、東南海沖地震などなど、今回以上のような事態が想定されます。 一国民として、覚悟を定めて備えて参りたいです。 そして、普段の生活を続けるとは、「今何ができるのか。今何をすべきなのか。」自らに問いかけて、 静かであっても、深く強く人生に向き合っていくことでしょう。 この時、じっと土に向き合う陛下にならいたいです。 2020年4月16日

新型コロナウイルス感染を防ぐための緊急事態宣言が発令されましたが、 休業要請に対して、誰が休業補償するかが議論されています。 本来、企業経営者は、今回のような緊急時を想定して貯えをしておくべきでしょう。 大企業の多くは、今まで内部留保をしていた訳で、今回のような事態にこそ対応できます。 踏ん張りたいのは、われわれのような中小企業ですが、あくまでわれらも独立した会社です。 役所とは違った、政府から独立した存在であり、政府のおかかえ会社ではありません。 もちろん、自由を標榜するわが国政府は、強制ではなく要請で対応しています。 会社の私権を制限しないことは、会社の独立を尊重していることでもあり、会社には責任があるととらえたい。 いつしか、日本の企業経営者は、この独立心を失っていないだろうか。 あくまで、私たちは、国を支える存在であり、国に支えてもらう存在ではない。 それができないのであれば猛省して、企業経営をゼロからやり直すべきでしょう。 それでも、痩せガエルのように気概だけは失いたくない。商人の独立が問われています。 2020年4月11日