見出し画像

とっしぇ

 こんな夢をみた。
 仕事先の誰かに頼まれごとをして、知らない場所に写真を渡しに行った。届け先はデザイナーだとか造形美術家だとか、そんなようなことを言われたが詳細は憶えていない。
 訪れたのは、異様に高いビルに挟まれた谷間のような低層マンションで、そこの最上階である3階全体が届け先のようだった。
 3階のドアの先、だだっ広くも物の散乱した、コンクリート打ち放しの部屋の中に居たのは、どちらかというと「ふくよかな」という形容の似合う女だった。全体に暖色系の出で立ちで、チョコレートか絵の具だか分からない汚れのついた前掛けをしている。どう見ても日本人のその女は「とっしぇ」と、自ら名乗った。

 彼女には男が大勢いるようだった。
 その後も頼まれて、幾度か写真を手渡しに行った。その度に彼女の部屋には別の男が居て、だだっ広くも物の散乱した部屋の窓際に置かれた、キングサイズのベッドから私のことを敵愾心に満ちた目で睨んだ。私は敵意の無いことを示そうとしたが、うまくいかなかった。

 やがて女は死んだ。どうかしてそれを知り、私は特に心動かされることもなかった。
 彼女と付き合ったという男が部屋に大挙して押し寄せた。百は下らないだろう。ありとあらゆる職業の男がいるように思われた。とっしぇを悼む席が催され、そこに私も参加していた。
 インテリアコーディネーターだという男が泣きながら会場を整え、料理人だという男が泣きながら料理を作り、アナウンサーだという男が泣きながら司会を買って出、政治家だという男が泣きながら弔辞を述べて、牧師だという男と天台宗の僧侶だという男が泣きながらそれぞれのやり方で弔い、ピアニストの男が教師の男が宇宙飛行士の男が県職員の男が漁師の男が、皆が泣きながらそれぞれのやり方で彼女の死を悲しんだ。
 私もそれに倣って悲しんだ。悲しみながら、女の本名は敏江とか俊恵とか利江とか、そういう感じの名前ではなかったかと考えていた。

 そう思っているうちに、私は女の亡骸が無いことに気がついた。考えれば私はそれを一度も見ていない。
 そのことを隣で泣いている溶接工の男に訊ねると、彼もまた亡骸は見ていないという。その隣のデイトレーダーの男も知らないと言う。その隣のボクサーの男も、そのまた隣の帽子屋の男も、バーテンダーの男も保育士の男も銀行員の男も私立探偵の男も見ていなかった。
 直感的に、私はとっしぇが逃げたのだと考えた。写真に見せかけて、私は新天地への扉を届けていたんだなと悟った。
 男たちは遮二無二泣き続けていた。

写真:MireXaPixabayより)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?