[短編小説] いけにえ
「おい、チヨをどこへ連れて行くんじゃ!母ちゃん、なんで見てるだけなんじゃあ!あいつらを止めてくれ!」
「チヨ、チヨ!おまえら、チヨを離せ!儀式がなんぼのもんじゃ!」
「チヨーーーーーーーーー!」
喉が張り裂けんばかりの金切声。
妹の名を叫ぶ一人の少年の悲痛な叫び。
ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう。
なんだってこんなことになったんじゃ。
チヨが一体、何したっていうんじゃ。
言葉にならない少年の叫びが、虚しく空にこだまする。
「とお坊、堪忍してな・・堪忍な・・・」
嗚咽の入り混じった、母親の消え入りそうな泣き声が、十次郎の耳の奥をざらっとなでつける。
両手で顔を覆い、力なく膝を地面について泣き崩れる母を、十次郎は血走った眼でかっと睨みつけた。
おまえも同罪じゃ
それもでチヨの母親か
大人たちにはがいじめにされ、組み伏せられた十次郎の顔は、涙とヨダレと泥でぐしょぐしょに濡れていた。
もはや言葉にならないチヨの絶叫が、だんだんと遠ざかっていく。
ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう
オマエラ、ゼッタイニ、ユルサナイ
最後の力を振り絞り、渾身の力で大人たちを振り払おうと試みる。
その後頭部に、一人の村人が、黙って鍬の柄を振り下ろした。
ごつん、という鈍い音と共に、少年はがくっと頭を垂れ、糸の切れた操り人形のように、地面に突っ伏した。
「やれやれ。おタカさんよ、世話焼かしよるのぅ」
屈強な村人の一人が、十次郎の母親に一瞥をくれ、吐き捨てるようにそう言うと、十次郎を肩に担ぎ、家の中へと消えていった。
「すんません、すんません、ほんに、すんません・・・」
虚な眼で、そう呟き続ける母親は、何かにすがるように両手を前であわせ、小刻みに身体を震わせていた。
時は江戸時代中頃。
鬱蒼と木々が茂る山間部にあるこの小さな集落では、古より伝わる忌わしい儀式が、数百年の間、継承されてきた。
十年に一度、元服前の娘を神々への供物として捧げることで、この先十年の村の安泰と繁栄を祈る残酷な儀式。
犠牲となる娘は、儀式当日、易者の占いによって選ばれる。
選ばれた娘も、家族にも、拒否権は認められない。
そして、選ばれた娘は、村の護り神として、村の中心にある神社の石碑にその名を刻まれ、娘を失った家族には、その代償として、一生食うに困らない恩恵が与えられる。
十次郎の妹、チヨもまた、この儀式のために選ばれた娘の一人であった。
通常、選ばれた娘は、夜のうちに祭儀の場へと運ばれ、本人が夢現の中で、苦しまないようにその命を絶つのが習わしであった。
しかし、今回はそうはいかなかった。
幼い頃から、人より勘が鋭く、不思議な夢を見ることが多かった十次郎には、朝から妹へ、贅の限りを尽くした食事が与えられたことや、母親の虚な表情から、何かよくないことが起こると、感じずにはいられなかった。
案の定、丑三つ時に引き戸がそっと開けられ、母親の手招きで村人たちが入ってきた時には、十次郎は全てを悟っていた。
チヨが、今回の供物なんじゃ。
病弱な父親が死んでから、十次郎がこの家の大黒柱となり、家計を支えてきた。
この地方は炭鉱で生計を立てており、十一の時から家族を養うため、暗い洞穴の中で、屈強な男たちに混じり、過酷な鉱夫の仕事をこなしてきた十次郎。
妹のチヨは、そんな十次郎を幼い頃から父親のように慕い、懐いていた。
十次郎もまた、ちょっと生意気でお転婆な妹に手を焼きながらも、あどけない、天使ような妹の笑顔を守ることが、苦しく、厳しい労働を耐え抜く、一筋の光となっていた。
チヨが、殺される。
村のいけにえとして。
寝床に近づいてくる、村人たちの気配。
ぎゅっと目を瞑り、寝たふりをして、妹に背を向けていた十次郎は、息を殺して、タイミングを見計らう。
この気配だと、村人は3人か。
まともに戦ったら勝算はない。
一瞬の隙をついて、妹をさらい、全力で逃げる。
村人が、チヨの傍に膝をつき、チヨを抱き上げた瞬間。
矢のような素早さで、十次郎がチヨに飛びつき、チヨを抱き抱えながら、横に横転する。
「とう坊!?」
母親の悲鳴に近い声が聞こえるか聞こえないかのうちに、十次郎はチヨを抱え、全速力で家の入り口にむかって走り出していた。
「にーちゃん?」
目を覚ましたチヨが、寝ぼけ眼で十次郎を見上げ、ぎゅっとその首に腕を巻きつける。
玄関から外に飛び出した十次郎の目に映ったものは、松明を手に家を取り囲む、大勢の村人たちの姿だった。
脳天に現実の理解が追いつくまでの一瞬の間、十次郎はその場に立ち尽くす。
その隙に、後ろから追ってきた村人に、がばり、と抱きつかれ、チヨと無理やり引き剥がされた。
何かを察知したチヨが、ものすごい勢いで悲鳴をあげ、泣き叫ぶ。
その声が合図であるかのように、十次郎の目がカッと見開かれた。
地の底から振り絞るような雄叫びを上げて、チヨを抱き抱える村人に向かって、突進する。
「おい、チヨをどこへ連れて行くんじゃ!母ちゃん、なんで見てるだけなんじゃあ!あいつらを止めてくれ!」
抗えない運命。
忌まわしいしきたり。
繰り返す悲劇。
十次郎は鈍い痛みと、薄れゆく意識の中で、最後に見たチヨのあどけない笑顔を、遠い夢の出来事のように思い出していた。
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